見出し画像

りぼーん 第1話

60歳を半年後に迎える田中が、その先を考えて選んだ仕事を縦糸に、
田中の父との日々や、コロナ禍で生きる市井の人々を横糸にした話。

前回まで
田中が5年務めている会社のこと、経営者のこと

目次
・社長との面談
・父との生活

社長との面談

社長「田中さん、時間が掛かってすみませんでした」

田中「いえ、簡単な事ではないので、お手数を掛けています」

社長「田中さんに6月以降にお願いしたい仕事は、商品の荷受け発送業務、やりたければ海外調達を含む輸入業務です」

ちなみに発送業務は、それまで営業担当者が担当顧客に向けて自分で荷造りし、発送していた。

社長の提案は、総ての荷受けと発送を田中の新しい業務と、定義した。

同時に営業職からは外れて内勤となり、
海外調達に関しては、年2回の欧州出張で取引のあるメーカーと直接交渉し、サンプル発注から製品輸入までを管理するという、
既存の業務内容と変わりはなかった。

社長「給料ですが、月額18万円です。ボーナスはありません」

田中「そうですか、わかりました。少し家族と相談させて下さい、来週の始めには返事をいたします。よろしいですか?」

社長「構いません」

田中は多少予測をしていたが、
現給の40%以上の減俸は、元々の本給を抑えられていた田中にとって受け入れがたく、感情を抑え、予定のセリフを伝えて面談を終えた。

予想通りとはいえ…、

田中は「新入社員の初任給並みか…、この5年真面目にコツコツと誰も出来ない業務を積み上げてきた結果がこれか…、

やりたければ…って、どういう風に理解したらいいのだろう」と、

複雑な想いを抱きながら実家に帰り、その日は何も無かったように食事をしてやすんだ。

その週末の土曜の夕食後、田中は妻の綾子と長男の皓太郎に会社の提案を説明した。

そして任期満了にて退社して、新たな職を探したいという田中の考えに、
綾子も皓太郎も賛同し、方向は定まった。

父との生活

田中は、90歳になる父の文雄と同居、していた。

文雄は要介護3、平日は午前から小規模多機能型居宅介護施設のデイサービスに行き、夕方帰宅するという生活を、
もう10年以上している。

2年ほど前の晩冬に肺炎に掛かり、2ヵ月の間に立て続けに入院したことをきっかけに、
認知症が進み独居は困難であると、医師からの所見を受けたからである。

いろいろと考え家族にもそれを伝えて、田中は身の回りの物を少しずつ運びながら、同居を始めた。

暫くの間、文雄は会社から帰ってきた田中を玄関で迎えると、毎回「おー、来たのか…」と言った。

田中はその数年前に、2年ほど金沢に単身赴任していたことがあり、食事や掃除、洗濯などは一応はできたが、2人となると最初は戸惑った。

が、それも時間とともに慣れてきた。

彼を悩ませたのが、夜中に数回、トイレにいく文雄に起される事であった。

昼間はけして頻尿ではないが、夜間身体を横にすると物理的に水分が膀胱に戻り、尿意の頻度が増すらしいのである。

特に冬の早朝は、トイレの後、ベッドに戻った文雄がきちんと寝具を掛けているかを、確認しなければならなかった。

また予想していたが、殆ど自分から会話をしなくなった文雄を改めて認識し、母の没後の長い間を、独りにさせていたことを、悔やんだ。

田中は土曜に時々自宅のある荻窪に帰り、皓太郎や綾子との生活を取り戻していたが、
それも文雄がデイサービスから戻るまで、半日程度の時間であった。

同居から数か月もすると、自分の家でありながら何となく違和感を感じた。

複雑な思いで、文雄の家に戻っていった。

また、田中が転職してからは平日の休みが多くなり、パート勤めの綾子や会社員の皓太郎と生活リズムが異なるので、

誰もいない家に戻る事に、意味を無くしていた。

次回予告:亡き母のこと、子どもの頃のこと




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?