冷雨
雨が降っている。
遠くへ行こうと思い立ち、深夜バスに揺られながら、街ゆく人の様子を眺める。色とりどりの傘が眩しく、カーテンを締めた。
パーキングエリアに着いて、皆ぞろぞろ降り始めた。正直このまま眠りこけてしまっても構わないのだが、走行中にもよおすのは嫌なので、トイレに行くことにした。
パーキングエリアに降りると、コンビニに行く人や、談笑している人など思いの外にぎやかだった。
トイレで用を足していると、隣から声をかけられた。
「あれ、坂本だよね?久しぶり」
「え、佐藤か?久しぶり。でも今じゃねぇだろ」
佐藤は笑いながら「悪い悪い。再会したことで高まってしまってな。」と言った。佐藤とは高校三年間同じクラスだった。腐れ縁に近い関係だ。しかし、連絡を取り合うこともなかったため、高校ぶりの出会いだった。
「いやー、久々だな。そういや坂本なんで同窓会来なかったんだよ。皆会いたがってたぞ。」
「そんなわけ無いだろ。俺なんて居ても居なくても変わらないようなもんだったろう」
運動も勉強も平均点で、人と関わることが面倒くさくて部活にも入らなかった。授業中も机に突っ伏してるか、そもそも学校に行かないかだった。
そんな俺がクラスの奴らの会話の的になるわけがない。
「そんなことないよ。可奈子ちゃんとかも気にしてたぞ。もちろんオレも心配してたんだからな」
「可奈子って懐かしいな」
「だろ。今では一児の母だってさ。バレンタインのチョコ、美味かったもんな」
「クラス全員にあげてたやつな」
二人でトイレを出て、佐藤がコンビニに行こうと言い出した。
「何か買うのか」
「あぁ、タバコ切らしちゃってな。あと夜食を少々」
コンビニ前で佐藤を待つと、佐藤は肉まんを半分に割り渡してきた。
「高校の頃はさ。肉まんこうやって割って食ったよな!」
「誰と間違えてんだよ。それ多分俺じゃねぇよ」
「嘘だぁ。新発売とかいってカレーマンが出たときさ。うまいかわからないから半分にしたり、金欠の時に肉まんとあんまんお互いで買ってわけあったろう」
「そんなことよく覚えてるな」
「そういうことしか覚えてないけどな」
肉まんを食べながら、ぼんやり空を見た。止みそうにない雨が降り続いていた。
「こう雨が降ってると鬱になるよな。髪の毛もボサボサするし寒いしさ」
生返事しながら、佐藤のマシンガントークを聞いていた。奴は俺とは違って、ぽんぽん会話の種を出してくる。それがしつこくて面倒でもあるが、心地よくもあった。
「ッ」
突然、首がヒヤッとして尻餅をついた。佐藤が俺の首に手をかけたようだった。
「本当に話聞いてないんだもんな。よく言われてたよな。公民のザビエルにさ、めちゃくちゃマークされてたよな。毎回寝ないように当てられてたよな」
「ザビエルって懐かしいな。斉藤先生な。ハゲ方が面白くてまだ覚えてるわ」
「ザビエルあの時34だったんだって、今のオレらとほぼ同じだよ」
佐藤は思い出話をやたらとしたがった。
「そういやさ。佐藤はどこに行くんだよ。なんか目的があって乗ってんだろ。」
「んー。あてはないな。なんとなく遠くに行きたくてさ」
「お前もそんな風に思うこととかあるのな」
「そりゃあありますよ。仕事とかストレス溜まってさ。坂本はどこに行くの?ついて行こうかな」
「いや、ついてくんなよ。お前とは高校同じだった奴ってだけの関係だろ」
「つめたーい!」
バスの発車時刻が近づき、皆バスに乗り始めた。
「そろそろかな。降りるとき、絶対待ってろよ!絶対だぞ」
誰が待つかと思いながら、生返事した。
あいつはあてもなく旅行に来たようだが、俺には目的がある。やることがあって来ている。あいつがいると予定が狂うのだ。
バスが京都駅に着いた。佐藤に見つかる前にさっさと降りなければいけない。幸い席は前の方、あいつは後ろの方だったため、さっさと降りてタクシーでも拾えば、やつも巻くことができる。
バスを降りて、タクシー乗り場を探す。キョロキョロしていると、首に違和感を感じた。
「ダッ」
「待てって言っただろ!高校のときもそうだったぞ!昼飯いっしょに食堂で食おうって言ったときも、ひとりで屋上行ってたしさ」
「なんでわかるんだよ」
「そりゃあわかるでしょ。友達何だもの」
「さっ、どこに行くんだ。ホテルとか取ってるんだろ?」
「取ってたとしても二人部屋なわけ無いだろ。ついてくんなよ」
「坂本はいつからそんなに尖ったナイフみたいな男になっちゃったんだよ。反抗期か?」
無言で行こうとすると、「悪い悪い。からかいすぎたな。じゃ、明日連絡してくれ。約束な」
「ん」
佐藤と連絡先を交換した。もともと持っているつもりだったが、機種を変更したときに消えていたらしい。佐藤のアイコンは、高校時代好きだったゲームのキャラクターだった。
「お前、高校時代で時止まってんじゃねぇの?」
「いや、このキャラクターは今でも人気だろうが」
じゃあなと別れて、佐藤がもうこちらを振り返らないことを確認してタクシーに乗り込んだ。
「天ノ原ダムまでお願いします」
「お兄さん、こんな時間にあそこに行くのかい?」
「ええ。ここに来るために何時間もかけたので」
タクシーに揺られながら、結露した窓に反射した自分の顔を見た。滴る雨粒で泣いているように見えた。
傘も持たずに来たため、肩を濡らしながら、ダムを訪れる。封鎖されているバリケードを無理矢理登った。
今日、俺はここに死にに来た。ずっと生きている意味を探していた。自分が生まれた意味は何か。何をしたいのかも特になく、大学も仕事も惰性で決めた。大学に行けば何か見いだせるかもしれない。そう考えた大学も最低限の課題をこなしてギリギリ卒業しただけ、仕事もクソ上司にヘコヘコしてご機嫌伺うだけ。それでも何か考えていられるだけ、死のうとは思わなかった。うまくやってやるという気持ちがあった。今は何もない。何も思わない。死にたいとかいう願いや願望ではない。死ぬ生きるという考えも沸かない。ただ飛び降りに来たのだ。
ぼんやり。ぼんやりするだけの毎日に飽きたのだ。死ぬ前にしておきたいこともなかった。だから、有り金叩いてできる限り遠くに、もう帰って来られないところまで行って死のうと思った。
佐藤と会ったのは予想外だった。
ピコンピコン。電子音が鳴った。
可奈子からだった。
『久しぶり。突然ごめんね。元気にしてた?』
今日はやたらと懐かしい奴らが出てきやがる。
『坂本くんは仲良かったから知ってるかもしれないけど、佐藤くんが亡くなったんだって。クラスのラインで回ってきてね。同窓会のときは元気そうだったのに、突然居なくなっちゃった。坂本くんはグループ抜けちゃってたから、一応言っておこうと思って。お葬式は2月3日に行うらしいの。近くなったらまた知らせるね』
可奈子のいう佐藤くんは、俺とさっき会った佐藤しかいない。
『佐藤っていつ死んだの』
『3日くらい前らしいわ。詳しいことはわからないけど、病気だって聞いた』
じゃあ、さっき会った佐藤は誰だったのか。まさか幽霊だったなんてオチじゃないだろう。
もし、佐藤が俺の目的に気づいていたなら、ここで飛び降りても死ねないのだろうか。飛び降りようとしたら腕でも掴んで止めてくれるのか。もしそうなったら。そうなったら、どうするっていうんだ。
淵まで歩き見下ろしてみる。流れる水の音が耳元で鳴り響く。脚をブラブラとさせてみる。
この碁に及んで、死のうか悩んでいるようだった。ここに来るまで死ぬ選択肢しかなかったのに。もう帰る金もない。死ぬしかない。鼻先が冷える。手先が凍るように冷たい。寒いから涙が出る。このままこうしていても、どうにもならない。立ち上がって脚を踏み込もうとした。
「ッ」
首元がひんやりした。まさかと思って振り返ると、そこには誰もいなかった。空を見上げれば、雨はいつの間にか雪になっていた。