そこは
ブルーチーズを買い忘れた。 近頃、朝日が眩しくて目が開けられないということはめっきり減った。目が慣れてきたのだろう。朝になったら否応なしに体を起こして、日中には家の外で活動し、夜になったら家へ帰るという生活をしているのだから当然である。朝日が眩しいと思ったら、シャワーを浴びて一眠りして、日が暮れてから図書館へ行くか、レストランへ行くか、たまには5限終わりの同期たちと遊びに行くような、責任と役割のない生活は幕を下ろしてしまった。 起床してから就寝するまでの間、黙って過ごす
ポストモダン天ぷら、とつぶやいてみた。 三浦哲郎先生の「盆土産」の書き出しを踏襲したが、生憎足元で河鹿は鳴いていない。Twitterでの話である。そもそも、そんな呟きをしたところで、私はポストモダンの意味すら理解していない。哲学専攻ではなかったし。 しかし、ポストモダン天ぷらとは何か。具材や衣が何か違うのだろうか。思うにポストモダン天ぷらを出す店には、塩やポン酢にとどまらない多様な調味料の準備があるのではないか。酒も、ビールと日本酒だけではない。オレンジワインとか、
模試というのがあった。模擬試験のことである。本番の試験を想定した問題を解くことで、予行演習も兼ねて学力を測定しようという目的で実施されるものだ。中高生の時分に学校や塾で受けさせられた。 私は現代文の模試がそれなりに好きであった。他の科目は制限時間内にどれだけ正しいコマンドを押せるかどうかという、点取りゲームのように思えてならなかったが、現代文だけは特別で、普段自分から手に取って読むことのない多種多様な分野の文章を読むことのできる、少し楽しい時間だった。思いがけず新しいときめ
・定住党と遊牧党の二大政党制である ・現在は定住党が政権の座についている ・定住党にも穏健派がいて、彼らは自身の選挙区で支援者とともに汗血馬に跨り、馬乳酒を嗜む ・遊牧党のドンが億ションを購入したことが露見したのをきっかけに政権交代が発生した ・定住党の議員が開催するパーティーに、毎度不動産会社の社長とか農協のお偉方が顔を出している ・「遊牧党の議員は選挙期間中だけ馬に乗っていて、当選すると途端に車で移動するようになる」という定番の風刺があり、新聞のコラムや落語の枕
エイエイオー
北ウイング
・玉音放送が流れた日、学校が早めに終わったので、帰って冷房の効いた部屋でガツンとみかんを食べながらニコニコ動画を観る ・玉音放送が流れている最中に携帯のバイブレーションが鳴るけど、さすがに誰も指摘しない ・ラジオでは聞き取りづらかったので、NHKプラスで改めて玉音放送を聞き直す。専門家の解説も入り、「あー共同宣言を受諾するってそういうことか」と思いながらじゃがりこをつまむ ・昼にテレビをつけると、速報のテロップとともにミヤネ屋でマッカーサーが厚木飛行場に降り立つ場面が繰
理想の死後の世界について考えた。 そこは非常に広大なスイートルームか、バーのようなところだ。500万ヘクタールほどの広さがある。天井が非常に高く、住友林業が設計したような木の造りで、全体がしゃらくさい間接照明によってうっすら照らされている。ソファやら机やらハンモックやらが至るところに設置されているほか、ベッドの付いた広めの個室も用意されている。Wi-Fiの電波は非常に強い。ところどころに製氷機やアイランドキッチンが設置してあり、抜け目のない快適さが保証されている。入場料は「
板橋区民は完全に空を覆うほど膨張した環七に蓋をされて、密閉状態で酒蒸しにされ蒸し鶏になっている。 江戸川区民は塩を撒いている。関東平野に降り注いだ雨を全て引き受けたせいで、胡瓜よりも水分含有量の多くなった土壌を糠床にするために。
春の松山市を訪れた日のことである。 私はその前日から、瀬戸大橋を渡って四国入りしていた。松山市内のビジネスホテルに一泊だけして、チェックアウトして街へ出てきたのだ。この日は道後温泉の宿に泊まることになっていた。予約した宿のチェックイン時間まで予定が空いていたこともあり、松山城を散策しようとリフトに乗りこんだ。 市街地から松山城まではリフトとロープウェーで結ばれている。春風に吹かれながら小高い山を登るのはとても心地がよい。 山頂のチケット売り場で入城券を購入し、城郭の内部へ足
アーティファクト 真鯛のリモワ バルバロイソースがけ 上海蟹のピカレスク オマール海老のマーシャルプラン 舌平目のエスノセントリズム フォアグラのガージャカラニー プルトニウムのソルベ
よく晴れた日、野暮用の帰りに中華屋へ寄った。その店は、老舗のシティホテルに入っていて、内装も絢爛たるもの。ディナーで来るのは敷居が高いので、ランチを狙うこととなった。 ここへ来るのは二度目である。初めて来たのは、数年前の夏の盛り。確かその時も、肩の凝るような面倒事を終えてから寄った記憶がある。あの日の目的は、夏限定の冷やし担々麺をいただくこと。胡麻と味噌の効いたスープにコシのある麺は抜群の相性だった。そこに、麻辣の爽やかな辛さ。さらにトマトのトッピングがうれしかった。あの夏の
高校卒業後、熊本県下に鍼灸院を開業。スピリチュアルブームに乗ってヨーガのエッセンスを取り入れた独自の療法を打ち出し、現在では九州全域にチェーンを展開する。89年熊本市議。3期務めたのち、01年熊本県議。18年、熊本県議会議長。現在に至る。 長髪と髭を傭えた風貌で地方タレントとしても活躍。ライフワークの障害者政策では地方厚労族のドンとして国政にも影響力を持つ。
・原発 少ない手間でより効率的にエネルギーを生み出す技術が開発され、古い時代よりも多くの人々が快適に暮らせるようになった。しかし、このエネルギーの素となるマテリアルは、扱いを誤ると青い光を放つ。その光を見た者の肉体は朽ち果ててしまう。この技術を利用することへの是非について国論は真っ二つに割れている。 ・癌 人類があらゆる病を治療する科学力を得た時代。人の命を最も奪っているのは、耐用年数を過ぎた人体の細胞が起こすバグだった。 ・北朝鮮 日本海の沿岸部の村に、古くからの言い伝
・ヘアゴムの貸し借り ・髪の長い友達のヘアスタイルをアレンジして遊ぶ ・ケイトスペードのバッグを使う ・能登半島の小さな街に生まれる。家はそれなりに裕福。名家ではないけれど、教師や医師などを親に持つインテリの家庭に生まれる。幼少期は親の車の後部座席でユーミンを聞きながら、海と山との只中にへばりついた街を見つめて過ごす。松任谷由実と荒井由実の声質の違いに気づく。女子校に進学し、漫画研究部か文芸部か華道部に入る。黒執事とか夏目友人帳にハマる。部活の県大会でみんなで訪れた金沢