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1970年代の音楽ヒットチャートの傾向分析~どのジャンルの音楽が流行ったか?


YouTubeなどで、1970年代のヒット曲をまとめた動画を見ていると、その年度ごとの音楽トレンドの激変ぶりに、驚くことがあります。
大人の歌謡曲一辺倒だったものが、アイドル全盛となり、ニューミュージック全盛へと変わる。さらに洋楽も、びっくりするほど多くの曲がヒットしている年もある・・・といった感じにです。

そこで今回は、70年代の「オリコン年間シングル売上ベスト50」に入った曲を、音楽ジャンル別に分類し、毎年の傾向を分析していみたいと思います。
音楽ジャンル・・・といっても、厳密にその曲の曲調で分類していくことは難しいので、それを歌っている歌手を基準に、分類していきたいと思います。

「歌謡曲・ポップス系(の歌手の曲)」、「演歌・ブルース系(の歌手の曲)」、「アイドルポップス系(の歌手の曲)」、「演歌・ブルース系(の歌手の曲)」、そして「洋楽」の5つに分類し、童謡は、広い意味での流行歌として、「歌謡曲」に分類しています。
分類が難しい歌手も多いですが、沢田研二や小柳ルミ子は、歌詞等の内容から、アイドルではなく「歌謡曲系」に分類しております。
(なお筒美京平関連作品は、「筒美紅白」でまとめたので、今回は動画の
 引用はしておりません)

〇1970年


①歌謡曲・ポップス系19曲
②演歌・ブルース系14曲
③洋楽系13曲
④フォーク・ロック系4曲
⑤アイドルポップス系0曲

70年は大人の歌謡曲の全盛時代ですね。由紀さおりの「手紙」、菅原洋一の「今日でお別れ」、渚ゆう子の「京都の恋」、岸洋子の「希望」、辺見マリの「経験」、森山加代子の「白い蝶のサンバ」など、大人歌謡のランクインが目白押しです。
演歌系では藤圭子が「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」で連続1位と、この年の顔になりました。この頃の演歌は青江三奈の「国際線待合室」など、いわゆる「ど演歌」ではない、歌謡曲と境目がないブルース的なものが多かったですね。
フォーク系では「走れコウタロー」の大ヒットがありましたが、アイドル系はまだ誕生前夜です。

というところで洋楽ですが、ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」が55万枚、ブロンソンのCMソングだった「男の世界」が通算73万枚、あのビートルズの「レット・イット・ビー」もシングル盤として52万枚、サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」が39万枚など、ベスト50に13曲もがランクインしています。
日本の曲が大人の歌揃いだったし、当時の若者は洋楽を、流行歌として聴いていたということなんでしょうかね。


〇1971年

①歌謡曲・ポップス系20曲(+1)→前年からの増減
②演歌・ブルース系11曲(-3)
 洋楽系12曲(-1)
④フォーク・ロック系5曲(+1)
⑤アイドルポップス系2曲(+2)

上位の傾向は前年と変わらず。「わたしの城下町」が大ヒットの小柳ルミ子を始め、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、堺正章の「さらば恋人」、そして渚ゆう子「京都慕情」、欧陽 菲菲の「雨の御堂筋」など、歌謡曲勢は盤石でした。
ただこの年、南沙織の「17才」が、アイドル・ポップスという新ジャンルを開拓し、翌年以降、大きなトレンドとなっていきます。
フォーク系としては加藤登紀子の「知床旅情」、クライマックスの「花嫁」の大ヒットがあり、名曲の「あの素晴らしい愛をもう一度」もランクイン。

そして洋楽は、日本限定ヒットの「ナオミの夢」、ビー・ジーズの「小さな恋のメロディ」、マッカーシュマンの「霧の中の二人」、プレスリーの「この胸のときめきを」、「雪が降る」、「ある愛の詩」など、前年と変わらぬ12曲をランクインさせて、絶好調だったのですが・・・


〇1972年

①歌謡曲・ポップス系25曲(+10)
②アイドルポップス系9曲(+7)
③フォーク・ロック系6曲(+1)
④演歌・ブルース系5曲(-7)
⑤洋楽系5曲(-7)

この年、音楽業界に地殻変動が起こり始めます。
セールスでは天地真理が「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」で3曲連続1位でチャートを席巻し、麻丘めぐみもデビューして、いよいよ本格的なアイドル時代到来となります。
またテレビ出演に拒否的なよしだたくろうが「旅の宿」「結婚しようよ」を
大ヒットさせたため、「フォーク」の存在感が一段と強烈になっていきます。

小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」などが大ヒットし、25曲が並ぶ歌謡曲ジャンルですが、これはフォーク&ロックに分類してもいい、セルスターズの「悪魔がにくい」、ペドロ&カプリシャス「別れの朝」、青い三角定規の「太陽がくれた季節」、チェリッシュの「ひまわりの小径」などをカテゴリーに入れたためで、ソロ歌手に限定すると15曲で、純粋な歌謡曲には、すでに退潮が見えています。
演歌は、これぞど演歌の「女のみち」は大ヒットしたのですが、それ以外は低調で、アイドル&フォークの波に、一気に劣勢となりました。

そして、ここにきて洋楽も「ゴッドファーザー愛のテーマ」「マミー・ブルー」などのヒット曲はあるものの、前年から大幅にランクイン曲数を落としてしまいます。そして翌年以降も復調することはなく、「洋楽シングル盤ヒット時代」は、終焉を迎えたのでした。
理由としては、洋楽はすでにアルバム時代を迎えていて、そちらにユーザーが流れたことが挙げられると思いますが、和製の若者向け音楽が台頭してきたことも、無関係ではなかったと思われます。

〇1973年

①アイドルポップス系19曲(+10)
②歌謡曲ポップス系13曲(ー12)
③演歌・ブルース系10曲(+5)
④フォーク・ロック系6曲
⑤洋楽系2曲(-3)

この年、ついにアイドル・ポップスが売上で、「大人の歌謡曲」を凌駕します。「恋する夏の日」などで連続ヒットの天地真理、「赤い風船」の浅田美代子、「わたしの彼は左きき」の麻丘めぐみに、「ひなげしの花」のアグネス・チャン。これに「裸のビーナス」の郷ひろみ、「ちぎれた愛」の西城秀樹、「君が美しすぎて」の野口五郎の新御三家、さらに「個人授業」のフィンガー5が一斉に揃い、一気に全盛を迎えました。

このあおりで、アダルト歌謡曲は、沢田研二の「危険なふたり」、ちあきなおみの「喝采」の大ヒットはあるものの、大きく後退してしまいます。
その一方で演歌は、ぴんからトリオと「なみだ恋」の八代亜紀、五木ひろしを中心に巻き返し、「アイドル」「演歌」の二分化傾向を見せ始めます。
フォーク・ロック系はガロの「学生街の喫茶店」、チューリップの「心の旅」、かくや姫の「神田川」の大ヒットで、強烈な印象を残しました。
洋楽は停滞したままでしたが、そうした中でカーペンターズが「イエスタデイ・ワンスモア」をヒットさせ、「日本で売れる洋楽アーティスト」の地位を確立させました。


〇1974年

①アイドルポップス系17曲(-2)
②歌謡曲・ポップス系11曲(-2)
 フォーク・ロック系11曲(+5)
④演歌・ブルース系10曲
⑤洋楽系1曲(-1)

アイドル系は「学園天国」のフィンガー5に「よろしく哀愁」の郷ひろみ、「激しい恋」の西城秀樹に、いよいよ「ひと夏の経験」で山口百恵が加わって、天地真理に代わる、ジャンル内の世代交代を見せます。
フォーク系は小坂明子自作の「あなた」が大ヒット。
演歌系は殿さまキングスの「なみだの操」、渡哲也の「くちなしの花」と渋い曲がヒット、森進一も好調。歌謡曲系に入れた中条きよしの「うそ」も含め、チャートに渋い大人の匂いが復活しました。
「積木の部屋」の布施明、「追憶」の沢田研二も、歌謡の両翼という存在感を示しましたね。
邦楽各ジャンルがせめぎあう中で、洋楽は前年から引き続きの「イエスタデイ・ワンスモア」のみのランクインでした。

〇1975年

①アイドルポップス系20曲(+3)
②演歌・ブルース系11曲(+1)
③歌謡曲・ポップス系9曲(-2)
④フォーク・ロック系8曲(-3)
⑤洋楽系2曲(+1)

アイドルの分野ではこの年、桜田淳子が「はじめての出来事」などで山口百恵をしのぐ活躍を見せ、さらに実力派新人の岩崎宏美が「ロマンス」で大ヒット、キャンディーズが「年下の男の子」でブレイクし、新御三家も軒並み好調で、他ジャンルを突き放す勢いを示しました。
演歌では新人の細川たかしが「心のこり」で、歌謡曲では布施明が「シクラメンのかほり」、沢田研二が「時の過ゆくままに」で奮闘、フォーク・ロック系では「想い出まくら」の小坂恭子、そして「スモーキン・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」のダウンタウン・ブギウギ・バンドの好調が目立ちました。
洋楽は「プリーズ・ミスター・ポストマン」「オンリー・イエスタデイ」で、カーペンターズが一人気を吐く状況が続きます。

〇1976年

①アイドルポップス系20曲
②フォーク・ロック系12曲(+4)
③歌謡曲・ポップス系11曲(+2)
④演歌・ブルース系4曲(-7)
⑤洋楽系3曲(+1)

「およげ!たいやきくん」が音楽史上最高の売上を記録した年。
アイドルの分野では太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が大ヒットし、山口百恵の転換点となった「横須賀ストーリー」、キャンディーズの「春一番」、岩崎宏美の「ファンタジー」などで、量のみならず質的にも絶頂を迎えました。
フォーク系も「あの日に帰りたい」で、ついに荒井由実が登場し、イルカの「なごり雪」、小椋佳の「めまい」と、ヒットが並びます。
歌謡曲は中村雅俊の「俺たちの旅」、あおい輝彦の「あなただけを」が大ヒット。ただ「俺たち~」も前年の「シクラメン~」も小椋佳作曲なので、もはや歌謡曲の中身自体が、大きく変質してきています。
演歌は都はるみの「北の宿から」があったものの、全体では不振傾向。
洋楽はテレビ番組発の「ビューティフル・サンデー」が192万枚の大ヒット、ジャニス・イアンの「ラブ・イズ・ブラインド」もヒットしました。

〇1977年


①アイドルポップス系21曲(+1)

②歌謡曲・ポップス系13曲(+2)
③フォーク・ロック系7曲(-5)
④演歌・ブルース系5曲(+1)
⑤洋楽系4曲(+1)

アイドル系はピンク・レディーが「SOS」「カルメン77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」とミリオン級の大ヒット連発となり、空前のブームを巻き起こします。山口百恵も「イミテイション・ゴールド」、解散騒動のキャンディーズも「やさしい悪魔」でヒットし、前年に続き充実度を誇ります。
歌謡曲系では沢田研二が「勝手にしやがれ」で阿久悠との路線を確立し、
小柳ルミ子の「星の砂」、狩人の「あずさ2号」と、久々に歌謡曲らしい楽曲もヒットしました。一方で演歌系は石川さゆりの「津軽海峡冬景色」があったものの、全体的には低調が続きます。
フォーク系はさだまさしの「雨やどり」などあったものの、やや沈静気味。しかしこれは一時の凪にすぎず、翌年には大爆発を起こします。
洋楽では「カントリー・ロード」のオリビア・ニュートン・ジョン、「ホテル・カリフォルニア」のイーグルス、そしてミル・マスカラスのテーマとなった「スカイ・ハイ」と、洋楽ヒットらしさが少し戻りましたね。


〇1978年

①ニューミュージック(フォーク・ロック)系25曲(+18)
②アイドルポップス系11曲(-10)
③歌謡曲・ポップス系8曲(-5)
④洋楽系4曲
⑤演歌・ブルース系2曲(-3)

この年、ついに「70年代の第二の地殻変動」が起こります。
前年までは「フォーク」として括られていたジャンルが、そのカテゴリーにおさまらない自作系のアーティストたちのヒットがあふれだし、「ニューミュージック」と呼ばれるようになります。
中島みゆきの「わかれうた」、渡辺真知子の「迷い道」、ツイストの「宿無し」、アリスの「冬の稲妻」、そしてサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」、原田真二の「キャンディ」等々。
さらにこのニューミュージック系の曲は、企業タイアップのCMソングに次々に起用されて、新たなヒットの方程式が誕生します。堀内孝雄の「君のひとみは10000ボルト」、松山千春の「季節の中で」等々(生活感を前面に出した「フォーク」からの劇的な転換とも言えます)。

この圧倒的なブームの中で、アイドル系はピンク・レディーの「UFO」「サウスポー」、山口百恵の「プレイバックPART2」、歌謡曲系は沢田研二の「サムライ」など、強いところは強さを示すものの、量的にはニューミュージックに圧倒されてしまいます。演歌系に関しては、この年はほとんど顔色がない感じです。
そうした中で洋楽はビリー・ジョエルの「ストレンジャー」、ビー・ジーズの「恋のナイト・フィーバー」、サンタ・エスメラルダの「悲しき願い」など、印象的なヒット曲がありました。


〇1979年

①ニューミュージック系26曲(+1)
②アイドルポップス系9曲(-2)
③演歌・ブルース系7曲(+5)
④歌謡曲・ポップス系6曲(-2)
⑤洋楽系2曲(-2)

前年をさらに超える、ニューミュージック全盛の年となりました。
さだまさしの「関白宣言」、アリスの「チャンピオン」、サザンオールスターズの「いとしのエリー」が揃い、これにゴダイゴの「ガンダーラ」「銀河鉄道999」、甲斐バンドの「HERO」などのタイアップヒットも加わり、
最強のラインナップで、売上では他ジャンルを圧倒しました。

ただこの年は、他ジャンルは量的には後退しながらも、それぞれ強力なヒット曲を生み出しています。
歌謡曲系ではジュディ・オングの「魅せられて」が、CMタイアップという、ニューミュージックの手法でミリオン・ヒットを飛ばします。
アイドル系では西城秀樹がヴィレッジ・ピープルのカバー「YOUNG
MAN」で大ヒット。そして演歌系は渥美二郎の「夢追い酒」、小林幸子の「おもいで酒」、千昌夫の「北国の春」が、それぞれミリオンのヒットとなっているのです。
結果として、後年まで歌い継がれるスタンダード曲が目白押しとなり、この年こそが「日本音楽史上最高の、黄金の年だった」と語る人も多いです。
ニューミュージックの刺激が、音楽業界を活性化させた一年といっていいでしょう。

そしてこの年の11月、近年になって世界的ヒットとなった松原みきの「真夜中のドア」も発売されて、1970年年代が締めくくられるのでした・・・


というところが、売上から見た70年代の流行音楽の変遷でした。
1970年、万博の年は、大人のための流行歌謡が巷にあふれ、若者はラジオで洋楽ヒットに耳を傾けていました。
その図式が、アイドルポップとフォークによって崩れ去り、大人歌謡は後退し、洋楽はシングルからアルバムの時代になった。
そうして、78年にフォーク系はニューミュージックに発展拡大して、業界を支配した。その独占状況に対抗すべく、歌謡曲も演歌もアイドル系も必死になり、名曲を生み出した・・・
といった流れになるのではないでしょうか。

10年の間に、これだけの劇的変換が起きたことは特筆すべきことで、この時代は本当に、研究するに価値ある時代だなと、再認識しました。

〇おまけ
私はプロレスファンなので、プロレスラー入場テーマ曲の元祖にして最大のヒット曲である「スカイ・ハイ」の映像を、記念に入れておきます。


















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