3.11 あの日のルーターズ事務局
今日は東北の大震災から8年の日。
早いなぁ。
人の記憶は本当にはかないので、この機にあの日のルーターズ事務局の様子を書き留めておきたいと思う。
その時の事務局は私と、ボランティア派遣や経理を担当するマミさん、そして、翌年度大きなランニングイベントを行うことをメインテーマに助成金を得て、その担当として雇用したユキちゃんの3人で行っていました。
3月11日(金)、ユキちゃんは会津若松の東山温泉で行われていた「会津新緑マラソン」の打ち合わせに出張していました。
私は学校での授業を終え、一時半頃には事務局へ出勤。事務局隣室(作業部屋)でマミさんと一緒に会報発送の作業を行っていました。
その頃のルーターズ事務局は普通の住宅である一軒家の2階を借りていました。元々は1階に、今の福島ユナイテッドFCの事務局があり、家賃折半で入居した物件でしたが、その頃にはユナイテッドFCが転居したため、それに代わって県水泳連盟が1階を利用していました。
地震が起きた時、私はそれが地震なんだとすぐにはわかりませんでした。
いえ、携帯では緊急地震速報が鳴り続け、地震だとすぐにわかったのですが、あまりの揺れとその長さに、机の下で(その机が揺れで「歩く(移動する)」のです)、
「何これ~?」
「何で終わらないのぉ~?」
と叫んでました。二人だったこともあり、大変不謹慎ながら、「恐怖」よりも「面白い」という感情が勝っていたような気がします。
窓の外を見ると、電線がまるで大縄跳びの縄のようにぐるぐると回転していました。
揺れは5分くらい続いたような感覚でした。
ようやく揺れが止まって、事務局部屋に行くと書棚からすべての本や書類が落ち、部屋に散乱、パソコンも机から落下していました。
嘘でしょ。
呆然として、まずは広島に住む母親にメールを送りました。
「生きてるから」とだけ。
このメールはちゃんとすぐに届いたようです。その後数日、電話もメールも通じなくなったので、この一文は母を安堵させることになりました。最初に受け取った瞬間は「いたずら?」と思ったそうですが。
あまりの部屋の散乱ぶりに私たちは
「この片づけは明日にしよう。今日はとりあえず、会報発送だけしてしまおう!」
と決断しました。
そうなんです。ちゃんと会報をその後発送したのです。ヤマト運輸の運転手さんは予定通り集荷に来てくれました。
1階の電灯のシェードが落ちていたり、外のブロック塀が崩れていたりしたのですが、
「大きな地震」と認識はしたのですが、
わりと冷静でした。そこまで大変なことだとの認識はありませんでした。
会報発送を終えて、私たちは「じゃ、また明日片付けようね」と帰宅しました。
その後数週間にわたって、事務局業務がストップするとはまったく思いもよらず。
ところで、会津若松に出張していたユキちゃんは大変でした。
会津若松-福島は、通常車で1時間強の距離ですが、地震後帰路についた彼女は大渋滞に巻き込まれ、結局7時間かかって帰ってきたそうです。
さらに、その後、助成金は「地震対策とするため」、県から返還が求められ、彼女を雇用し続けることは不可能になりました。
あの日の写真を探しましたが、さすがにありませんでした。まだスマホも持っていませんでしたね。