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りぼーん 第16話 Sさん

60歳を半年後に迎える田中が、その先を考えて選んだ仕事を縦糸に、
田中の父との日々や、コロナ禍で生きる市井の人々を横糸にした話。

前回まで
コロナ禍の人々⑥

目次
Sさん

Sさん

2020年5月22日(金)18時、田中は無線で呼ばれ赤坂に向かっていた。
到着すると予約名のオオシロキョウコ様が、「進行方向が逆ですので向きを変えて下さい」と言われ、乗り込んだのは男性であった。

お送り先を伺うと品川のMホテルで、ご指定のルートがあるかと伺うと、少しぶっきら棒に答えが返ってきた。

発車後、何本か電話をしたり掛かってきたりしていた、話しの断片を聞くとはなしに聴いていたが、会話の内容が・・・。

もしかするとと思い、改めて話しを聞いてみる・・・、ヤッパリそうだ。

数件のやり取りを済ませてたその男性(ひと)は、車窓の外を見ていたので田中は思い切って声を掛けてみた。

田中「失礼ですが、S様ですか」

S「はい、そうです」

田中「少しお話をさせていただいてもいいですか?」

S「はい」

田中「先日、慈愛医大の医学生をお乗せしました。その時、彼にキリマンジャロの雪の話をさせていただきました。合わせて吉野川のことも…」

S「そうですか、それはどうもありがとうございます、宣伝をしていただきまして(笑)」、

「アッ❣ チョットいいですか❓ 停まっていただけますか。そこのカレー屋さん、開いていないと思ったのですが開いているので、チョット寄っていきたいんですが」

田中「畏まりました、こちらでお待ちしております。あのお店は確か同郷のFさんも通ったお店として、TVで紹介されていました」

S「本当ですか❓」

車を改めて左の車線一杯に停め直して、田中は車外で待機した。10分ほど後、テイクアウトの袋を抱えたSが戻ってきた。

S「本当にF君も来るみたいですね(笑)。
あそこのカレーは昔イギリスで食べたカレーと同じなんですよ、肉も野菜も溶けてスープみたいになっている。チョットお高いんですが(笑)」

車内に戻り、

S「それでその医学生は❓」

田中「はい、お父様も嘉応の医師で、妹さんも明治女子医大の医学生とのことでした。Sさんの本だけでなく赤鬼先生のこととか、ご存知ないんですね。
意外でした…」

S「嘉応はこの間やらかしましたね。医者と音楽家は世の中のこと、殆ど知らないですね。
未だに縦割りの社会で生きてますよ、彼らは。
本当は自分は参加したいが、その系列ではないからとか…、縛られているんだよね」

田中「Sさんは両方の世界に精通されてますからね(笑)」

S「いやいや、私なんかヤクザなもんですよ」

田中「本来のヤクザは世の為、人の為ではないですか」

S「そうだよね…」

車は敷地内の車寄せに向かいかかると、

S「運転手さん、気をつけて下さい。
此処は品川警察の稼ぎ場所だから(笑)」

田中「畏まりました、注意します(笑)」

荷物が3個にテイクアウトの袋だった、田中は降車してドアを開けた。

S「どうもありがとう、気をつけて」

田中「ありがとうございました、またご利用ください」

Sの背中を見ながら、田中は
「こんな事もあるんだな・・・」と独り言を呟き、気持ちが軽くなる感じがした。


5月25日、政府は東京・神奈川・千葉・埼玉・北海道の緊急事態宣言を解除し、1か月半ぶりに全国で解除された。

6月初旬、田中は乗務員の次のステップであるアッパータクシーの講習を受講した。

これは会社がかつて生き残りをかけて導入した、
重要な商品である。
もう1ランク上のサービスをお客様に経験していただき、固定客づくりというそれまでにない発想のものであった。

田中は、乗務員になって最低このレベルまでは到達したいと考えていた。これ以降は、その時々の環境や田中自身と折り合いをつけながらと、考えていた。


次回予告:コロナ禍の人々⑦、有志との昼食③







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