エンディングノート
エンディングノートを書いています。
死を覚悟するような出来事はありませんが。
選んだノートは、書く内容を示してくれているので、お題がなく自由に書いてどうぞが苦手な私にはちょうどいいのですが、去年買ったにも関わらず、まだ全ページ埋められておらず。
なんせ、じっくりゆっくり書く時間が取れなくて。
ペンを持って何かを書くということが大好きなので、ページがたくさんあるのは苦ではないですが、身辺整理といった感じなので、書きやすそうなページから手をつけている。
意外と、最後の実家以前(引っ越した実家)の住所を追いかけるのは一苦労だったりします。
でも、Googleマップで探したり、ついでに若い頃に過ごした、懐かしいあの街やあの道を辿っているのも、とてもで楽しい時間です。
このエンディングノートの目標は、一年に一度全ページを見直して修正加筆すること。
年初めくらいのタイミングで、身辺整理をルーティンにしたいと思っています。
早いもので今年の終わりが見え始めてきた。
ボチボチ埋めていかないと。
書こうと思ったきっかけ
エンディングノートが世に出た頃は終活のイメージがあったので、自分には無縁なモノだと思っていましたが、書こうと思ったきっかけは、
加入中の保険や銀行情報はもちろん必要ですが、
“もし今私が死んだら、子どもたちは自分のルーツを誰からも聞けなくなってしまう”
と思ったからです。
子どもたちにとっての父方の話はほぼ聞けない
私の父親は6年前、母親は夫と同じ2年前に亡くなり。
夫のお母さんは3年前に亡くなり、翌年には夫が亡くなっています。
夫は長男なので(?)お義父さんの離婚歴や、親戚界隈の過去やルーツはよく聞いていたようですが、もう夫から聞けません。
お義父さんから直接聞くこともできますが、嫁の私から過去をあれこれ聞かれるのもな…と言った感じで、そこまで深く聞けません。
せめて、子どもたちにとって母方(私)の家系図だけでも書き留めておきたい。
私自身の身の回りのことは、子どもたちにとって自分のルーツとなるんじゃないかなと思いました。
自分にまつわることは誰でも興味があると思う
姉妹たちから、自分の赤ちゃんの時どうだったかとか、私の母親(姉妹たちのおばあちゃん)のこととか、キョウダイのことなどを聞いてきます。
#じいじは ?笑
「へ〜、そうなんだ!じゃぁ◯◯は?」
と興味津々。
子どもたちの生まれた日から日常を撮った写真や動画は、ハードディスクで保存しているので、見たくなった時に自分の写真や動画をいつでもTVに映して観ていますが、
それだけではない、自分の赤ちゃん時代の話を聞くのが、なんだかくすぐったい感じで好きなようです。
もちろん、母(私)や亡くなった夫のアレコレも。
みんな、自分にまつわる話には特別な感情があると思います。
スマホで情報一元管理
ところで、スマホで情報を一元管理することについて、これ危険だなと常々思っています。
でも、現実はスマホ一元管理になりつつある。
夫のスマホは、亡くなった病室から荷物を引き上げる時、すでにロックが解除された状態でした。
家族でも踏み込んではいけないプライベートな情報が盛りだくさんのスマホ、
闘病期間があったから、予めそうしようとしたのか、なぜ解除されていたかはわかりませんが。
おかげで知らせたい人に連絡が取れたので助かりました。
でも、人の死は突然だったりもする。
そんな時のスマホは、キャリアによってロック解除してもらえるのだろうか。
解除されなかったら、残された人は手続きしようにもできずに、苦労するに違いない。
私の場合は、私が死んだら夫の妹に託せるように、そのためのエンディングノートでもあります。
義妹にも、書いてることや置き場所も伝えています。
一貫しているようで散らかった話になってしまった。
何が言いたいかというと…
死なないつもりで今を生きていないか
ということ。