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デザイン雑談:ソビエトロケットの形態論(3)ロシア宇宙主義の復活

宇宙船はなぜ「船」とよばれるのか?
 
それは、ボストークに先行して同じ設計の無人試験機を「コラブリ(=船)スプートニク」と命名して発射したからであり、さらにそのルーツは、ロシアの科学者であり思想家でもあるツィオルコフスキーが1903年に、最初に科学的なロケット技術を含む宇宙旅行のアイディアを提案し、そこで乗り物を「宇宙船」と呼んだことにさかのぼるのであろう。1903年と言えばはじめてライト兄弟が飛行に成功した年であり、空を飛ぶ機械が、実現がまだおぼつかなかった宇宙「飛行機」ではなく、まずは宇宙「船」と名付けられたのはある意味当然だったのではないだろうか。なんなら飛行機より宇宙船の方が先行していたのだ。

ツィオルコフスキーの宇宙船のスケッチ。内容は不明だが、球体がイメージされている。


 宇宙旅行のための「船」は、まるでノアの箱舟のように、人類の宇宙への移住のための呼び方にふさわしいと思われるし、人間が種として宇宙的に拡大していくというツィオルコフスキーの壮大な幻想は、19世紀末から20世紀初頭に影響力をもった「ロシア宇宙主義」の想像力の重要な達成である。そしてツィオルコフスキーを愛読したコロリョフをリーダーとしてロシアの宇宙開発は推進された。ガガーリンをはじめ、それに携わった人たちも皆愛読していた。当初人工衛星に全く興味を持たなかったフルシチョフや、軍事利用だけを押し付ける軍部に対して、面従腹背しながらも、月や金星、火星に探査機を飛ばし続けたロシア宇宙開発の根底には、宇宙旅行へのツィオルコフスキー以来のロマンティックな神秘主義が脈々と流れていた。その深淵から立ち昇る香気というか志の高さこそが、ロシアのロケットが表現する美学が、アメリカのお気楽で無思想なカーボーイ的デザインとは、一線を画する理由なのではないだろうか。

ロシア宇宙主義:
 ロシア宇宙主義とは、19世紀後半から20世紀にかけて、自然哲学とロシア正教との結びつきによって生み出された、哲学的、宗教的、自然科学的、文学的潮流であった。
 その草分けとされるニコライ・フョードロフ(1828-1903)は、自然を制御することによる死=重力の克服と父祖のリアルな復活、不老不死をめざした「共同事業」に取り組むことを呼びかけた。全人類の物理的な不死+復活をめざすトランスヒューマニズム、自然科学によるキリストのような神人の実現を夢想した。
 ボリシェビキの重要なメンバーでもあったアレクサンドル・ボグダーノフ(1873-1928)は身体改造を唱え、科学による延命、不死、死者の復活をめざし、輸血での若返り実験をおこない、その事故により死亡した。
 フョードロフとも面識のあったコンスタンチン・ツィオルコフスキー(1857-1935)は、ロケットや宇宙旅行の具体的提案にとどまらずに、宇宙移民によって人類が種として完成し、不死性を獲得すると信じていた。

 こうしたロシア宇宙主義における進歩した科学とキリスト教の信仰のオカルティックな結合は、むしろ現在において、遺伝子技術の進化によって、にわかにリアリティをもって信じられ始めようとしているのではないか。アメリカのIT長者は、若返りや不老不死に多額の出資をし、さらに何かというと宇宙をめざしているのがその証明であろう。

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