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りぼーん 第19話

60歳を半年後に迎える田中が、その先を考えて選んだ仕事を縦糸に、
田中の父との日々や、コロナ禍で生きる市井の人々を横糸にした話。

前回まで
・2020年の夏

目次
・父の入所

父の入所

田中は申し込みから、予想外の早い入所許可に驚きと戸惑いを感じた。

所謂、世間で言うところの数年待ちを、
何となく想定していたから・・・。

しかし、このタイミングを逃すべきではないと考えて、9月下旬に入所する手続きを、田中は進めた。

2020年5月1日からのコロナ休業期間中に、田中は
区内の特別養護老人ホームの総てを、訪ねた。

施設や概要は、インターネットで閲覧することはもちろん可能ではあったが、施設の雰囲気や職員の様子を肌感覚で知りたかった。

コロナ禍で細部までは見学できなかったが、
実際に見学して良かったと感じた。

介護業界が身近なものになり始めてようやく20年、落ち着いてきた感じである。

が、業界自体の成熟には至っておらず、制度や現場で働く職員などへの報酬や待遇など、まだまだ改善が必要と思う。

田中は全7施設のうち、2施設の申し込みを決めて
ケアマネージャーと相談して申込書類を整えた。

現在、文雄が利用している小規模多機能型居宅介護施設は、平成18年頃(文雄が利用し始めた年)は全国で26施設しかなかったと記憶しているが、
今では5,000箇所を越えている。

この間、施設長やケアマネージャーが何人か変わり、職員の入れ替わりも珍しい事ではなかった。

ようやく文雄が慣れてきたなと感じ始めた頃に、
交代があると、また最初から人間関係のやり直しとなっていた。(文雄は要介護3であった)

施設や職員、またその対応に不満はなかったが、あくまでも健常者であることが条件で、看取り介護が出来ない規則で、おのずと対応に限界がある。

現在の利用者の中で、文雄が一番長く利用しており、91歳を超えいつ体調が崩れるか分からない上にこのコロナ禍で、万が一を考えないわけにはいかなかった。

2年前の様に肺炎を起こすたびに入院となると、
今の田中の仕事では対応できない時もある。

終の棲家となる施設に移行しなければいけない状況であり、田中自身もそろそろ自宅に戻らなけれいけない時期でもあった。

埼玉南部に住む姉の瑤子は、2年ほど前に連合いに
先立たれ、マンションで一人暮らしをしていた。

田中が乗務員の仕事を始めたのを機に、施設に宿泊させなければいけない時には、代わりに瑤子に一晩
面倒見るように依頼していた。

そろそろ父と姉の、最後の時間も意識していた。

多い時で月に3日ほど、田中は自宅に戻るか
乗務をすることができた。

瑤子からは早く特養に入所させるよう2年ほど前から言われていたが、田中は入所自体に大きな抵抗があった。

彼女の知り合いは早く親を入所させるために、わざわざ地方にある特養に申し込んだり、議員の伝手を期待して入所の順番を繰り上げること等、瑤子にアドヴァイスしていた。

今回、申し込み書類を整える上で、瑤子の名義や
連絡先を記入する必要があり、事前に了承を得るためにメールをしていた。

記入そのものは了解を得たが、一言「遅い」と叱られた。

ケアマネージャーによる所見を記入された書類は、
5月下旬に区に提出されたのであった。


あっという間に、その日が来てしまった。

その日、田中は乗務の明けの日で、前日に文雄宛に短い手紙を書いた。

母の葬儀が終わってからの10年の日々のこと、そしてこの3年のこと・・・。

先の見えない介護の中で、田中はそろそろ
次のステップに向かわなければならないと、
強く感じていた。

会社が開発したアプリで車を呼び、スーツケース3個を積んで父と綾子と施設に向かった。

初めて使用したアプリであったが、便利なものであると実感した(笑)。

以前は、家族も自由に個室内に入れたのであるが、コロナ禍であり身内といえども入室できるのはこの時だけで、次回以降は1階の面接室までである。

親を施設に預ける実感が無いまま、もやもやした
気持ちを抱えながら荷物を室内に運び込み、
荷解きと整理をした。

文雄は疲れたのか、ベッドに横になり目を閉じていた。

田中は、文雄の白いワイシャツ姿を久しぶりに見た。

どんなに素晴らしい施設であつても、身内を施設に入れることは、寂しさを伴う。

室内の準備が整い、そんな気持ちを吹っ切るように

田中「それじゃ、また来ますから」

文雄「そうか、ご苦労さん」

と言って文雄は手を挙げた、手には前日渡した手紙を握っていた・・・。


次回予告:皓太郎の結婚








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