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『 民藝 私観 』



『 民藝 』との出会い


民藝を初めて知ったのは、大学の 水尾比呂志 教授の講義の中で
禅か雪舟の説明だったと思うのですが、「 絶対美 」と言う言葉が出てきて、
大変驚き 講義が終わってすぐに先生の所にいき、「 絶対美 」とは何でしょうか?
とお尋ねした所、先生の仰るには
「 自然がそうではないですか。自然に醜いものはないでしょう。」との言葉。
正しい理解もできない私でしたが、自然を愛してやまない私は
何も分からないながらに、不思議に心を打たれ、その後 先生の著書を探し始める事になりました。
その中で、美術選書の『 東洋の美学 』に出会ったのです。

そこには 西洋、中国、日本と世界の美学を紹介し、その最後に
柳宗悦の美学が紹介されていたのでした。

民藝とは、以前書きましたが、柳宗悦が中心になった工藝運動の中から
生まれた造語です。
普段使いの工芸の美に感心した柳宗悦たちが、それまで蔑まれてきた、雑器、下物といった言葉に対して、新たな評価、価値を与えるべく考えられた
民衆工藝の略称です。

 柳宗悦.(1933).『民藝の趣旨』.「民藝の語義」. 私家本.

柳宗悦の直観によって見出され、世界中から蒐められたものたちは、今は
東京駒場の「 日本民藝館 」で展示、公開されています。
それ等のもの達は、哲学者であった柳宗悦によって思索され、
民藝の美( 健康の美、平常の美、)こそ美と言われるものの中で、最も本質的なものだと考えられるに至りました。
そしてこれ等がさらに追求され、たどり着いた美の諸相とは、
美醜二元の葛藤から解放された「自在の美 」、「 無碍の美 」と呼ばれ、
これが柳宗悦晩年の 仏教美学 」となって結実する事になります。
この世界を世に広めようとしたのが「民藝運動 」だったのです。
                                 
柳宗悦.(1949).『美の法門』.私版本.



柳宗悦
が民藝を調べて行く中で、最も強い感心を持ったのは、
名も無い一文不知の工人になぜ有名な作家達も及ばない様な品々を易々と
生み出し得たのかと言う事でした。

今の世の中の認識がどうなっているのか、良く知ってはいないのですが、
この認識は受け入れられているのでしょうか?

しかし、良く考えてみれば分かってもらえると思うのですが、
例えば、日本のやきもの の最も素晴らしいと思われる物を10 個でも20 個でも
思い浮かべてください。
その中に有名な個人作家のものがいくつあるでしょうか?
恐らくはほとんどの物が、作者も分からない工人が作った物ではないでしょうか?
実際、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉時代の品ほとんどが無名の工人が作ったものに違いないのです。個人作家などいなかったのですから当たり前です。
ですが、どうもこの事実を人は無視しがちです。
どうしてでしょうか?
それは名も無い工人に有名作家もかなわない様な見事な品を作れるはずがない
と言う先入観によるものではないかと思います。
しかし、これは中々根強いものがあるらしく、
以前、テレビで放送している番組の中で、有名なアルタミラの洞窟壁画について
ある外国の学者が、「これは一人の天才が描いたものだ。」と言っていたのには
驚きました。

この様な認識を正そうとしたのが「 民藝運動 」でした。

柳宗悦は考え抜きました。
そして、その摂理を見出して行きます。


       我々に仕える数多くの器は、なも知れぬ民衆の労作である。
  あの立派な古作品を見て、ゆめ天才の所業とのみ思ってはならぬ。
  多くはある時代のある片田舎の、ほとんど眼に一丁字もなき人々の
  製作であった。    
(中略)
  かく見れば、美は彼らの力が産むのではない。

  柳宗悦.(1984).『民藝四十年』.「工藝の美」.pp109 -10.114.岩波書店

      

        あの職人達がどうして美しいものを産めるのであろうか。 (中略)
        自らに力がないならば、何ものかが彼等を加護せねばならない。
(中略)
        彼等自らの力がそれを産んだのではない。
  他力に助けられて様々な不思議を演じたのである。
(中略)
  工人が支へる工藝の美は、「 他力の美 」だと説かねばならない。
     
               
柳宗悦.(1984).『柳宗悦全集 第九巻』.「工藝文化」.「他力道」.
pp522-3. 岩波書店



『 民藝 』の生まれる諸要素


この他力の力とはいかなるものか?
柳宗悦はあらゆる要素を突き止めて行きます。

  • 「 実用性 」ー「強き質、確かなる形、静かなる彩、美を保証するこれらの性質は、用に堪えんとする性質ではないか。器が用を去る時、美をもまた去ると知らねばならぬ。」                

  • 天然素材 」ー「工藝は自然が与うる資材に発する。(中略) よき作は天然よりの施物に活きる。工藝美は材料美である。」       

  • 「 伝統 」ー「工藝の美は伝統の美である。」(中略)そこに見られる凡ての美は堆積せられた伝統の、驚くべき業だといわねばならぬ。

  • 「 多量性 」ー「彼らは多く作らねばならぬ。このことは仕事の限りなき繰り返しを求める。同じ形、同じ模様、果てしもないその反復。だがこの単調な仕事が、酬いとしてそれらの作をいや美しくする。かかる反復は拙き者にも、技術の完成を与える。」(中略)「多く作る者はまた早く作る。だがその早さは熟達より来る最も確かな早さである。そうしてこのことが二重に作物を美しくする。

  • 「 協力の作 」ー「優れたほとんど凡ての作は、一人ではなく合作である。あの力まなき民衆が、凡てを一人で担わねばならないなら、何の実をか結び得ようや。よき作の背後にはよき結合が見える。


  その他にも、「低廉性」「単純性」「手工藝」など、あらゆる要素を
  指摘して行きます。 

柳宗悦.(1984).『民藝四十 年』.「工藝の美」.pp103-24.岩波書店.


その美しさを見抜き、その美が生まれてくる源を突き止める洞察力には驚くべきものがあります。
そして、この状況下で工人達は知らずして、数々の美しい物を坦々と創り出す事ができたのです。

しかし更に注目すべきは、物が美しくなるその背後に、宗教哲学者らしい、
人間の問題、真理の哲理をさえ見い出して行く洞察力です。

この摂理を目の当たりにした柳宗悦は、
この世界は他力の世界だと確信するのです。

物が美しく為る、正しく為る真理と、人間が美しく為る、正しく為る真理
が一つであると言う摂理に、柳宗悦は一層自分の仕事に確信を持って行くのです。



『 無心 』、『 自由性 』


その中において、私が最も興味深く感じたものは、『 無心 』、『 自由性 』
と言う事でした。

  
  その味なき繰り返しにおいて、彼らは彼の技術すら越えた高い域に進む。
 彼らは何事をも忘れつつ作る。笑いつつ語らいつつ安らかに作る。
 何を作るかを忘れつつ作る。
(中略)  
 
 器に見られる美は無心の美である。
  

 柳宗悦.(1984).『民藝四十年』.pp114-9.岩波書店.

柳宗悦の解明した、『民藝』の生まれてくる諸要素によって
工人たちは、迷う事なく、疑う事なく、躊躇なく、
伝統に従い、用途に従い、材料に従い、ひたすら労働に没入していく事になり、
『 無心 』の状態、『 自由 』な境地に置かれる事になったのでしょう。



そしてここから動き出すもの、活動し出すもの、働き出すもの、活躍し出すもの
これこそ、以前 書いた『 本来の働き 』では ないでしょうか?
そして、この場(無心、自由)こそ、『 本来の働き 』が動き出し、活動し出す
ではないかと思得るのです。




禅宗に『 一切衆生悉有仏性 』(いっさいしゅじょう  しつうぶっしょう)
と言う言葉があります。全ての人に仏性が宿っている ー との意味です。

これは人間ならば誰しもが持っているもので、これ無しでは生きてはいけない程の
根源的なものです。スランプの中で私はこれを嫌と言うほど思い知らされました。
どうも『 本来の働き 』とは、この言葉に通ずるものがある様な気がしてならないのです。
『 百姓は日に用いて知らず 』と言う言葉があります。
これは、人は皆 毎日 仏道を行じているのに、そのことに気がついていない。
と言う意味ですが、まるで『 民 藝 』の職人達の生活の様です
そして、この『 民藝 』の世界こそ、この事の紛れもない例証なのではないでしょうか? そして、これがまた同時に私達の生活でもあるのです。
私達が『 民 藝 』の品に感じ、感動し、共感するもの、これこそ、
この『 無心 』『 自由 』な心境から生まれてくるもの、つまり 
『 無心 』『 自由 』が形と成って現れたものではないでしょうか?




そして、共感共鳴すると言う事は、同じものが自分の中に有るからに決まっています。それが共鳴共振するのです。
感動とは、この共鳴共振する現象の事です。
すなわち、自分の中の、
『 無心 』『 自由性 』が対象の『 無心 』『 自由性 』に反応しているのです。

人間が遠い昔から持っていた、芸術、美術、工藝、などの造形性、創造性に
対する、愛情、歓び、憧れとは、結局 人間の底にある『 本来の働き 』
『 無心 』『 自由性 』の世界に触れたい、交わりたいとの
欲求ではないでしょうか?

我々が 美 と言っているものとは、結局 我々の背後にある、『 自由無碍 』『 天真爛漫 』の世界の中で、『 本来の働き 』が動き出し、それが形をとって現れたものであり、これこそ、人間が ”求めて止まないもの”  、そしてだからこそ
” 愛して止まないもの ”なのではないでしょうか?



この世界を紹介し、広め、交わらしめようとしたのが、『 民藝運動 』であったのではないかと思っているのです。
美の中に感じ取った『 本来の働き 』を自分の中に見い出し、自覚し、
それを生きて行く中で、活動して行く中で働かせて行く事、活躍させて行く事

これが『 民藝運動 』の念願であったのではないかと思えてならないのです。

「 民藝品から我々が教えられるものは、自由さの有難さ、深さである。(中略)
 民藝を縁に、自由をこそ学ぶべきではないか。」

「民藝をいつも、活かつしたものと受け取りたい。それには民藝美の
  本質たる自由性を見失ってはならぬ。」

柳宗悦.(1958).『民藝四十年』.「改めて民藝について」.pp339.岩波書店

  柳君は美といふことをいふが、私のはうでは妙といひたい。
 この妙といふことが東洋思想といふか、東洋感情といふか、さういふ
 東洋的なものをもっともよく現してゐると思う。(中略)
 芸術家の作品よりは、そういうものを意識しない民藝的なものに、
 かえって無意識の表現の可能性を、よけいもっていると思うし、
 妙の働きが見える。
 一本の線を引いても  ちょっと手をあげても、指さしても、
 そこに妙が出てくる。妙は指そのものにあるのでなくして、指なら指、
 手なら手をあげたところの裏に、ひそんでいるものを、手を通して、指を通して
 みるところに在るのである。
 それは禅でいう大事なところである。

 
鈴木大拙.(1970).『 鈴木大拙全集.第20巻 』.「東洋的な見方」.
『「妙」について』.pp.268-71.岩波書店.


 


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