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『 好きなものたち 』 .4




『 絵画 』



縦 約75cm   横 約30cm


こちらは韓国、朝鮮 李朝時代の民画です。これも民藝運動で評価され、次第に評価が高まった分野で、他のものと同様、今ではとんでもない値段になっている様です。私もまさか所有出来るとは思ってもいなかったのですが、こちらのものは色が消えかかってしまっていて、破格の値段で出ていたもの。本当は赤い牡丹の花が4輪あり、葉も繁り、つがいの鳥がとまっているのです。他の人にはちょっと分かってもらえないかも知れませんが、それでも私には何とも美しく見えるのです。正倉院の鳥毛立女屏風を連想させるーと言ったら笑われるでしょうか?




これは日本の泥絵です。全くの庶民の土産的なもので、こちらは鎌倉の江ノ島のもの。この手のものはもう全く模様化したものが有名ですが、私は絵を描いているせいでしょうか、完全に模様化したしたものより、絵画的なものが残ったものの方が好きなようです。波の表現、波、空の水色が美しいです。


『 文字 』



縦  約50cm      横  約55cm


これは有名な中国、泰山の金剛経の拓本「無」の字です。この碑の写真を見てびっくりしました。このサイズの経文が約960字、巨大な岩山全体に彫られているのです。さすがは中国、やる事がでかいです。時代は北斉(550~577)のもの。隷書から楷書への過度期のものだそうです。柳宗悦氏の言う様に、文字は良く煮詰められて、紋様の域にまで達しているように思います(1)。さらに古代中国のものに感じられる様な、何か霊的なものさえ残っているように感じます。
この一枚は 毎日観ているのに、観る度に眼が醒めるような思いがします。文字の大きさの影響もあるでしょうが、何と言ってもその美しさに打たれます。何故こんな美しい書が生まれたのか、門外漢の私は知る由もないのですが、古代のものに共通する何か人間の中にある本能的なものの発露ではないかと思うのです。

<参考文献>
(1).柳宗悦.(1978).柳宗悦選集第八巻.『物と美』.「書論」.pp.152.春秋社.


これも同じ「真」の文字。この何とも独特で不思議な美しさは何処からくるのでしょうか。もちろんこの書を創った人間の本能的なものには違いないのですが、どうもそれだけでは無さそうです。このような拓本の美、又は工藝の美について、柳宗悦氏は驚くべき洞察をしています。
それは、その美が生まれる要因として挙げられるのは、間接性不自由性だと言うのです。
  
 最初は誰かが何かに文字を書く、(中略)だが次にそれがどこかの石工によっ   て彫りつけられる。ここで文字が更に間接になり、個人から遠のいてくる。だがその角を更にとってくれるのは自然である。堅い石も長年の風雨で字體を漸次に柔らかに又静かにさせる。之が三度目の變化である。それを或る者が拓にとる。ここで文字が四度目の甦りをやる。紙の質や墨の色や、拓のうち方で之が又色々と變る。間接又間接に文字が現れ別種の字體に進展する。(中略)想うに六朝體の如き最初から工藝的な美をもった書軆は拓に附せられるに及んで、益々その特色を増したと考えられる。なぜならここでは文字がもはや生(なま)ではない。凡ての角がとられ之が模様にさえ變ってゐる。それ故工藝的な美しさが豊かに出てくるのである。  
柳宗悦.(1978).『柳宗悦選集』.「拓本の効果に就いて」.pp.333-5.春秋社


柳宗悦氏は、織物の絨毯や絣の工程から生まれる「ずれ」を例にし、

  「ずれ」は仕事が思うやうにゆかぬ證璩とも云へる。だが不思議ではないか。
  絣に若し「ずれ」がなかったら美しさは減るであろう。(中略)
  美の道はかう教へてゐる。何を作るにしても、材料や工程の性質に逆らっては
  いけない。其の制約を不自由とは呼ぶが、それが却って美を厚く保ってくれる
  のである。其の不自由さが、自ら招く形なり模様なりを、素直に受け取ればい
  い。それなら美しさに間違ひはない。謂はば自然の自由さが人間の不自由さを
  越えて、仕事を完成させてくれるからである。

柳宗悦.(1980).『柳宗悦全集第九巻』.「工藝文化」「不自由性」.pp.498-500.
春秋社.

私は、これまで美学者達が工藝の美の生まれる由来について、「間接性」「不自由性」なるものを挙げた例があったのか、詳しい事を知らないのですが、こんな要素はこれまで美を創り出すにあたってマイナス要因としてしか考えられた事は無かったのではないでしょうか? これは驚くべき洞察です。自由、直接性こそが美に至る道であると言い続けてきた西洋の美学者には想像も出来ない論説ではないでしょうか。これまでの常識をひっくり返すほどの学説だと思います。


縦  約25.5cm      横  約13cm


これは中国、後漢の時代(AD164年)の「孔宙碑」です。28文字×15行の、いわゆる隷書のものです。何とも美しいものです!偶然入った書道具店で見つけて衝動買いしてしまったもの。何の知識も無かったので、これがどう言う物かも知らずに買ってしまいました。そんなに高い物では無かったので、拓本自体はそんなに古いものでは無いかも知れません。しかし、その美しさに惹かれます。この美しさは一体何処から出て来るのでしょうか?こんな数本の線に何故こんなに感動するのでしょうか?分からない事ばかりです。そしていつもの様に中国古代の恐ろしいまでの一種心霊的なものに触れる想いがします。


高さ 約2.5cm   横 約1.8cm  奥行き 約1.1cm


これも中国のもの、麻雀パイです。いい字ですね!ひと目で気に入ってしまいました。こんな物が時々びっくりする程安く手に入るのですから骨董の世界も中々面白いものです。私の好きなものに、法隆寺の百万塔に納められている陀羅尼経(木版で、制作年代が明確な現存する世界最古の印刷物)のものと似た趣きがあって何とも心惹かれます。

長いこと芸術、美術の世界に親しみ、数々の品々に接してきたのですが、今だに自分の中でどうしても理解が出来ない世界があって、それが音楽映画です。
それなら他のものは分かるのか?と言われると勿論 困るのですが、この三つは特に
私の中では謎で、どうにも取り付く島も無いのです。大好きで、感動し、大いに愛するものですが、しかし一体どこで良い悪いが別れるのか、その基準は何なのか?
それがどうにも分からないのです。この麻雀パイなども、たった数本の線にすぎないものがどうして人の美感に訴えるようになれるのか?それがどんな理由によるものなのか?その辺りの事がどうにも分からないのです。音楽と映画も同様で、毎日観たり、聴いたりしているのにおかしな話ですね。まあしかし、一体何なのだろう ?と ああだろうか?、こうだろうか?と、ウダウダ考える事を楽しみながら 残りの人生を過ごして行きたいと思ったりもするのです。


縦  約23cm      横  約29cm


こちらは民藝運動同人の人間国宝になった染色家の芹沢銈介氏の作品である絵本『妙好人因幡の源左』の中の一枚です。勿論 布に染める仕事が中心なのですが、自身、芹沢染紙研究所を設立するなど、紙への染めにも積極的に取り組んだ様です。
文字があまりに素晴らしかったので買い求めたもの。模様の見事さは当然ながら、文字も傑出しています。柳宗悦氏は本の印刷物の字体を造ってもらえないかとさえ願っていた様です。さすがにそれは無理だった様ですがー。毎日観ていても飽きないどころか、見る度に 何か光を放っている様にさえ感じます。


縦  約25cm      横  約28cm


これも芹沢銈介氏の装丁のもの。模様といい文字といい素晴らしいものです。
氏がいかに傑出した図案家かと言う事がわかります。



『 書 』



縦 約14.8cm  横 約10cm


この一枚は友達のもの。素晴らしいと思います。最近の書としては最高のものです。芹沢銈介氏の文字と同じで、何か光って見えるのです。この様な普通に書いて美しい書を見ると、現代の書道家の書は何をそんなに足掻いているんだろうと思ってしまいます。「 普通と言う事 」これについては、また今度書いてみたいと思います。


縦 約24.3cm  横 約33.4cm


これは家内の書です。上の友達の所に行った時に書かされたもの。水墨画など 色々書かされて、寝さしてもらえませんでした。中々良いですね。何も狙っていないところに好感が持てます。何も狙わないところから自然に持っているものが出てくると考えれば、全てはそれで済むはずですがー。


縦 約33.4cm  横 約24.3cm


これは甥っ子に小学生の時に書いてもらったもの。いいですね〜気持ちがいいです。大胆極まり無く、引っ掛かる何物も無い、天真爛漫なものです。
何か中国の竹簡の文字を見る様です。おそらく根っこは同じなのでしょう。



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