「集合体」の一部分としては(仮題)
古今東西。
「アーティストは好きだが、その周辺のファンは嫌い」問題という、どの界隈にも良くある、
しかし、その為に割と根深いんじゃないかという事案がありますな。
これがマイナー系アーティストだけではなく、例えばジャニーズでも何処でも本当に良くある。
個人的には古くは「135」から、現在は「平沢進」界隈が、ちょうどそんな感じ。
界隈のそこかしこに熱量の高い愛があり、その熱量でいろんな物を燃やしてるような感じ。
大体は大変熱心に、そのアーティストさん大好きなんだなぁと思われるファンの集合体だ。
そう。
「集合体」なんだと思う。
個々人には意思、個性があり、それぞれに良い人やそうでもない人もいるかもしれない。
しかし、その界隈ではない他方から、遠くから見れば、その個性は見えない。
遠く離れた立場から「集合体」の細胞一つ一つを見るなんて事は稀だ。
そして、その際ファンである事を公言している場合は己も、その「集合体」の一部と認識される。
傍から見た「集合体」は狂信的に見えることもある。
共通した好きなものがあるのだ。
一神教みたいに見えるのも、さもありなん。
「集合体」の中に一応は居てさえも、あの熱量は見ていて凄いと思う。
うっかり真顔で見てしまう。
他意はなく。ただただ凄い。
例えば、平沢進がtweetして数秒で書き込むのとか凄い。
全レスしてるのも凄い。
そんなに瞬時に良く書き込めるな。
毎回、順番競い合ってんのかな。ってなくらいに即レス。
あの熱量は凄い。あのメンタリティはない。
そして、書き込まれたtweetに対して数秒にて瞬時に理解し、納得して
「御意」とか「同意」とかいう思考速度も持ち合わせていない。
言い方が大変悪いが、脊髄反射で総ての発言を理解もせず肯定する「信仰心」も持ち合わせていない。
そこに書き込む全てのファンが、そうだとは言ってません と一先ず書いておくけども。
「集合体」の注意すべきはガンの排除について。
「異を唱える細胞」を誰がガンと判断するのか。
そもそも、何を「異」とするのか。
誰に対しての、何に対しての「異」なのか。
誰が排除すべしと判断するのか。
誰が排除するのか。
誰に対しての忖度であるのか。
それは、その対象に望まれた気遣いなのか。
それは「完成された集合体」なのか。
「集合体」の中で、細胞の上位・下位はあるのか。
それはファン歴などでランク付けされるのか。
または如何にtweetにレスを早く付けるかで決まるのか。
声の大きい上位の細胞は、ガン細胞を駆逐する指揮を取るのか。
下位とされる細胞は上位の細胞に対して忖度するのか。
どの細胞も、みな同じ様に「誰かのお気持ちを察する」のか。
個々人には、意思があり個性がある。
その中で相性の良い方々とは、集合体から離れ、個人 対 個人で良い距離感で関係を築けている方も勿論いる。
「集合体」でいる必要がなくなった関係となれば、個での付き合いになれるのだ。
上記の事を踏まえたにしても、少なくとも今の所、平沢進のtweet自体は落語や与太話を見る気持ちで娯楽として見ているものの
そのリプ欄や「集合体」に対しては「共感性羞恥」に近いものを感じているので見てない。
総てが とは言わないし、有益なものや良い事言っているのも勿論あるだろう、とは理解しているが、まぁ見てない。
それらの良きものは沢山の羞恥に埋もれてしまっている気がする故。
判断基準や最終的な決定権、答えは「自分」にした方が良い。
平沢進に限らず「有名な〇〇さんが言っていたから」「俳優の〇〇さんが言っていたから」を、最終的な理由にしない方が良い。
(また加筆するかもしれないけど、一旦ここまで)