プロ野球の劇的男~王・長嶋の殊勲打を振り返る
プロ野球打者の勝負強さを示す指標として、「殊勲打」回数というものがあります。殊勲打は試合における先制(点)打、同点打、勝ち越し(点)打、そして逆転(点)打となった安打のことで、これが多い選手は「試合を決める場面で活躍した、チーム貢献度の高い、劇的男」であると云えるでしょう。
殊勲打を集計している方のサイトから、今年のセ・リーグの上位者をあげてみると。
岡本和真 殊勲打32(決勝打21)
打率.280 27本塁打 83打点
村上宗隆 殊勲打27(決勝打12)
打率.242 33本塁打★ 86打点★ ※★はリーグ最高
牧秀悟 殊勲打26(決勝打9)
打率.294 23本塁打 74打点
サンタナ 殊勲打26(決勝打9)
打率.315 17本塁打 70打点
となっていて、打率や本塁打はもちろん、打点ランキングとも微妙に違う順位になっていることが、興味深いところです。
(決勝打とは、殊勲打の中でも、その日の勝利を決めた安打のことです)
実は私、宇佐美徹也さんという、長年プロ野球の記録を研究されていた方の『ON記録の世界』という本を持っていて。そこにV9時代の王貞治、長嶋茂雄の殊勲打数の記録が掲載されているんですね。
ONというと、「記録の王」「ここ一番で強い長嶋」なんてことがよく言われるのですが、実際のところはどうだったのか、改めてその殊勲打記録を検証してみたいと思いました。それでは。
1965年(昭和40年)
王貞治 殊勲打26(決勝打13) シーズンMVP獲得
打率.322 42本塁打★ 104打点★
長嶋茂雄 殊勲打24(決勝打15)
打率.300 17本塁打 80打点
巨人Ⅴ1の年は、王貞治があと一歩で三冠王(打率が2位でした)に迫った年で、一方の長嶋は、打率が3割ギリギリで、打撃成績では差があるシーズンでした。
しかしそれでいて、殊勲打の数はほぼ互角で、決勝打数は長嶋が上回っているのですから、勝負強さでは全く譲っていませんね。
しかも長嶋は日本シリーズのMVPにもなっていて、大舞台での強さを証明しています。
1966年(昭和41年)
長嶋茂雄 殊勲打34(決勝打21) シーズンMVP獲得
打率.344★ 26本塁打 105打点
王貞治 殊勲打30(決勝打19)
打率.311 48本塁打★ 116打点★
長嶋が首位打者、王がホームラン、打点王と三冠を分け合ったシーズン。
打撃成績は優劣つけがたいところですが、殊勲打、決勝打数を見ると、長嶋が
王を上回っています。
この年のMVPは長嶋が獲得していますが、やはり長嶋の方が、個々の試合での、印象的な活躍が多かったということでしょう。
1967年(昭和42年)
長嶋茂雄 殊勲打29(決勝打19)
打率.283 19本塁打 77打点
王貞治 殊勲打26(決勝打15) シーズンMVP獲得
打率.326 47本塁打★ 108打点★
王は5年連続40本塁打以上を記録して、日本新記録を達成。この年で4年連続2冠王と、27歳にしてレジェンドの領域に入ってきました。
一方の長嶋は、3割台を割り込んで、プロ入り以来の最低打率というスランプに終わりました。
それなのに何と、長嶋の方が殊勲打、決勝打数ともに、王を上回っているのです。
両者の得点圏打率を見ると、王貞治が.285に対し、長嶋茂雄は.323で、
全打数の打率と数字が逆になっています。長嶋は不振でも、チャンスの時だけは滅法強かったということですね。
1968年(昭和43年)
長嶋茂雄 殊勲打34(決勝打16)シーズンMVP獲得
打率.318 39本塁打 125打点★
王貞治 殊勲打33(決勝打14)
打率.326★ 49本塁打★ 119打点
この年は長嶋も復調し、王と三冠全部門で激しい争いを繰り広げ、ホームラン数では夏場まで長嶋がリードするという、展開になりました。
王が長嶋をかわして、初の首位打者に輝いたのですが、自身最多タイの打点を稼いだにもかかわらず、長嶋に打点王をさらわれ、三冠王を逃しました。
それでもトータルの成績は、若干王が上回っていた気もしますが、記者投票によるMVPは長嶋が獲得しました。
ただこうして見ると、殊勲打も決勝打も長嶋が王を上回っているので、やはりチーム全体を牽引したのは長嶋だったということでしょう。
この年で巨人は日本シリーズ4連覇となり、日本新記録となります。
1969年(昭和44年)
王貞治 殊勲打30(決勝打13)シーズンMVP獲得
打率.345★ 44本塁打★ 103打点
長嶋茂雄 殊勲打27(決勝打19)
打率.311 本塁打32本 115打点★
2年連続で,王が首位打者とホームランの二冠王、長嶋が打点王で、王の三冠を阻止するという展開になりました。
4年ぶりに王の殊勲打数が長嶋を上回りましたが、決勝打数は長嶋が上で、勝負強さでは拮抗しています。
しかも日本シリーズでは長嶋がMVPを獲得して、王に主役を譲らない意地を見せています。
1970年(昭和45年)
王貞治 殊勲打38(決勝打20)シーズンMVP獲得
打率.325★ 47本塁打★ 93打点
長嶋茂雄 殊勲打34(決勝打19)
打率,269 22本塁打 105打点★
王はこの年で9年連続ホームラン王、7年連続二冠王の日本新記録で、いよいよ前人未到の領域に入っていきます。
しかし、プロ入り以来の最低打率に終わり、ホームラン数も王の半分以下の長嶋が、何と王の打点を上回ってしまいます(王が46人のランナーを返したのに対して、長嶋は83人のランナーを返しています)。
殊勲打、決勝打の数字を見ても、ほぼ拮抗していて、長嶋の勝負強さも極まれりという感じでしょうか。
さらに長嶋は日本シリーズのMVPを4度目の獲得。「シーズンが今一つの年は日本シリーズの活躍で補う」というパターンを確立しました。
1971年(昭和46年)
王貞治 殊勲打33(決勝打15)
打率,276 39本塁打★ 101打点★
長嶋茂雄 殊勲打32(決勝打16)シーズンMVP獲得
打率.320★ 34本塁打 86打点
巨人がリーグ7連覇の日本新記録を打ち立てた年。
長嶋が復調して、当時日本新記録となる、6度目の首位打者を獲得。シーズンMVPを獲得します。
一方王は、二冠王を獲得したものの、シーズン終盤不振に陥り、連続40ホームラン以上の記録が途絶えます。
それでも殊勲打、決勝打の数は両者拮抗していて、結果的にこれが、ONが
相争う、最後のシーズンとなりました。
1972年(昭和47年)
王貞治 殊勲打33(決勝打16)
打率.296 48本塁打★ 120打点★
長嶋茂雄 殊勲打25(決勝打10)
打率.266 27本塁打 92打点
前年から続いていたスランプから、夏ごろに脱却した王が、40本台に復調して、二冠王を獲得。
一方長嶋は打率が自己最低記録を更新。さらに、これまでは不振の時でも見せていた勝負強さが衰え、殊勲打数でも、王に過去最大の差をつけられてしまいます。
いよいよ、巨人の看板が名実ともに王貞治となる日が、見えてきました。
1973年(昭和48年)
王貞治 殊勲打32(決勝打13) シーズンMVP獲得
打率.355 51本塁打★ 114打点★
長嶋茂雄 殊勲打19(決勝打13)
打率.269 20本塁打 76打点
巨人軍9連覇達成の年。
王貞治は、打率、本塁打、打点の全部門で、2位以下を圧倒する成績を見せつけ、ついに悲願の三冠王を獲得します。
一方長嶋はさらに衰えを見せ、殊勲打数でも王に大差をつけられています。
決勝打の数だけは互角で、そこは最後の意地というところだったでしょうか・・・
この年、王貞治は、本当の意味での、巨人の中心打者となったのでした。
総括・感想
というところで、V9時代のONのシーズン成績と殊勲打数を、合わせる形で見てきました。
こうして見ると、やはり「長嶋の勝負強さ」とは本当のことだったことが、よくわかります。
王貞治の1965年~1970年のシーズン打者成績は、前人未到にハイレベルなもので、その数字の比較だけでいえば、すでに長嶋を上回っています。
(この期間に獲得したタイトル数は、王が首位打者3回、ホームラン王6回、打点王3回で、長嶋は首位打者1回で、打点王3回です)
にもかかわららず、この期間の殊勲打数は、王の183に対して、長嶋はそれを上回る206。決勝打も王の94に対して長嶋が110あるのです。
要するに、成績は王が上でも、「〇〇決勝打!」のように、新聞の見出しになるような派手な活躍は、長嶋の方が若干上回っていたのですね。
「人気の長嶋、実力の王」などとも言われたゆえんでもあり、V9の途中までは、王がどんなに打ったとしても、チームの中核は長嶋であったことも、よくわかります。
同時に、そのどうしようもない高い壁である長嶋を超えるため、王貞治がさらに
努力し、記録を伸ばし、V9後半に、ついに突き放していった、その過程も、なかなか見ごたえのあるものです。
(こういうところを実感できるのが、記録の楽しいところです)
まあでもしかし、こうしてONの記録を追ってみると、今年の岡本和真の殊勲打数32、決勝打数21という記録も、なかなかのものだとわかりますね。十分ONと拮抗する数字なのですから。
今後に期待したいところです。