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昭和40年代の特撮アニメ視聴率戦争

近年のアニメや特撮ジャンルの人気番組、視聴率上位の番組は顔ぶれが固定化していて、今から10年時間を遡っても「ワンピース」「名探偵コナン」「仮面ライダー」シリーズと、あまり新陳代謝がありません。
しかしかつて、アニメ特撮番組の黎明期であり、全盛期であった昭和40年代(1965年~1974年)の10年には、入れ代わり立ち代わりの壮絶な、子供向けヒーロー番組の覇権争いが繰り広げられていました。
その視聴率バトルを実感してもらうべく、各回ごとの詳細なデータが残っている人気番組の視聴率を、年ごとに紹介してみたいと思います(基本的に、ヒーロー的な要素を含んだ番組に限定しています。視聴率はビデオリサーチより)

その前史

子供向けのドラマで最初に覇権を握ったのは、1958年の『月光仮面』でしょう。以降1959年『七色仮面』、1960年『怪傑ハリマオ』、1962年『隠密剣士』といった、正義のおじさんが活躍するややアナクロ風味な実写ドラマが人気を博していきました。
しかし1963年に手塚治虫のアニメ『鉄腕アトム』がスタートしたことで、この状況は一変します。動きの少ないリミテッドアニメとはいえ、描かれる世界は近未来の科学空間。そこで縦横無尽にロボット、アトムが活躍する様を見せられた日には、子供たちはもうアナクロヒーローには戻れませんでした。
視聴率的には1963年の「ブラックルックスの巻」が35.1%、1964年の「イルカ文明」が40.7%と、驚異的な数字をあげ、後続のアニメ番組を寄せつけない強さを示しています。

昭和40年(1965年)鉄腕アトムの独走

<1月~6月>※それぞれの期間の最高視聴率
鉄腕アトム「メトロモンスター」39.1%
<7月~12月>
鉄腕アトム「ルイ王子」36.9%

ということで、昭和40年代の幕開けの年の「ヒーロー(子供)番組の
覇権を握ったのは、断然『鉄腕アトム』でした。それぞれの期間の最高視聴率をあげると上記のようになりますが、実に凄まじい視聴率です。生活ギャグ番組として『オバケのQ太郎』が視聴率35%をあげていますが、他のヒーロー的なアニメは良くて視聴率は20%台。まさに無人の野を行く、アトムの一人勝ちのように見えたのですが・・・・

昭和41年(1966)ウルトラマンの衝撃

<1月~6月>
ウルトラQ「ガラダマ」39.2%
鉄腕アトム「アトム深海を行く」31.7%
<7月~12月>
ウルトラマン「遊星から来た兄弟」39.8%
ウルトラQ「206便消滅す」36.4%
鉄腕アトム「青騎士(後編)」30.7%

何と恐ろしいことに、この年正月にスタートした円谷プロの『ウルトラQ』により、子供たちの関心は一気に怪獣に集まってしまい、アトムはあっさりと視聴率王座を奪われてしまったのです。この期間の最高視聴率だけは30%を超えているものの、アトムのほとんどの回の視聴率は20%台で、明らかに「子供の客をウルトラに奪われた」のです。
その状況を決定づけたのが、7月にスタートした『ウルトラマン』。『Q』にあった怪獣要素を、ウルトラマンというヒーロー要素に結びつけ、毎週凄まじい特撮怪獣バトルが実写で見られるわけですから、もはやアトムにはかなうべくもなく、この年の暮れに最終回を迎えたのでした。
子供番組の派遣ヒーローが、アトムからウルトラマンに移った、歴史的な年と云えるでしょう。

昭和42年(1967年) ウルトラマンからセブンへ

<1月~6月>
ウルトラマン「小さな英雄」42.8%
キャプテンウルトラ「宇宙ステーション危機一髪」32.2%
<7月~12月>
ウルトラセブン「緑の恐怖」33.8%
キャプテンウルトラ「まぼろし怪獣ゴースラーあらわる」28.5%

『ウルトラマン』の視聴率はついに40%を超え、社会現象としての怪獣ブームを巻き起こしましたが、その人気を支える特撮の製作時間、予算のコントロールが困難となり、39話で終了せざるを得ませんでした(このへんがリミテッドの製作体制を確立したアニメとの差になっていきます)。
東映製作の『キャプテンウルトラ』をはさんで、秋からスタートした『ウルトラセブン』は、ウルトラマンと同じM78星雲出身の宇宙人という設定を引き継ぎながら、宇宙からの侵略にテーマを絞り込んだ、よりハードな路線になりました。怪獣ブームの中でのこの選択は実に意欲的で、視聴率もマンよりは少し落ちたとはいえ30%台を確保し、ウルトラの覇権を守り抜いたと
云えるでしょう。

昭和43年(1968年)ウルトラセブンの退場

<1月~6月>
ウルトラセブン「地底GO!GO!GO」31.6%
ゲゲゲの鬼太郎「ゆうれい電車」20.3%
巨人の星「めざせ栄光の星」18.1%
<7月~12月」
ウルトラセブン「史上最大の侵略(後編)」28.5%
巨人の星「悲運の強打者」26.7%
ゲゲゲの鬼太郎「ひでり神」21.6%

年が明け、春ごろまでは視聴率30%前後を確保していたセブンですが、4月ごろから視聴率は20%台後半から20%台前半に落ち、10%台を記録することもありました。内容がマンと比べて地味である点、そもそも特撮怪獣路線(セブンは必ずしも怪獣モノではないのですが)に飽きがきていた点が理由としてあげられますが、この頃の子供たちの、常に新しいものを求めるサイクルの速さが関係しているのかもしれません。
セブンは最終回で低迷してしていた視聴率を挽回しましたが、これでウルトラシリーズは一区切りとなってしまいます。
セブンと前後して、「怪獣から妖怪ブームへ」と云われて『ゲゲゲの鬼太郎』が登場し、安定した視聴率をあげます。そして同じく少年マガジンに連載されていた『巨人の星』が、少年編、青雲高校編と徐々に視聴率をあげていき、翌年以降のスポ根ブームにつなげます。

昭和44年(1969年)星飛雄馬の飛躍

<1月~6月>
巨人の星「堀内に挑むライバル」32.2%
ゲゲゲの鬼太郎「海じじい」22.0%
<7月~12月>
巨人の星「傷だらけのホームイン」36.2%
柔道一直線「くたばれ大豪寺」30.7%
タイガーマスク「誰のためのファイト」25.5%

この年に入ると『巨人の星』では星飛雄馬がいよいよ巨人軍に入団し、秋頃には魔球大リーグボールを完成させます。大河ドラマである『巨人の星』では、ストーリーの進展と共に視聴率が上昇する連動性があり、花形との対決において、ついに視聴率は36%を記録。ここに新たなる子供ヒーローの覇権を確立したのであります。
そしてこの『巨人の星』の人気によって、同じ梶原一騎原作のスポ根モノが次々にテレビ化。『柔道一直線』はウルトラシリーズと同じTBS日曜7時のタケダアワーの放送で、時代の移り変わりを象徴していました。

昭和45年(1970年) スポ根絶好調

<1月~6月>
巨人の星「飛び立つ星」36.7%
タイガーマスク「黄金仮面との死闘」32.0%
柔道一直線「竜虎の決闘」23.9%
あしたのジョー「赤い夕陽に吠えろ!」19.4%
<7月~12月>
巨人の星「左門の挑戦」35.6%
あしたのジョー「明日への挑戦」29.2%
タイガーマスク「若鷲と猛虎」28.5%
柔道一直線「爆発!柔道メイト」21.7%

歴史に残る梶原一騎のスポ根イヤーとなりました。『巨人の星』は消える魔球の大リーグボール2号が登場し、少年マガジンで人気を二分していた『あしたのジョー』もついにアニメ化(それを製作したのがアトムの虫プロだったことも、時代の流れを象徴しています)。怪奇な覆面レスラーが登場する『タイガーマスク』はこの時代、特撮ヒーローの代替にもなっていましたね。
梶原作品以外にも『サインはV』と『アタックNO.1』がそれぞれ視聴率30%台、20%台を獲得していましたから、この年ほど一つのジャンルに人気番組が集中した例は、他にないかもしれません。

昭和46年(1971年)群雄割拠、空前の戦国時代

<1月~6月>
帰ってきたウルトラマン「怪獣総進撃」26.4%
あしたのジョー「燃えつきた命」26.4%
巨人の星「グラウンドの孤独者」25.2%
柔道一直線「この長い柔の道」23.8%
タイガーマスク「掟破りの挑戦者」18.9%
仮面ライダー「トカゲロンと怪人大軍団」18.0%
<7月~12月>
帰ってきたウルトラマン「ウルトラの星光る時」29.0%
仮面ライダー「殺人女王蜂アリキメデス」27.7%
巨人の星「輝け!巨人の星」24.7%
あしたのジョー「燃えろ遠く輝ける明日に」20.6%
ゲゲゲの鬼太郎「やまたのおろち」20.4%
タイガーマスク「去り行く虎」17.8%

この年こそ、空前の子供番組群雄割拠、激突の年と云えるでしょう。
ブーム最中のスポ根モノに、児童を中心に人気再燃の兆しがあったウルトラマンが「帰ってきて」、視聴率バトルに参戦したのですから。
『巨人の星』は裏番組の『スペクトルマン』に食われて視聴率が落ち、『あしたのジョー』も力石徹の死というクライマックス以後は、視聴率が落ちました。
とはいえ『帰ってきたウルトラマン』も、スポ根に影響された作劇が影響してか、初代のような視聴率の伸びはなく、首位はキープしても、他番組を完全には突き放せないダンゴ状態でした。
この混線の中から、初回放送は視聴率8%だった『仮面ライダー』が、思わぬ伏兵として抜け出していきます。等身大の怪人アクションというのは、ウルトラマンをプロレスとすれば、(当時ブームだった)キックボクシングのようなスピード感があり、旧1号編の時点でも視聴率は18%まで伸びていました。これに2号編になって変身ポーズが加わり、さらに人気は加速し、
秋には視聴率は20%台後半に伸びました。これに刺激されたか『帰ってきたウルトラマン』も後半は視聴率を盛り返し、ライダーと毎週、勝ったり負けたりの激闘を繰り広げました。
『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』は9月に放送が終了し、スポ根の時代も終了したのでした。

昭和47年(1972年)仮面ライダーのブーム

<1月~6月>
仮面ライダー「マグマ怪人ゴースター桜島大決戦」30.1%
帰ってきたウルトラマン「ウルトラ5つの誓い」29.5%
ウルトラマンA「輝け!ウルトラ五兄弟」28.8%
ゲゲゲの鬼太郎「地獄の水」21.1%
<7月~12月>
ウルトラマンA「奇跡!ウルトラの父」26.3%
仮面ライダー「仮面ライダーは二度死ぬ」25.5%
マジンガーZ「マジンガーZ消滅作戦」19.3%
ゲゲゲの鬼太郎「死神のノルマ」16.9%

カードの入ったスナックが大ヒットとなり、『仮面ライダー』の変身ブームは社会現象になっていきました。1号2号のWライダーの共演で視聴率も30%を超え、ウルトラシリーズが『A』に代わると、視聴率は完全にライダー優位となりました(「奇跡!ウルトラの父」はイベント回としての例外です)。ここに子供番組の覇権は、仮面ライダーの手に移ったと云えるでしょう。『キカイダー』や『バロム1』など東映の変身ヒーロー作品が相次いで製作されたのも、その証です。
この時期『ゲゲゲの鬼太郎』第二期が放送され、派手さはないものの、安定した視聴率を稼いでいました。この安定感は、現在まで新シリーズが続く要因となったことでしょう。
そしてこの年の暮れ、王位についた仮面ライダーを早くも脅かす番組がスタートします・・・

昭和48年(1973年)マジンガーZの出現

<1月~6月>
仮面ライダーV3「V3の26の秘密?」28.2%
仮面ライダー「ゲルショッカー首領の正体」25.7%
マジンガーZ「飛行魔獣デビラーX」25.0
ウルトラマンタロウ「ウルトラの母は太陽のように」21.7%
ウルトラマンA「山椒魚の呪い」19.4%
<7月~12月>
マジンガーZ「炸裂!ロケットパンチ」29.9%
ウルトラマンタロウ「ウルトラ父子餅つき大作戦」20.2%
仮面ライダーV3「V3対ライダーマン」20.1%

『仮面ライダー』の最終回から『V3』への引継ぎイベントは大成功して、視聴率は再び28%まで上昇。いよいよライダーの王位は盤石・・・と思っていた矢先に、みるみる『マジンガーZ』の視聴率が上昇。それに反比例するように『V3』の視聴率が下降するという、まさかの現象が起こります。
この時代の子供たちの新しいモノへの貪欲さというか、スーパーロボットという新しい要素に、アッという間に飛びついてしまいました。
かくして、子供番組の覇権はマジンガーZの手に移ったのです。
またこの年『科学忍者隊ガッチャマン』も視聴率26.5%を記録したデータがあり、アニメのメカニック性の魅力が特撮を凌駕する勢いでした。

昭和49年(1974年)オイルショックの中で

<1月~6月>
マジンガーZ「地獄の用心棒ゴーゴン大公」30.4%
仮面ライダーV3「デストロン最後の日」22.2%
仮面ライダーX「一つ目怪人の人さらい作戦!」22.2%
ウルトラマンタロウ「怪獣サインはV」20.8%
ウルトラマンレオ「セブンが死ぬ時!東京は沈没する!」17.8%
<7月~12月>
グレートマジンガー「(視聴率データ不明)」
マジンガーZ「デスマッチ!甦れ我等のマジンガーZ」22.6%
仮面ライダーアマゾン「走れ!怒りのジャングラー」18.4%
仮面ライダーX「さらばXライダー」17.1%
ウルトラマンレオ「かぶと虫は宇宙の侵略者」13.6%

前年暮れにオイルショックが起こり、それまでの高度成長に陰りが見えたことは、製作者にも視聴者にも、様々な暗い影を落としました。
マジンガーシリーズは相変わらず好調でしたが、仮面ライダーもウルトラも視聴率は低落し、特に『レオ』は視聴率一桁を記録するほど落ち込み、翌年3月にはシリーズ終了となります。
偶然か必然かはわかりませんが、この年を境に新たな覇権ヒーローが次々現れるようなダイナミズムは失われた気がします。
実際記録を見ても、この後は『グレートマジンガー』『グレンダイザー』の高視聴率が確認されるのみで、特撮は『秘密戦隊ゴレンジャー』があったくらいです。
見方を変えれば、鉄腕アトムから始まったヒーローの覇権バトルは、最終的にマジンガーZに王座が渡り、彼が永世王者となって締めくくられたということなのかもしれません。

その代わりと言っていいのか、この年の10月に『宇宙戦艦ヤマト』が放送され、「放送当時の視聴率は不振だが、その後マニアのファンがつき、再放送で大人気、劇場版制作へ」という、新たなオタクムーブメントが到来します。

総括

昭和40年 鉄腕アトム
昭和41年 ウルトラマン
昭和42年 ウルトラマン
昭和43年 ウルトラセブン
昭和44年 巨人の星
昭和45年 巨人の星
昭和46年 仮面ライダー
昭和47年 仮面ライダー
昭和48年 マジンガーZ
昭和49年 マジンガーZ

子供ヒーロー番組の年間の視聴率覇権王者を決めるとしたら、こんな感じに
なると思います(46年は『帰ってきたウルトラマン』と接戦ですが、印象度で『仮面ライダー』に)
今では考えられないほどの激しく熱い視聴率争い、政権交代のバトルにさらされた昭和40年代のヒーローたち。その代わり彼らの多くは、現在までもシリーズが製作されるロングセラーなヒーローになっています。
そのことは大いに祝福したい事実であります。



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