
中山美穂と<アイドル冬の時代>の売上興亡史
追悼ということで、中山美穂さんのシングル売上等々のデータを、2回に渡って紹介してきたのですが。今回は、さらに別の形で検証していきたいと思います。
中山さんは、売上20万枚以上の売り上げを20回記録した、とてもセールス的に安定したアイドル歌手であると、紹介しました。
実は中山さんが活躍した1980年代後半~90年代前半は、J-POPが全盛となり、女性アイドルが一気に冬の時代を迎える・・・という、激変があった時代でもありますね。
その中での中山さんの実績を確認するために、中山さんがデビューした85年から94年までの10年間の、女性アイドルがシングル20万枚以上を売り上げた楽曲全てを、あげていきたいと思います。
中山さんの生きた時代の音楽環境の激変ぶり、その中でのサバイバルの大変さが、よくわかると思いますので。
1985年前期(1月~6月発売の楽曲)
中森明菜「ミ・アモーレ」63.1万枚
中森明菜「SAND BEIGE」46.1万枚
松田聖子「天使のウインク」40.4万枚
菊池桃子「卒業」39.5万枚
松田聖子「ボーイの季節」35.6万枚
菊池桃子「BOYのテーマ」34.1万枚
小泉今日子「常夏娘」26.7万枚
斉藤由貴「卒業」26.4万枚
岩崎良美「タッチ」24.7万枚
中山さんが『C』でデビューしたのは85年6月2日で、売上は17万枚でした。奇しくもというか、松田聖子が結婚のため芸能活動を休止し、それまでの「聖子・明菜」という2トップ体制が終わるというタイミングでしたね。菊池桃子、斉藤由貴がダブル「卒業」でヒットし、小泉今日子も全盛で、ポスト聖子を争う人材は十分という状況でした。
1985年後期(7月~12月の楽曲)
薬師丸ひろ子「あなたを・もっと・知りたくて」39.1万枚
中森明菜「SOLITUDE」33.6万枚
荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」32.5万枚
小泉今日子「なんてったってアイドル」28.4万枚
菊池桃子「もう逢えないかもしれない」25.4万枚
薬師丸ひろ子「野蛮人のように」25.1万枚
おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」24.7万枚
うしろゆびさされ組「うしろゆびさされ組」20.9万枚
中山さんは『BE-BOP-HIGHSCHOOL』で17.9万枚まで売上を伸ばします。『ダンシング・ヒーロー』や『なんてったってアイドル』のような名曲が生まれ、聖子の穴を埋める女性アイドルは誰か・・・という正統的?な戦いが展開されると思いきや、ここでおニャン子クラブというものが台頭してきて、アイドル界は未曽有の状況を迎えていきます。
1986年前期
中森明菜「DESIRE」51.6万枚
中森明菜「ジプシー・クイーン」35.8万枚
河合その子「青いスタスィオン」34.1万枚
新田恵利「冬のオペラグラス」32.0万枚
国生さゆり「バレンタイン・キッス」31.7万枚
うしろゆびさされ組「バナナの涙」31.0万枚
斉藤由貴「悲しみよこんにちわ」28.9万枚
おニャン子クラブ「じゃあね」28.1万枚
吉沢秋絵「季節はずれの恋」28.0万枚
国生さゆり「夏を待てない」25.4万枚
本田美奈子「1986年のマリリン」24.9万枚
菊池桃子「夏色片想い」24.7万枚
岡田有希子「くちびるNet Work」23.2万枚
うしろゆびさされ組「象さんのすきゃんてぃ」23.1万枚
中山美穂「色・ホワイトブレンド」22.3万枚
菊池桃子「Broken Sunset」21.9万枚
高井麻巳子「シンデレラたちの伝言」20.9万枚
おニャン子クラブ「おっとチカン」20.6万枚
おニャン子が爆発的なブームとなり、毎週入れ替わりでチャート上位になる現象が生まれます。これに対してプロの?アイドルたちも負けじと張り合い、結果として18曲もの楽曲が、シングル売上20万枚を超えるという、
空前絶後の「女性アイドル飽和状況」が現出します。
(明菜の『DESIRE』に本田美奈子の『マリリン』、そして自殺した岡田有希子の最後の曲と、こちらもアイドル史を飾る楽曲が並んでいます)
そんな中で中山さんは『色・ホワイトブレンド』で初の20万枚突破を果たし、このサバイバル戦線に堂々、食い込んでいきますが、この状況を見れば、彼女がおニャン子に対抗意識があったと言うのも、理解できますね。
1986年後期
中森明菜「FIN」31.8万枚
小泉今日子「木枯らしに抱かれて」27.9万枚
荻野目洋子「六本木純情派」26.1万枚
中山美穂「WAKUWAKUさせて」23.7万枚
うしろゆびさされ組「渚の『・・・』」23.3万枚
菊池桃子「Say Yes!」20.8万枚
渡辺美奈代「瞳に約束」20.2万枚
86年の後期になると、おニャン子はチャートの1位は取るものの、売上は落ちてゆき、20万枚越えは前期の10曲から2曲に減少してしまいます(そう考えると、おニャン子の最盛期は半年程度で、シングル盤の量産がブームの短命に直結することは、秋元康の教訓になったかもしれません)。
その中で中山さんは19万枚を売り上げた『ツイてるねノッてるね』から『WAKUWAKUさせて』のダンス・ビート路線で、それまで以上の強烈な存在感を放ち、アイドルトップを狙う位置に浮上してきます。
1987年前半
中森明菜「TANGO NOIR」34.8万枚
松田聖子「Strawberry Time 」31.7万枚
中森明菜「Blonde」30.1万枚
南野陽子「楽園のDoor」26.1万枚
南野陽子「話しかけたかった」23.4万枚
中山美穂「派手!!」20.5万枚
本田美奈子「One Way Generation」20.4万枚
ここでおニャン子勢は消え、再びプロアイドルの争いとなります。
『スケバン刑事Ⅱ』で南野陽子が急浮上し、本田美奈子も『パパはニュースキャスター』の主題歌でヒットという、テレビとの連動が目立ち始める中、
中山さんも『ママはアイドル!!』の主題歌『派手!!』で好セールスを記録しています。
1987年後半
中森明菜「難破船」41.3万枚
南野陽子「はいからさんが通る」27.0万枚
中山美穂「50/50」23.1万枚
中山美穂「CATCH ME」21.8万枚
松田聖子「PWARL-WHITE EVE」20.2万枚
レコード売り上げが最も低迷していた時期ですが、孤高の存在感を放つ中森明菜と共に、中山さんは小室哲哉、角松敏生のダンサンブルな楽曲で、20万枚越えを連発する活躍を見せます。
1988年前半
南野陽子「吐息でネット」30.4万枚
中森明菜「AL MAUJ」29.7万枚
中森明菜「TATOO」29.7万枚
中山美穂「You're Only Shinin' Star」29.3万枚
浅香唯「C-Girl」27.8万枚
南野陽子「あなたを愛したい」25.5万枚
工藤静香「FU-JI-TSU」25.3万枚
南野陽子がアイドル戦線のトップに立ち、『スケバン刑事Ⅲ』の浅香唯が躍進、さらにおニャン子でも別格の実力派の工藤静香が台頭してきます。
中山さんはキャリアの転機とも云われるバラード曲でヒットを放ち、中山・南野・浅香・工藤で「女性アイドル四天王」と呼ばれる時代を形成します
(同時にそれは、女性ソロアイドル全盛最後の時代、の象徴ともなりましたが)
1988年後期
Wink「愛が止まらない」64.5万枚
工藤静香「恋一夜」60.7万枚
工藤静香「MUGO・ん・色っぽい・・・」54.1万枚
中山美穂「人魚姫」36.5万枚
中山美穂「Withes」31.4万枚
中森明菜「I MISSED THE SHOCK」31.1万枚
南野陽子「秋からも、そばにいて」27.1万枚
浅香唯「セシル」22.9万枚
浅香唯「Melody」21.6万枚
松田聖子「旅立ちはフリージア」20.9万枚
ここに来て工藤静香が大ブレイク。しかし中山さんも2作がセールス30万枚を突破して、南野、浅香に少し差をつけます。男性ファン中心の南野、浅香に対して、工藤、中山さんには女性ファンが増えてきたことが要因となったのではないでしょうか。
アイドルといってもJ-POP的雰囲気のあるWinkの台頭も含めて、昭和から平成への、アイドル像の変化が予兆される流れですね。
1989年前期
工藤静香「嵐の素顔」52.4万枚
Wink「涙はみせないで」52.3万枚
斉藤由貴「夢の中へ」40.8万枚
中山美穂「ROSE COLOR」27.7万枚
中森明菜「LIAR」27.5万枚
南野陽子「涙はどこへいったの」20.5万枚
年号が平成に変わり、レコードからCDへの以降も完了した頃です。
チャートは工藤静香とWinkが売上トップを争う状況でしたが、中山さんも化粧品のタイアップ・ソングでオリコン1位を取っています。この頃になるとアイドルから「女優」「憧れの女性像」といったイメージが徐々に強まっていきましたね。
1989年後期
工藤静香「黄砂に抱かれて」58.6万枚
Wink「淋しい熱帯魚」56.4万枚
Wink「One Night Heaven」42.3万枚
宮沢りえ「ドリームラッシュ」34.2万枚
小泉今日子「学園天国」33.5万枚
中山美穂「ヴァージン・アイズ」25.4万枚
工藤静香とWinkの売上争いが続きますが、中山さんも25万枚の売上で存在感を示します。この頃になると四天王の南野・浅香の売上は10万枚前後に落ちていき、工藤・中山とははっきり明暗が別れました。
この時期に中森明菜の自殺騒動があり、それも含めて「女性アイドル」人気にはっきりと陰りが見えてきました(宮沢りえは、CMなどのビジュアルが人気の中心で、その人気を利用して歌「も」歌うという、それまでとは違うパターンでしたし)
1990年前期
工藤静香「くちびるから媚薬」48.9万枚
Wink「Sexy Music」32.9万枚
工藤静香「千流の雫」29.5万枚
小泉今日子「見逃してくれよ!」26.0万枚
宮沢りえ「NO TITLIST」25.7万枚
90年代に入り、工藤静香は安定しているものの、いよいよチャートはJ-POP優勢が目立ち始めます。女性アイドルも新規のブレイクは望めない状況で、完全な冬の時代に突入していきます。
そんな状況の影響を受け、この時期、中山さんのシングル売上も18万枚、12万枚と徐々に低下していき、一つの危機を迎えていたのですが・・・
1990年後期
中森明菜「Dear Friend」54.8万枚
中山美穂「愛してるっていわない!」36.1万枚
中森明菜「水に挿した花」34.0万枚
Wink「夜にはぐれて」29.1万枚
工藤静香「私について」26.5万枚
Wink「ニュームーンに逢いましょう」24.9万枚
『女神たちの冒険』が11万枚と、デビュー以来最低の売上となってしまった中山さん。しかし次作の『愛してるっていわない!』は、主演ドラマ『すてきな片想い』の主題歌となったことで、30万枚越えのヒットとなります。
この時代、タイアップソングで売り上げを伸ばしていたJ-POP勢に対し、中山さんは自らの主演作の主題歌を歌う、という同じタイアップ路線で対抗することができたわけで、この二刀流が生き残りの鍵となりました。
1991年前期
小泉今日子「あなたに会えてよかった」105.4万枚
中森明菜「二人静」48.4万枚
工藤静香「ぼやぼやできない」32.4万枚
やまかつWink「さよならだけどさよならじゃない」26.9万枚
観月ありさ「伝説の少女」22.7万枚
Wink「真夏のトレモロ」22.5万枚
CDの売上が急速に伸び始め、小泉今日子も主演ドラマのタイアップでミリオンセラーを記録します。しかしその恩恵は女性アイドル全体には波及せず、
ビジュアル・スター型の観月ありさが新規に台頭するも、厳しい状況でした。中山さんも、この期は20万枚越えはありませんでした。
1991年後期
中山美穂「遠い街のどこかで・・・」67.3万枚
工藤静香「メタモルフォーゼ」44.0万枚
中山美穂「Rosa」36.2万枚
牧瀬里穂「Miracle Love」31.9万枚
森高千里「ファイト!!」26.9万枚
『Rosa』で売上30万枚に復活した中山さんは、続くドラマ主題歌の『遠い街のどこかで・・・』で、デビュー以来最多売上のヒットを記録します。
CDバブルに、ドラマのタイアップソングという2つの潮流を、見事に生かし切ったと云えるでしょう(この頃になると「女優の中山美穂が主題歌も歌う」というイメージにシフトしていったと思います)
1992年前半
観月ありさ「TOO SHY BOY」36.3万枚
松田聖子「きっと、また逢える」32.3万枚
工藤静香「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」28.2万枚
小泉今日子「自分を見つめて」22.7万枚
工藤静香「うらはら」21.4万枚
この時期発売の中山さんの『Mellow』は売上14万枚で、ドラマ主題歌であるかなしかで、売上が大きく変わるようになりましたね。
女性アイドルは停滞し、もはやアイドルとは言い難い旧顔が並ぶ状況が続きます。ただ観月ありさ作品を小室哲哉が提供したことは、数年後のブームの伏線とはなりました。
1992年後期
中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」183.3万枚
工藤静香「声を聴かせて」32.6万枚
森高千里「私がオバさんになっても」22.8万枚
ドラマの主題歌であり、なおJ-POPの中心にあったビーイング系のWANDSと組むという、ある意味完璧なコンセプトによる『世界中の誰よりきっと』は、ミリオンを軽々と超える大ヒットとなり、この時点での女性アイドル関連曲の最大ヒットを記録する、偉業となりました。
1993年前半
小泉今日子「優しい雨」95.9万枚
工藤静香「慟哭」93.9万枚
中山美穂「幸せになるために」41.4万枚
松田聖子「大切なあなた」38.4万枚
森高千里「私の夏」38.2万枚
森高千里「渡良瀬橋」31.0万枚
小泉今日子、工藤静香がドラマ主題歌で大ヒット。もはやドラマ主題歌であるか否かが、ヒットを決める時代となりました。
中山さんの曲もドラマ主題歌ですが、自分は出演していない、朝ドラ『ええにょぼ』の主題歌でした。
1993年後半
森高千里「風に吹かれて」38.1万枚
Wink「咲き誇れ愛しさよ」33.7万枚
中山美穂「あなたになら」28.0万枚
工藤静香「あなたしかいないでしょ」20.5万枚
アイドルとアーティストの中間にいた森高千里が、この時期の人気の中核でした。中山さんの曲は映画『水の旅人』の主題歌でした。
1994年前半
中山美穂「ただ泣きたくなるの」104.8万枚
小泉今日子「My Sweet Home」44.7万枚
森高千里「気分爽快」43.8万枚
森高千里「夏の日」40.9万枚
高橋由美子「友達でいいから」37.5万枚
工藤静香「Blue Rose」30.5万枚
中山さんはドラマの主題歌だった『ただ泣きたくなるの』で、ソロとして初のミリオンセラーを達成します。この時点ではまだ松田聖子もミリオン・ヒットはなく、女性アイドルとしては小泉今日子に続く2人目の達成でした。
1985年にデビューして、アイドル飽和時代、アイドル冬の時代をくぐり抜けての、見事な達成と云えるのではないでしょうか。
1994年後期
篠原涼子「恋しさとせつなさと心強さと」202.1万枚
中山美穂「HERO」47.4万枚
内田有紀「TENCAを取ろう!」43.7万枚
工藤静香「Ice Rain」43.7万枚
森高千里「素敵な誕生日」38.0万枚
松田聖子「輝いた季節に旅立とう」37.1万枚
観月ありさ「Happy Wake Up!」34.4万枚
小泉今日子「月ひとしずく」22.0万枚
そして、長い間動かなかった時代が、ついに動き始めます。
小室哲哉がアイドル・・・と言うより、アイドル出身の篠原涼子をアーティストに仕立て、大ブレイクさせ、小室サウンドブームを巻き起こしていきます。ビジュアル型とはいえ、アイドル傾向も強い内田有紀もデビュー。
翌年には安室奈美恵がブレイクして、ようやく「90年代型の、新しい女性アイドル像」というものが、はっきりと見えてくるのです。
その中で中山さんは、ドラマ主題歌の『HERO』をヒットさせて、安定した人気を示しています。
昭和型の女性アイドルが群雄割拠した80年代後半。
小室サウンド&ダンス・サウンドに乗った、アーティスト型アイドルが出現した90年代後半。
その谷間となった90年代前半の、アイドル不毛の時代を中山さんは生き抜き、ある意味、2つの時代をつなぐ橋になったとも云えるでしょう。
その価値を、再認識したいところです。