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りぼーん 第15話

60歳を半年後に迎える田中が、その先を考えて選んだ仕事を縦糸に、
田中の父との日々や、コロナ禍で生きる市井の人々を横糸にした話。

前回まで
コロナ禍の人々⑤

目次
・コロナ禍の人々⑥

コロナ禍の人々⑥

・2020年4月下旬の朝、田中はそろそろ帰庫時間だなと思いながら、羽田から都心に向かっていた。
新橋の外れで女性の手が上がったのを見た。

その女性は、西新宿に向かうよう言い、シートベルトを締めるや否や、自分の置かれた状況を語り始めた。その朝は、1週間に2日だけ出社するうちの1日らしい・・・

出納「私、このコロナ騒動が無ければ、会社を辞めるつもりでいたんです」

田中「そうなんですか、それはまたどうして?」

出納「中途採用をしている会社なんですが、その割には考え方が古い方が多くて、やれ残業が少ないとか、休日出勤してないとか、まったく意味ないポイントで人事評価している管理者が多いんです。
仕事の成果ではなくて」、

「私は入社して4年目ですが、それなりに仕事を任されてきました。ただ、それに伴って雑用が増えて、自分の仕事に集中できないんです。時間を持て余している人は、社内に沢山いるのに…」

田中「なるほど、時代に合わせた仕事をしたいと思っている経営者と、その変化に付いていけない、若しくは付いていきたくない人達が、お客様の会社の上層に居るということですかね❓」

出納「その通りなんです、何で運転手さんわかるんですか❓ 実は、分かるかな?と思って喋っちゃったんですけど…(笑)」

田中「一年前までは会社員でしたので…(笑)」

出納「それで辞める理由は、私の仕事はテレワークで十分できるので、テレワーク対応を今年中に会社がしないのなら、辞めるつもりでした。
鎌倉に家があるので」

田中「(・・・うんうん)なるほど」

出納「ところがこのコロナ騒動で、会社が100%テレワークにすると、言い始めちゃったんです(笑)」

田中「あらまぁ、(笑)。でも先ほどお客様は新橋から、ご乗車されましたが」

出納「仕方なく、新橋に部屋を借りています、それなりに頑張る性格なので(笑)」、

「私の就職は2000年で、就職氷河期と言われた時期です。私は、運よく前の会社に内定を貰いましたが、友人の中の1人は内定が得られずに自殺した女性(ひと)がおりました」、

「彼女はとても優秀で、成績なんか私よりズーッと良かったのに、何もしてあげられなくて…。
一社も内定が出なくて悩んでいました」

田中「…冷たく聞こえるかもしれません、それは仕方のない事だと思います。その女性(ひと)は優秀で真面目な方だったのでしょう、それだけに可哀そうですね。
でも、他の皆さんも懸命な努力をされて、それぞれ就いてる仕事だと思います」、

「私も昔々・・・(笑)、希望の業界や会社に受け入れて貰えずに悩みました、が今もこうして生きています。死んでしまったら終わりです、仕事以前のことですね、当たり前ですが」

車はそろそろ新宿の大ガードを潜ろうとしていた、東京医科大学病院の先を曲がるように指示をされた。

出納「辞められなくなってしまったので、しばらく続けるしかないかな~、と思っています」

田中「そうですね、コロナが落ち着くまでは様子を見られた方が、賢いのではないでしょうか。
神様が、そう考えたのではないですかね」

出納「そうですね」

田中「身体を壊さぬように、万が一お辞めになるのであれば、転職先も先に見つけといた方が良いですね(笑)」

出納「ハイ、氷河期の人間なので、その辺は怠りなくしていきます(笑)」

田中「(笑)・・・」

田中があるビルの前に車を停め、出納が支払いを済ませると車の外に出て、言った。

出納「ありがとうございました、何かすっきりしました(笑)」

田中は大きく肯き、親指を立てた。

出納は大きな建物に吸い寄せられるように、しかししっかりした足取りで、入っていった。

突然、ビル風が吹いてきた、田中は好きな沈丁花の匂いがしたような、気がした。


2020年5月1日
コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、全日本交通は本体、直系子会社、フランチャイズを含む全支店の休業と稼働台数減、稼働時間短縮を決定した。
田中の会社も2週間の一斉休業を決定した。

5月4日 緊急事態宣言の延長が発令(31日まで)
5月14日 39県の緊急事態宣言が解除(首都圏、関西3府県、北海道を除く)
5月21日 関西3府県の緊急事態宣言を解除

肝心の東京の自粛状況は変わらず、都道府県を跨いでの不要不急の移動は制限され何も変化はない。

なるようにしかならないと田中は思っているが、有志や松本など年下の同僚の将来を考えると、憂いを感じる。

田中はこの業界に入る前から、長くても10年前後と何となく決めていた。住宅ローンが残るものの、息子も10年後には家庭をもって落ち着き、自身の最期の棲家も具体的になるであろう。

だが、彼らは少なくても今の田中と同じくらいの年齢まで、この業界に居るとしたら、それは少し長すぎると感じる。乗務してから日の浅い田中にとって、この仕事はそれ程容易な仕事とは思わないし、会社員から転職したらせいぜい長くて20年ぐらいが限度ではないだろうか。

一体どんな気持ちで仕事を続けていけるのか、田中には想像もつかないし、その事が喉の奥に刺さった骨のように、何ともやり切れない気持ちになるのである。
(まぁ、本人たちは意外とのんびり考えているかもしれないが・・・(笑))

5月17日から乗務が再開された。


次回予告:コロナ禍の人々⑦


 









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