日常からこの先を思うこと
朝起きていつものルーティンをこなし、毎度のごとく時間通りに出発できないことにイライラし、バタバタの中 天気予報さえも見逃し傘を持ち損ねる。
満員電車でなんとかつかまる手すりを探し、
反り腰にはつらい直立の姿勢で早くも痛くなる腰。
傘を持ち損ねた日は、「帰りは雨でもいいから、職場までの道のりだけは降ってないでくれ」と思いながら、どんより空でテンション上がらないまま足早に職場まで5分ほど急ぐ。
午前中の業務をこなし、
中身がわかっているから蓋を開けた瞬間の楽しみがないお弁当を食べるか、
外にご飯を食べに行くにしても冒険ができない私は、新しいお店を開発する勇気はなく、いつも同じお気に入りのお店で一人ランチをする。
午後の業務をこなし、
私が大嫌いな “お子が待ってるから早く帰れ” の空気の中、定時から30分ほど居残り業務を終わらせて、足早に保育園・学童まで行く。
暗い夜道を走る自転車はとても重たい。
夜ご飯は朝のうちに準備しておくが、何も準備できなかった日に限り、次女(食事に少々うるさい6歳)がメニューに関して批判的な態度を取ってきて、私の焦燥感に更に追い討ちをかけて苛立たせてくる。
食べたことがないメニューを口にするのが苦手なだけだから、
「コレとコレが入ってて、こんな味付けだよ」
と言ってあげればいいだけなのに、イライラの道を選ぶ私。
“洗濯機を回したいから8時までにお風呂入ってもらっていい?”
そうお願いしたにも関わらず、Yogiboから離れられずずっとテレビを見て動かない長女。
毎日毎日同じ光景が嫌になり、ただただ黙って洗濯機を回し、後出しで洗い物を出してきた長女に、「洗いたかったものがあるなら自分で洗いなさい」と言い放つ。
「洗濯機回すよ、洗ってほしいものない?」
と声かければいいだけなのに、ダンマリ閉店ガラガラする私。
この日常には彩りがない。
毎日をどんな気持ちで過ごせばいいのか、
趣味がないとかそんなレベルではなくて、
日常をどうやり過ごせばいいのか、わからなくなった。
食べるもの一つ、楽しみが見つけられない。
きっとこれからも、お馴染みのお店で一人黙々とランチタイムを過ごすように、
何のために働くのかもわからなくなった状態で、お馴染みの職場で同じ毎日を過ごし、
この先もずっと同じ繰り返しの中で生きていくのだろう。
この日常は10年後の今なんだろうと、ふと思った。