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りぼーん 第3話

60歳を半年後に迎える田中が、その先を考えて選んだ仕事を縦糸に、
田中の父との日々や、コロナ禍で生きる市井の人々を横糸にした話。

前回まで
亡くなった母のこと、田中の子どもの頃と父文雄とのこと

目次
・タクシー会社へ

タクシー会社へ

2019年6月下旬、田中はタクシー会社の研修センター、ATC(ALL Nippon Traffic Training Center)  にいた。

此処で、タクシーの乗務員になるために必要な、普通自動車第二種免許と、タクシーセンターの試験に合格するために、
関係法令や地理などを勉強するためである。

ある程度の想像はしていたが、やはり現実を目の前にすると田中は、「なかなかの業界(せかい)に入っちまったぞ…」、と思わざるを得なかった💦

(後日、実際の乗務になると、この言葉を繰り返すようになるのだが、その時は合格すれば楽になると、安易に考えていた…)

其処は、業界トップクラスの会社であり、乗務員養成所であるそのATCは、その厳しさで知られた存在であった。

実際、第二種免許取得の教習所での2週間と、
ATCでの2週間の研修期間の内に、
10人に1人か2人の脱落者が出ることは、
特に珍しいことではなかった。

大抵、教習所での法令関係での脱落、タクシーセンターでの地理試験で、脱落がある。

そして、ATCでは研修生達の過去の職歴からくる、小さくないプライドを消去するために、
やや軍隊式の教育がされており、
それを嫌悪しての脱落もある。

7月下旬、田中は幸運にも新しい運転免許証と、タクシーセンターの合格を手に入れた。

田中は久しぶりに集中して頭に詰め込んだのだが、果たして何時まで記憶が残るか、少し心配であった…

入社した会社は、そのトップクラスの会社のグループ会社の一社で、一番規模が大きかった。

其処では、様々な年代の男女が働いていた。

8月初旬、仕上げの社内研修が終わり、いよいよ最後の現場での実習を1日残すのみとなった。

田中は学生時代から運転して約40年、社会人になってからも営業で地方周りをしていたことがある、事故は起こしたことはない。

アウトバーンやカリフォルニアでも運転した、
スピード違反、駐車違反は若い頃に夫々1回程度、経験しただけで済んでいた。

これは運不運もある、しかし田中は自分の性格から来るものだと考えていた。

要するに、少し臆病なんだと、思う。

その日は、朝から落ち着かず、文雄をデイサービスに送り出して、少し横になった。

目を瞑り、頭を空っぽにしようと務め、昼食の準備に入る前に、年齢なりに開き直ることに決めた。

同乗実習は、班長が添乗して実際の業務の流れ、専用乗り場、銀座などにある乗車禁止エリア、羽田空港、帰社後の納金、洗車等、
乗務員にとって最低限必要な事を、教えるものである。

新人乗務員は座学で何度も学んではいるが、実際に車を走らせ、現場を見たり、体験することはとても貴重な機会であった。

田中の担当班長は松崎といい、1歳年上であった。

彼は班長の中でも年長の1人と見受けられ、60歳を過ぎた自分には、適任と思われた。

統括班長の宮原が、「何かあれば松崎さんがいますので、大丈夫です。頑張って、行ってらっしゃい」と、声を掛けてくれた。

彼は遅番班長の半数5名を統括する立場である、
40代後半と見受けられるが、常にポジティブな姿勢に、田中は好感を持っていた。

実際、彼に質問をして、曖昧な返事があったことは一度もない。

「こんな人材がいるのなら、この会社に身を預けてもいいな」、と田中は感じていた。

会社から出庫し10分ほど経過した後、最初の客が国道に立っていた。

70歳前後の男性で、至近距離の乗車の申し込みであった。

松崎は、「新人教育のために同乗しているが構わぬか」と尋ね、了解を得られて乗車された。

田中は、一通りマニュアルにある接遇を終え、車を発進させた。

幸い、狭路ではあるが迷うような目的地ではなく、5分程度でお送りすることが出来た。

料金をいただきドアを閉めて、田中はようやく落ち着きと、少しの疲労を覚えた。

内心この程度で、疲れるのでは先が思いやられると思いながら...、
車を都心に向け、研修は続いた。


次回予告:新しい仲間たち










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