夢ってなんだろうか
ご無沙汰しております。
僕です。
唐突ですが、「夢」ってなんでしょうかね?
「見るもの」、「叶える」ものなど色々と出てくるかもしれません。
睡眠時の「夢」であれば「見るもの」という声が多いですし、人生の目標的な意味、成し遂げたいものという意味での「夢」であれば「叶えるもの」と考える人が多いのかもしれません。
今回は後者の意味で考えています。
なぜ、こんなことを書いてみたのかというと、今の仕事の中で進路について考えさせることが増えてきたからです。
今後の授業の中で使えるものにしたいので、自分の考えをまとまるため、メモとして書きます。
少し僕の話をします。
僕は小学校6年生から「学校の先生になりたい」という夢を持っていました。
きっかけは、とある教員とのの出会いで、「このような人になりたい」と思ったことでした。
「この人そのものになることは無理」だと思った、色々と考えた結果、「この人になることは無理でも、この人に近づくため、この人のようになるためにはどうしたらいいんだろう」と考えました。
その人とは出身も年齢も歩んできた人生も違うと思った僕は、「”学校の先生”という環境に身を置けば、この人のようになれるのかなぁ?」なんて考えました。
そこから僕の将来の夢が ”学校の先生” となりました。
将来の夢が決まった僕は、学校の先生になるためには何をする必要があるのか調べました。
調べた結果、「教員免許」というものが必要で、それは大学で取得できるということが分かりました。
この時点で僕は「大学に行く」ということが一つの目標になりました。
「大学に行く」ということは、高校に行く必要があると思い、「大学に行く」という目標を達成するためには、「高校に行く」という目標を立てる必要がありました。
さて、回りくどいことを書きましたが、「夢」を叶えるために色々なことを逆算して考えたということです。
年齢を重ねていく中で、色々な考えを持つようになり社会人一年目は”学校の先生”にはなりませんでした。
話は脱線しますが、中学生の時に読んだ本か何かで
「夢は見るものではなく叶えるもの。目標は達成するもの。目標を達成するためには様々な準備をし、達成するための算段を立てるべきだ。」
のようなことが書いてありました。
それを読んだときには何となくですが、自分が今までやってきたことはそんなに大きく間違っていたわけではなかったなと自分が持てました。
今の僕は教員をやっています。
言うなれば、僕は長年の「夢を叶えた」ということになります。
「目標を達成した」という言い方でも良いのかもしれません。
生徒への進路指導や授業、会話の中で「将来の夢はあるか」、「将来の夢を叶えるために、何をやる必要があるのか計画を立ててみよう」なんて話をすることがあります。
今の子供たちは「将来の夢はまだ分からない。決まってない。」という子が多いです。
「将来の夢なんて決まってないし、分からないから大学に行きたい」という子もいます。
将来の夢が決まっていることが正義で偉いとは、ちっとも思いません。
ただ、それが決まっていると人生の計算はしやすいのかなとは思います。
そのような話をしたり、考えていたりする中で、ふと思ったことがあります。
それは
「長いこと抱いてきた「夢」を叶えた僕は、この先の人生「夢」を持たずに生きていくのか。果たして今までと同じように「自分のなりたい何か」に向かって生きていけるのか。」
というといことです。
そこで冒頭に書いた「夢」ってなんだろうか。につながるわけです。
自分なりに考えてみました。
夢を叶えても、「これがやりたい!」、「こうしてみたい!」と自分を湧きたたせてくれるものは、いくつも出てくると思います。
これが「夢」の正体なのかなと。
つまり、「夢」は「意欲」のことなのではないかと思ったわけです。
そうやって考えると、夢とか意欲というものは他者に持たせられるものではなく、自分の中で湧いてくるものなのかなと思います。
「夢を持ちなさい」、「意欲的になりなさい」と言われた経験はたくさんあると思いますが、これらを持つためには様々な経験が必要なのかなと思います。
様々なものに触れることで、夢や意欲を持つきっかけも増えるのかなと思います。
人生において色々な寄り道をしてきた僕ですが、その寄り道が僕に意欲を与えてくれているのかもしれません。
以上、最近HEROの久利生公平や仮面ライダークウガの五代雄介のような、飄々とした感じだけど、内に熱いものを持っている人間になりたいなと憧れる僕でした。