変わる自分
少し前に病むくらいに悩んだことがあった。それはもうやけ食いしても、出かけても治らないほどで、あれだけ苦しかったのは数年ぶりだったと思う。
唐突だった。社長にならないかと誘ってもらった。誘ってくれた人は好きなYouTuberであり、今全力で取り組んでいるものを作った人であり、そもそも今自分がここにいるきっかけをくれた人だ。そんな人から起業の提案をうけたのだ。
それから自分はミーティングに向けて準備して迎えた当日。フィードバックにもらった最初の一言目は「期待してない」だった。その人は続けて言った、「あなた自身がやり遂げる覚悟があるか。他人は関係ない」と。
さらに続けて「やるなら他のあらゆるものを捨てなければならない、学生生活もプライベートも」
直感でこれは自分にはできないと思った。一番期待してもらうべき人に期待してないと言われた事業にすべてを賭けることはできない。そうわかっていても口から「できない」とはなかなかでなかった。
自分は昔からとりあえずやってみることを重視してきた。あらゆることに得意不得意関係なくチャレンジしてみる。常に変わり者で居続けること。徹底したそれは意識を超えて性格になりアイデンティティとなっていた。
だから新しい事業を始めることにNoと言うことは自分自身を否定するようなものだった。しかし出来ないことに全てを賭けることほど愚かなこともあるまいと絞りだすように断った。多分悔し泣きしたのは人生で二回目だと思う。
それから数日は声だけでわかるほど元気がなかったらしい。
数日たって限界を迎える前に仲のいい知人に相談した。話しているうちに沢山のことが整理されなんとか踏ん切りをつけたらしい。
自分にできる限界はなんだろう、自分の今足りないことはなんだろう、自分が本当に大切にしているものは、今持ちうるものは何か。
どうやら自分は自身の成功のために頑張ることには向いていないらしい。たくさんの人を巻き込んで一緒に楽しめたらそれでいいのだと思う。結局起業の話は断ったままだ。風のうわさによるとあの人は自分がやるものと思ってプランを立てていたらしくプランを考え直しているらしい。しかし自分に出来ないことをやる事はできない。
結果として自分の能力と可能性を割り切って考えたことですごく物事がスムーズにいくようになった。高校の先生がいつだったか言っていた。思春期で広がりきった自我を削って形にすることで大人になると。多分自分はその削るフェーズの最終局面を迎えていたのだと今は思う。
後悔が無い訳ではないが、やれないことを考えていた時に比べて出来ることだけに集中している今の方が自己効力感があってストレスが少ない。
自分の将来を自己責任で決定していく。大人になってきたなぁと思うハタチを数か月先に控えた今。