Be cool now,kiss kiss!
最近若い人の間で「昭和レトロ」がブームらしくて、昭和の時代に生まれたかったとか、目を疑うようなコメントを見かける事がある。
私は絶対、あの頃になんか戻りたくない。
別に嫌な思い出がある訳じゃないが、今の時代の便利さ、スマートさにどっぷりつかってしまった私たち昭和生まれの世代で、あの頃に戻りたいなんて思ってる人って、そんなにいないんじゃないのかな。
ポケットから黒いツヤツヤの板を取り出すだけで電話ができる。写真や動画も撮影できる。
買い物もできて清算もしてくれる。
手紙もかける、辞書も引ける、ゲームで遊んでくれるし、スケジュール管理もしてくれる。
なんと子供の頃に夢見た「テレビ電話」だってできるのだ。
信じられない。
昭和の時代に憧れる若い子に言ってやりたい。
私ら小銭握って公衆電話探してたんだぞーっ。
ああ、なんか居酒屋にいるおじさんみたいになってしまった。
でもこの時代になって一番幸せだと思うことは、情報を自由に、しかもタダで手に入れることができるようになったという事。
これに尽きる。
私が高校生の頃、友達の家に遊びに行ってオヤツをご馳走になっていた時だった。
つけっぱなしになっていたテレビを見るともなく見ていると、洋楽番組のコマーシャルだったのだろう。白いタイツ姿でマイクを掴んで歌うフレディ・マーキュリーの映像が、一瞬だけ流れた。
2〜3秒のことだったと思う。
私は呆然として、持っていたクッキーを取り落としそうになった。
「なにあれ。今のフレディだよね。クィーンのフレディだよね。」
動くクィーンを初めて見た日だった。
それは私のよく知らない前髪ぱっつんのちょっと古いフレディだったけど、あの2〜3秒の映像と、友達の家の居間、友達がその時着ていたブラウスの色まで一緒になって、まだ私の中に残っている。
ビデオなんてものが現れる前の時代だ。
1970年代、私たちアラ還はまだそういう時代にいて、小銭握って電話を探すことを不便だなんて思ってもいなかった。
ああ、やっぱり居酒屋のおっさんになってしまう。
やがてビデオやビデオデッキが現れ、クィーンのミュージック・ビデオを見る事ができるようになった。
そして私は毎日それを見て泣いていた。
友達の家のテレビの前で2〜3秒のフレディの映像を見て、呆然としている私にこれを見せてやりたかった。
ビデオを見ながら思うのはその事ばかりだった。
今やYouTubeを開けば、どの時代のどのクィーンも見放題。
昭和レトロ? はぁ?
面目ない。愚痴になりました。
そもそも私には音楽の素養が全くなくて、コードがどうのテンポがどうの言われてもさっぱりわからない。
昔はギターとベースの区別もついてなかったからベースの人ってギター持って何やってんだろうとか、愚かな事を思っていた。
だってどんなに「ミュージックライフ」見ても動いてくれないんだもん。
あの頃、毎日毎日しがむように聴いていたのはクィーンのアルバム「ジャズ」で、中でも「バイシクルレース」は特別だった。
あの曲のベースラインに死ぬほど痺れていたのだ。
でも私はそれが「ベース」なる楽器から奏でられるものとは知らないから「ブライアンすてき♡」とかトンチンカンをやらかしていた。
それはジョン・ディーコンというベーシストが繰り出す、上品でどっしりしていてパンチのきいたベースだった。
私はクィーンを聴き始めたその最初から、訳もわからずジョンのベースに痺れていたのだ。
その事に気づいたのは残念ながらフレディがもうライブも出来ないほど衰弱していた頃だった。
その頃のアルバム「ザ・ミラクル」を聴くのは正直言って今でもつらい。
クィーンは20年もの活動期間で、一度もメンバーチェンジのなかった稀有なバンドだ。
不和の時代もあったが解散にはならず、最後までパーフェクトを貫き通した大人なバンドなのだ。
でもジョンがいなかったらどうだっただろう。
ジョンは寡黙な人だったから性格も大人しいと思われがちだが、メンバーはいつもジョンには一目置いていたようだ。
クィーンの3度目の来日公演に同行したカメラマン、長谷部宏さんが
「あのベースのアイツ、あれがけっこう強いんだ。大人しいヤツだと思ってたからびっくりしたね。」
と話していたのを聞いたことがある。
写真撮影で4人の立ち位置をテキパキと決めて仕切るのはジョンだったそうだ。
そういえばジョンがセンターをとっている写真がけっこうある。
みんな面倒臭がってグズグズするのを、
「ホラ、みんな何してんの。はい、ここ!早く!」
って言って、自分はチャッとセンターとる。
いくらでも想像が膨らんで楽しくなる。
フレディが亡くなってクィーンは一時活動休止になってしまい、「フレディがいないクィーンはクィーンじゃない」と言って、ジョンもさっさと引退してしまった。
悲しかったけど、三人で頑張ってクィーンを続けて欲しいと、私には思えなかった。
80年代後半、フレディの病気にメンバーが気づき始めた頃から、フレディが亡くなった直後までのジョンの様子はYouTubeで順を追って見る事ができる。
ジョンはバンドの中で最年少だが、どんどん老け込んで元気がなくなっていった。
私はカーリーヘアのジョンが可愛くていちばん好きだったが、その事に気づいた時は胸が傷んだ。
映画「ボヘミアンラプソディー」の中のジョンはすごく印象が薄くて、フレディに酷いこと言われてるから、あの映画は嫌いだ。
まあ、泣きながら観たんだけど。
あの映画のおかげで、ますますジョンは「なんかベースの人」になってしまったと思う。
「なんかベースの人」があんなにヒット曲が書けるもんか。
「マイベストフレンド」も「バックチャット」も「ブレイクフリー」も「セブンデイズ」も、全部ジョンが書いたんだぞ。
「ボヘミアンラプソディー」からこっち、どれだけ若いベーシストたちが「Another One Bites the Dust 弾いてみた」をYouTubeにアップしたことか。
フレディはジョンの事を心からリスペクトしていたと思う。
ブライアンやロジャーとは音楽のことでよく喧嘩したけど、ジョンとは喧嘩にならないんだって、フレディが話している。
なんか全然テンションが違ったのだろう。
そしてジョンもフレディの事が大好きだった。
ふたりが兄弟みたいに仲良さそうに写っている写真がたくさんあるが、どれも心から楽しそうだ。
「ザ・ミラクル」の中の、ジョンとフレディの合作と言われている「レインマストフォール」は「We Will Rock You 」よりも「ボヘミアンラプソディー」よりも「ウイアーザチャンピオン」よりも、私には大事な曲だ。
フレディが自分の事を書いた詞なのか、
ジョンがフレディの事を書いた詞なのか、別にどっちでもいい。
クィーンの楽曲とは思えない、この力の抜けた感じ。
お茶目なドラム、ウキウキするようなベース、のびのびとしたギター。
カリブ風とかサザエさん風とかいろいろ言われてるけど、私はクィーンの中でこれがいちばん幸福な曲だと思う。
このnoteで私は、クィーンをシェアできるnoterさんを何人も見つけた。
クィーンを語り、語ってくれる相手がいないということが、どんなに淋しいことだったか、noteでの交流を通して私は初めて知った。
そうか、私は淋しかったのかと。
それは本や絵画においても同じだ。
会った事もない人と色んな話題をシェアできるこの時代を、私はほんとにありがたいと思う。
ありがたいから、大事にしたいと思う。
「レインマストフォール」は私のお葬式の出棺の時に流してねと、子供たちには言ってある。
クィーンにさっぱり興味のない子供たちは「オカンのそーしきの時のヤツ」と認識しているようだが、まあ大丈夫だろう。
なんかハラ立つけど。
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