木谷オーナーの失言〜世間に蔓延する「俺は悪くない」アピール
新日本プロレス及び女子プロレス・スターダムの木谷オーナーが、スターダムの選手がイベント登壇した際に、
「今日このイベントに来ているみなさんは、アニメとカードゲームとゲームのイベントだと思って来てますよね? そのイベントでコスチュームではありますが水着の女性見れるってことは、なかなかないと思うんですよね」と発言し、批判を浴びました。
いったん謝罪したものの、今度は、
「私のところに(批判が)来るには来ましたけど、既存の他の音楽とかゲームとかアニメのファンとかからはまったくこなかったですよ。プロレスファンだけです。おおらかさがだんだんなくなっていってるんです。そのことが業界を狭くしていってるんです」と発言し、火に油を注いでしまいました。
言うまでもないですが、女子プロレス団体のオーナーが「女子レスラーの水着を楽しみに見に来てください」と発言したところで、(女子プロレスに詳しくない)音楽やゲーム、アニメファンが抗議するはずはありません。
「オーナー自らが言うくらいだから、ファンが水着を楽しみに行く世界なんだろうね」と思うだけの話だし、関心ない分野の話なのだから、熱くなる必要もありません。
抗議するのは、女子プロレスのファンたちで、彼らは試合を楽しみに見に行っているのに、水着目的のような語弊のある言われ方をされたら、「心外だ」と怒るのは当然だし、何よりも、彼らの愛する女子レスラーに対して失礼だと思うでしょう。
で、そういう、お金を払って女子プロを見に行ってるファンたちの抗議を、その団体のオーナーが「そんな抗議をするなんておおらかさがない」と、自分の発言を棚に上げて、切って捨てるのですから、あきれてものが言えません。
牛丼屋のキャンペーン内容に文句を言った牛丼ファンに、オーナーが「最近の牛丼ファンにはおおらかさがなくなっている。業界が狭くなってきている」とか言いますかね。平謝りの一手でしょうに。
これ、ファンから観戦拒否運動されても仕方ないです。客あっての商売という緊張感があるんですかね。
(水着発言への抗議に対しては、むしろ女子プロレスファンの、きちんと
した社会的コンプライアンス意識の表れと言ってよく、「狭い」どころか「広い」ものだと、私は思っているし、これをプロレス村の発言としかとらえない木谷オーナーの感覚の方が、確実に「狭い」です)
まあこんなことは冷静に考えればわかることなんですが・・・
じゃあ何でそんなことを言ったかというと、やっぱり木谷オーナーの「感情」がほとばしってしまったのだと思います。
形式上、「水着」発言については謝罪したけれど、本心では納得してなかったんでしょう。
「プロレスファン以外にアピールするには、こうこう方法も必要なんだよ。
俺の苦労わかってるのか?」
「そもそもお前らだって本音じゃ、水着を楽しみにしてるだろうが!」
みたいな不満がね、あったと思うんです。
「抗議がくるから謝っただけで、俺は何も悪くないんだ!何でこんな、
言われなき批判をされなきゃならないんだ!」というね。
だからつい、言わずもがなの反論を、やらかしてしまった。
最近、色々な謝罪会見やコメントを見てて思うんですけど。
謝る時って、平身低頭、徹底的に謝らないと、世間は納得しないんですよ。
それなのに・・・それができないケースが、本当に多いんですね。
つい一言「俺は悪くない」アピールを入れてしまい、結局それで炎上はさらに拡大していくのです。
例の中居正広の「示談が成立したことにより、今後の芸能活動も支障なく続けられることになりました」というコメントもね、「なので、俺は悪くないんで、よろしく」的なアピール発言でしたね。
自分の間違いを認めるなら、「できれば今後も芸能活動を続けさせていただきたいです」となるはずで、そうであったらだいぶ印象は変わったでしょう。余計なアピールが致命傷となったのです。
フジテレビの(最初の)社長会見にテレビカメラを入れなかった件も、
「そこまでするほど俺たち、悪くないから。これ、謝罪会見じゃないから。あくまでも定例会見だから」という意識が、背景にあったと思いますよ。
こうした「感情」が、企業防衛の観点からは、本当に余計だと思うのです。
これだけ世の中がクレーム社会となり、様々な失敗例があるにも関わらず、新たな「謝罪失敗、炎上」劇が繰り返されているのは、この「一言言いたい」病に、大きな要因があると思うんです。
天下を盗った豊臣秀吉のような人間が、誰かに謝らなければいけない時、
「俺は悪くない」と一言でも言い添えたでしょうか。
「すまん!」と言って、平身低頭、土下座する絵面しか思い浮かびませんよ。
それでいて秀吉は内心では、一つも「悪い」なんて思ってはいないでしょう。ただ「相手の怒りを解く」という目的に対して、徹底的に合理主義を貫くと思うのです。
それが本当の意味での「賢さ」「頭の良さ」「ずるさ」だと思うんですね。
現代人は、秀吉より非合理主義だと思いますね。
まあトップに立つ人間であればあるほど、プライドも高くて、一言言いたい病から抜け出せないというのもあると思うのですが・・・
だったら横に、客観的に諫めることができる、優れた策士を置いておけよ、と思うんです。
それもできない企業って、どうなんですかね・・・
実際、古参のファンの中には「昔はコスチュームのことを水着って言ってたんだから、木谷さんの発言は問題ない」と擁護する人もいましたよ。
(昔「水着」と呼んでいたことと、「水着を楽しみに来てください」と言う
こととは、別次元の話なんですが)
何で木谷氏がこんなことを言った