永興寺の法話

令和5年10月15日(日)永興寺の法話を聞いた。
心が震え、心が涙であふれた。

その日は、なんとなくお散歩したい気分だったので吉香公園にふらっと立ち寄った。
まずは、お散歩する前にお参りしようと地図案内の看板で目についた「永興寺」に向かった。
ちょうど良いタイミングで法話がはじまるという。

午前10時〜午前11時30分のうち、最初の30分は若いお坊さんの観音様の解説。
後半が和尚さんのお話だった。

和尚は現在83歳で、来年の秋分頃にこの永興寺を次の方に引き継ぐという。
そのため、法話はこれまでの結論をお話するようになるだろうとのことだった。
このようなタイミングで和尚のお話にふれることができたのは本当に有り難いことだと思った。

結論
    「自分をなくすこと」

自分をなくすこととは、感情を捨てること。自分をなくせば、正しい方向に動く。
自分をなくせば、正しいものの考え方ができるという教え。

ただし、人として生活していると欲はある。ただ、その無理を何とかしようとする。
こういう教えがあると知って、欲を捨て感情を捨てる。
この「教えがあると知った上で」その方向へ向かうというのが一番大切であるということだ。
自分をなくす(感情を捨てる)のは難しい。
その「はざま」で、うまくやっていこうとすることが大切だと。
83歳の和尚は最近になってそのことがわかってきたとおっしゃっていた。


仏門に入ると毎日毎日同じことを繰り返す生活を送ることになる。
同じことを繰り返す意味は、まさに自分を捨てる(なくす)ための修行であると。

出家する人は、家を出て仏門に入る。
家を出ることができない私たちは、しがらみからは逃れられないかもしれない。
ただ、和尚のいうようにそういう教えがあることを知った上で自分をなくすように努めることこそが本物であると思う。

お寺は、私たちの愚痴を聞いてくれる場所であるようだ。
愚痴や怒りは人に向けるとケンカになるので、お寺に行って仏像の前で愚痴をいって心をスッキリさせる。
そうすることで、自分をなくす方向に近づける。

私見だが、お寺に行くことが難しければ、紙に愚痴を書くのもオススメだ。
愚痴や怒りや悲しみや辛さがあるのは人間として当然のこと。
その感情から目をそむけず、蓋もせず、大切にし、認める。
そしてその感情を捨てる。

自分をなくすことで、はじめて新しいことが入ってくる。
吐き出したら吐き出すほど、新しい考え方が入ってくる。
呼吸も同じで、まずは思いっきり吐き出す、そして吸う。

それは体にも同じことがいえる。
どんどん吐き出すことが大切。
そして取り入れる。
循環をよくすると体の調子がよくなる。
循環が滞ると病気になってしまうということだ。

「心身」のうち、身は目に見えるものだが、心は自分で治すしかない。
そのためにお寺があるのだそうだ。

お話の中、和尚の目に涙が浮かんでいるように見えた。
一つのことを長年追求した深みと重みが、表情や言葉の一つ一つに溢れていた。

有り難いお話に出会えた。
法話に巡り会えたことに感謝します。








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