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りぼーん 第20話
60歳を半年後に迎える田中が、その先を考えて選んだ仕事を縦糸に、
田中の父との日々や、コロナ禍で生きる市井の人々を横糸にした話。
前回まで
・父の入所
目次
・皓太郎の結婚
・皓太郎の結婚
田中は、文雄の入所から1ヵ月後に実家を明け渡す
ため、言うところの断捨離を始めた。
残ったものは有無を言わさず、荻窪の家に引き取らねばならない。
処分しずらい母の遺品や家財を目の前に、ため息をつきながら、毎晩処分の手を動かした。
初めて見る両親の子供の頃の写真、父の親戚への
手紙、両親の卒業証書や資格免許状、様々な旅行先での写真やお土産品、手放したら二度と見ることも触ることもできないものばかり・・・。
それでも10月の半ばまでに、どうにか終えることが出来た。
この時期、田中は長男皓太郎の結婚の件で、いろいろと確認やしなければならないことが、あった。
長男の皓太郎は長女の紗希子の7歳年下で、転勤先の大阪で生まれた。
田中は、皓太郎が幼稚園の時からサッカーと水泳を習わせた。
水泳は、バランスよく成長してほしいと思い、
サッカーは、田中自身が世界の共通話題であると
感じたからであった。
田中がサッカーの応援に行けたのは、せいぜい中学校の半ばまで。
小学生の頃は、毎週日曜にグランド整備やら試合の応援に行ったものであるが、思春期に入り止めた。
皓太郎が大学時代から付き合っていた女性、千尋と結婚したいという意向を聞いたのは、社会人になって間もない頃であった。
田中と綾子はそうなるであろうということは、予想がついていた。
ただ社会人として、仕事の勉強や会社人として様々な事を学ばねばならない為、視野も広げるようアドヴァイスはしていた。
それから4年の時が過ぎた。
2020年11月中旬の金曜日、皓太郎と千尋が白金の
壺中庵で挙式を挙げた。
千尋の両親と田中・綾子、紗希子・勇希夫婦と長男朔太郎の7名の列席。
風もなく日本晴れの日だった、広い日本庭園を孫の朔太郎は駆けずり回り、独り占めしていた。
当日の挙式は2組。
式場側はこの季節では前代未聞の状況であった、
総てはコロナの影響である。
然しながら式場側の感染予防への直向きな姿勢や、
2人や親族に対して丁寧な対応に、田中は頭が下がる思いであった。
披露宴の締めくくりの挨拶に、田中は式場への感謝の言葉を加えた。
多くの人に見守られ祝福される式と家族だけの式のギャップ、
人生の第二のスタートを切る若い2人が、したくても出来ないことへの想い、
田中は皓太郎のこれまでの歩みとともに、親としてもっと何かという想いや、出来ない無念さを含めた様々な思いが、交錯した・・・。
年が明けて2021年となった、2日に長男夫婦、
3日に長女一家の訪問を受け、田中は4日から乗務を再開した。
が、しかし田中は何か引っかかるものを感じていた、空は晴れ晴れとした日本晴れであったが・・・。
1月7日、政府は2月7日まで1都3県に対し2度目の緊急事態宣言を発令、続く13日に大阪、兵庫、京都、愛知、岐阜、福岡、栃木を追加対象とした。
(2月2日、栃木を除く10都府県で1ヵ月の宣言延長が表明され、3月21日、宣言はようやく全面解除となった)
田中は、正直やれやれと想った。
相変わらず宣言が解除のされる為の具体的なゴール設定がない事や、将来に対する明確な方針がなかなか表明されない事に❓を感じ、正月に感じたことはこれであったかと、思った。
次回予告: 有志とのランチ④、コロナ禍の人々⑧