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りぼーん 第18話
60歳を半年後に迎える田中が、その先を考えて選んだ仕事を縦糸に、
田中の父との日々や、コロナ禍で生きる市井の人々を横糸にした話。
前回まで
・コロナ禍の人々⑦
・有志とのランチ③
目次
・2020年の夏
2020年の夏
6月中旬、都道府県を跨ぐ移動が解除された。
飲食店・ライブハウスなどへの休業要請も、
解除された。
が、下旬には新規感染者が1日当り100人を超え、
7月上旬には夜の街から人が消えた・・・
7月下旬、田中は18時過ぎのJL149便で青森に
向かった。
到着のアナウンスが流れる頃、群青色の闇の中に
岩木山が左手にその存在を静かに漂わせている。
夕焼けの残照が消えかかり、目を凝らさないと雄大なシルエットも見えないほどだ。
かすみは、コロナが無ければ1月に上京する予定であったが、叶わなかった。
かすみが迎えに来てくれた車の中で、
田中「夕飯はどうする…❓」
かすみ「そうね、どこが開いてるかしら…」
田中「でもその前にビールとお酒を
買っとかないと(笑)」
かすみ「それ、大事❣」
ほぼ1年ぶりに、再会した二人であった。
はじめは少しぎこちなく、ゆっくりとしたやり取りが続く。
が、30分もすれば元の二人に戻り、居酒屋に入った。
営業している店が少なく、店内も数えるほどの
人しかいなかった。
田中は静かになった東京と、どうしても比べてみてしまう。
少しづつ時間を取り戻すように、2人の会話は
穏やかなものだった。
翌日、田代平の湿原を散策し、冬季は立ち入れない八甲田温泉で入浴した。
どこに行っても人はまったくおらず、ほぼ貸切状態であった。
かすみ「マスクを取って、歩けるのがイイね❣」
田中「本当だよね~、コロナが終わってもこのままじゃ、マスク依存症になっちゃうヨ(笑)」
かすみ「夏の匂い、久しぶりに感じた(笑)」
夕飯はいつもの白頭山で焼き肉を楽しみ、
田中はようやく青森にいる実感が湧いてきた。
次の日は外ヶ浜までドライブをして、
旬のウニ丼に挑戦。
田中「失敗したナ~、日本酒があれば最高だったね(笑)」
かすみ「わかる~、私、日本酒は駄目だけど日本茶が欲しかった(笑)」
遥かに霞む下北半島を眺めながら、2人は陸奥湾の浜を歩いた。(もちろん、誰もいません😊)
次の晩、田中は仕事が終わったかすみと軽く夕飯を済ませて、東京行きの夜行バスに乗った。
田中の短い夏休みが終わった。
次回逢えるのはまた1年近くなるとは、この時2人は想いもしなかった。
コロナは人々のささやかな願い、楽しみ、望みを
一時的にでも奪った。オリンピックでさえも・・・
この災害を誰も予想が出来なかった未知なものであったとしても、田中は年内には収束できると思っていた、そう願っていた。
然しながら、事はそう単純ではなく、何時になったら元の生活に戻れるのか、戻れないのか、わからないまま不慣れな不安な日々を過ごした。
8月3日 都内全域の飲食店やカラオケ店の営業時間を午後10時までに短縮する要請が発令された。
8月8日 翌日から短い盆休みに入る田中と有志は、暑気払いを兼ねた昼食を共にした。
その晩から、田中は37度の微熱を出した、翌日も翌々日も同じような状態であった。漢方薬や解熱剤を服用しても、熱は中々下がらなかった。
自宅のある荻窪であれば、昔からのかかりつけ医がいるが、実家では両親共に大学病院に通っていたので、田中が受診することは無理であった。
文雄がデイサービスに行っている間だけ、田中は眠ることが出来た。
流石に田中は最悪のケースを想定した、田中がコロナ陽性=文雄に感染、時間の問題・・・。
2人とも入院出来たらいいが、一方が残るケース
もあり、考え始めると熱どころではなかった。
田中は、2人分の入院の用意をした。
2日目からコロナコールセンター、保健所や個人病院などインターネットで調べた限りの機関に連絡を取り始めた。
結局、繋がったのは3日目の午後、
実家に近い個人医で、都立病院でPCRの検査が
できるよう手配して頂いた。
4日目の午後、PCR検査を受け、結果は翌々日に
陰性とでた。
田中は流石に安堵した、少し強めの解熱剤を
服用し始めていたので、熱も平熱まで
下がっていた。
医療機関の現場での混乱や戸惑いを、TVのニュースではなく、実感した。
8月下旬、区役所から文雄の特別養護老人ホーム
への入所案内が届いた。
次回予告: 文雄の入所