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大谷翔平もこの記録だけは抜けない~30勝鉄腕投手の時代

様々な打者記録や二刀流記録を更新している大谷翔平ですが、その大谷をもってしても「これだけは絶対に抜けない」と思われるのが、投手としてのシーズン勝利数記録です。
これはもう、投手が分業制になった現代と、先発&救援とフル回転していた時代とは、登板数自体が違うので、かつてのような「30勝」を達成することは、ほぼ絶望的なわけです。
(昨年のMLBの最多先発数は33。NPBにいたっては最多先発数は27
ですからね)
いわんや、NPB歴代の最多勝である「42勝」となると、もう「神代の記録」としか、言いようがありません。

それにしても、かつての30勝投手たちは、一体どんな登板の仕方をしていたのでしょうかね。
そして、いつごろから、先発投手と救援投手の分業が始まり、先発投手の負担が軽くなっていったのでしょうか。

ということが気になったので、NPBの歴代シーズン最多勝の投手(1950年以降は、両リーグ通じての最多勝投手)の、先発登板数、救援登板数、そして完投数の記録を調べ、エース投手の登板の仕方が、どこでどのように変わっていったかを、究明していきたいと思います。


〇1939年~1940年代

1939年 Vスタルヒン42勝(68試合41先発27救援、38完投)
1940年 Vスタルヒン38勝(55試合42先発13救援、41完投)
1941年 森弘太郎30勝(48試合24先発14救援、23完投)
1942年 野口二郎40勝(66試合48先発18救援、41完投)
1943年 藤本英雄34勝(56試合46先発10救援、39完投)
1944年 若林忠志22勝(31試合24先発7救援、24完投)※短縮
1946年 白木義一郎30勝(59試合48先発11救援、43完投)
1947年 別所昭30勝(55試合50先発5救援、47完投)
1948年 川崎徳次27勝(47試合39先発8救援、25完投)
      中尾碩志27勝(47試合39先発8救援、25完投)
1949年 Vスタルヒン27勝(52試合40先発12救援、35完投)

(他の30勝投手)1939年野口二郎33勝/1940年野口二郎33勝
         1942年林安夫32勝

1リーグ時代の最多勝投手の登板記録です(1シーズン制になった、1939年以降の記録です)。

まず驚くのが、「とにかく先発数、完投数自体が、桁外れに多い」ということですね。42先発41完投の40年スタルヒン、48先発41完投の42年野口、46先発39完投の43年藤本。
戦後になっても48先発43完投の46年白木、そして50先発47完投の47年の別所。
47年はシーズンの試合数が119試合ですから、別所は2.4試合に1回先発していた。つまり3連戦で必ず1回は先発していた計算になります。
エース投手の酷使は当たり前、という時代だったことがわかりますね。

〇1950年代

1950年 真田重蔵39勝(61試合36先発25救援、28完投)
1951年 杉下茂28勝(58試合24先発34救援、15完投)
1952年 別所毅彦33勝(52試合41先発11救援、28完投)
1953年 大友工27勝(43試合29先発14救援、22完投)
1954年 杉下茂32勝(63試合32先発31救援、27完投)
1955年 長谷川良平30勝(54試合36先発18救援、32完投)
      大友工30勝(42試合34先発8救援、25完投)
1956年 三浦方義29勝(61試合29先発32救援、12完投)
1957年 稲尾和久35勝(68試合33先発35救援、20完投)
1958年 稲尾和久33勝(72試合31先発41救援、19完投)
1959年 杉浦忠38勝(69試合35先発34救援、19完投)

(他の30勝投手)1952年杉下茂32勝/1958年金田正一31勝

これが50年代になると、ちょっと様相が変わってきます。
前の年代には述べ7人いた「シーズン40先発以上の投手」が、1人に減り、「シーズン30完投以上の投手」も、7人から1人に減っているのです。

では先発投手の負担は軽減されたのかと言うと、別にそんなことはなく、先発数が減った代わりに、救援数が急増しているのです。
51年の杉下が24先発34救援、56年の三浦が29先発32救援、そして57年の稲尾が33先発35救援、58年の稲尾が31先発34救援と、20先発以上をしながら、それを上回る救援数を記録している。
「先発、救援のフル回転」という、ある意味「一人分業制、投手二刀流」状態で、40年代とはまた違った形での酷使がなされていたのです。
先発試合以外でも、勝てそうな試合にはどんどんエースをロングリリーフで投入して、守り切って勝つというスタイルが主流となったということでしょう。

〇1960年代

1960年 小野正一33勝(67試合22先発45救援、13完投)
1961年 稲尾和久42勝(78試合30先発48救援、25完投)
1962年 権藤博30勝(61試合39先発22救援、23完投)
1963年 金田正一30勝(53試合30先発23救援、25完投)
1964年 小山正明30勝(53試合42先発11救援、24完投)
1965年 尾崎行雄27勝(61試合37先発24救援、26完投)
1966年 米田哲也25勝(55試合36先発19救援、18完投)
1967年 小川健太郎29勝(55試合27先発28救援、16完投)
1968年 皆川睦雄31勝(56試合38先発18救援、27完投)
1969年 鈴木啓示24勝(46試合39先発7救援、19完投)

(他の30勝投手)1961年権藤博35勝/1961年土橋正幸30勝

61年、稲尾はスタルヒンと並ぶ、シーズン最多勝42勝を記録します。
その内訳は24先発勝利18救援勝利(11セーブ)ということで、つまり
30先発中の24勝、48救援中の29セーブポイント・・・ということになり、まさに鉄腕投手の面目躍如でした。
この「先発、救援の両刀」スタイルは、60年代前半まで続き、金田、小山と30勝投手が誕生しています。
しかし、65年に巨人が「8時半の男」と呼ばれたリリーフ専門の宮田征典で成功したあたりから、各チームで先発と救援投手の分業制が確立していきます。
セ・リーグの最多勝記録でみると、65年の村山実は37先発2救援、66年村山が32先発6救援、68年江夏が37先発12救援と、救援数を減らして、先発数を増やすようなスタイルに、変化してきています。
このような変化により、1968年の皆川を最後に、「30勝投手」はNPBから姿を消していくことになりました。

〇1970年代


1970年 平松政次25勝(51試合38先発13救援、23完投)
      成田文男25勝(38試合36先発2救援、21完投)
1971年 木樽正明24勝(47試合33先発14救援、19完投)
1972年 堀内恒夫26勝(48試合34先発14救援、26完投)
1973年 江夏豊24勝(53試合39先発14救援、18完投)
1974年 松本幸行20勝(40試合37先発3救援、11完投)
      金城恭泰20勝(44試合36先発8救援、11完投)
1975年 東尾修23勝(54試合31先発23救援、25完投)
1976年 山田久志26勝(39試合27先発12救援、23完投)
1977年 高橋里志20勝(44試合40先発2救援、14完投)
      鈴木啓示20勝(39試合33先発6救援、24完投)
1978年 鈴木啓示25勝(37試合35先発2救援、30完投)
1979年 小林繁22勝(37試合36先発1救援、17完投)

70年代になると、1974年に「最多セーブ」がタイトル化される
などして、いよいよ先発と救援投手の分業は明確になっていきます。
ただし、チーム事情によっては、まだ先発投手が10試合以上の救援をすることもあり、先発間隔も中4日、中3日といった使われ方が一般的で、
現在と比べれば、かなり多い先発数をこなしていたことになります。

〇1980年代

1980年 木田勇22勝(40試合26先発14救援、19完投)
1981年 江川卓20勝(31試合30先発1救援、18完投)
1982年 北別府学20勝(36試合35先発1救援、19完投)
      工藤幹夫20勝(28試合24先発4救援、12完投)
1983年 遠藤一彦18勝(36試合28先発8救援、16完投)
      東尾修18勝(32試合29先発3救援、11完投)
1984年 今井雄太郎21勝(32試合29先発3救援、19完投)
1985年 佐藤義則21勝(35試合34先発1救援、23完投)
1986年 北別府学18勝(30試合30先発0救援、17完投)
1987年 山沖之彦19勝(32試合31先発1救援、15完投)
1988年 小野和義18勝(29試合29先発0救援、4完投)
1989年 斎藤雅樹20勝(30試合30先発0救援、21完投)

81年、江川卓が30先発1救援で20勝を達成。このあたりから「先発投手は先発に専念し、よほどのこと(優勝がかかったような試合など)がない限り、救援はしない」というスタイルが、完全に確立していきます。
同時にローテーションも中5日が主流となり始め、先発数も30試合前後に落ち着いていきます。
ということから、両リーグとも20勝投手の数は激減していきます。
(でも30先発程度で20勝するのは、大変なことですよね。
 61年の稲尾が30先発で、24先発勝利ですから、それに匹敵する
 困難度とも言えます)


・・・ということで、各年代の平均値を出してみると、こんな感じになります。

1939~49年 42先発13救援、36完投 ※44年は除く
1950~59年 33先発26救援、23完投
1960~69年 34先発25救援、22完投
1970~79年 35先発9救援、20完投
1980~89年 30先発4救援、16完投

40年代と50年代で、先発数が9減って、救援数が13増えるシーソーがあって、60年代から70年代で、救援数が16も減っています。
「先発登板数の過多は、2リーグ制移行は修正されたが、先発&救援の
フル回転は60年代まで続き、70年代に入って、分業制が確立した」
ということが、言えるでしょう。

なおMLBでは1969年に「最多セーブ賞」が創設されていて、日本よりも5年~10年早いペースで、分業制が確立されたと思われます。

・・・とここまで書いてはきたのですが。
しかし打者として、「投手・大谷翔平」を援護できる大谷は、もしかしたら、35試合程度先発登板して30勝・・・という可能性もゼロではないかもしれませんね・・・


















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