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ゴジラ-1.0は見ない!

映画「ゴジラー1.0」の評判がえらく良い。私の同い年の経済評論家で100万人のYOUTUBEチャンネル登録者を誇る、高橋洋一先生が3回見て泣いたとか、私の周りでも久しぶりに映画館に行って感動してきたという話をよく聞く。(余談ですが、高橋先生は、確か私の駒場の同級生、つまり東大49S1-5D(1974年理科一類入学)の高橋くんではないでしょうか。当時から数学の天才でしかもいつも女の子と一緒にいて、ひそかに羨望の的だった。)
それはさておき、私はオリジナルの1954年ゴジラ第1作をあまりにも愛しているので、この「ゴジラ-1.0」を見ることは未来永劫ないであろう。以下にその理由を述べる。
1.今度の新しいゴジラが水平に華々しく火炎を発射する予告編だけを見て、わたしは決定的な違和感を感じた。絶対にそこが違うのである。最初のゴジラのように、口からの放射能は、ゲロのように下に向けて吐瀉すべきものなのだ。なぜなら、わらわらと吐き出す放射能と炎は、空襲時にばらまかれた焼夷弾によってじわじわと追い詰められていく状態を表現しているからなのだ。
2.つまり、どういうことかというと、そもそも最初のゴジラ映画とは、東京大空襲と広島長崎の原爆投下という、アメリカによるジェノサイドを直接的に告発した映画だったのである。
ゴジラとは大空襲と原爆の象徴であり、放射能に汚染されまくった異形の怪物なのであり、ゴジラの肌は、原爆によって焼けただれた日本人のケロイドを表現したものだったのである!横たえられた被害者を延々と映すショットは、大空襲の被害をそのまま表現しているし、倒されるテレビ塔から最後の放送をするアナウンサーの声を聞けば、終戦からわずか9年後のこの映画で、多くの人はリアルに空襲を想起したにちがいないのだ。今度の「-1.0」のテーマがどうなっているかは知らないが、なんか自分の生き方を考えなおしたとかいう感想をチラチラ見ているかぎり、絶対にここまでリアルに深いテーマがあるとは思えないので、だから見なくてよいのだ。
3.1954年ゴジラ封切り当時の状況は、花田清輝の「原子時代の芸術」(1955年3月)でうかがうことができる。まず1950年から描き始められて1954年に大々的に発表された丸木・赤松夫妻の「原爆の図」が取り上げられている。被災後一週間から現地に入って記録された壮絶な被害者の描写は恐るべきものであって、ぜひ皆さんに調べて見ていただきたい。(ちなみにこの作品を展示するために、建築家白井晟一は「原爆堂」プロジェクトを1955年に発表している。その圧倒的なドローイングの描写力は今見ても衝撃的だが、これはいうまでもなく、同じ年に完成した丹下健三の広島平和公園に対する、在野からの強烈な応答だったのだが、終戦後すぐに広島の復興計画によって「世界デビュー」を果たした丹下の抜け目のなさも含めて、この話はまた別にしたい。)
そして、花田は同じ1954年にアメリカで公開された「原子怪獣現る」について取り上げて、ピストルで怪獣に立ち向かうアメリカ人の楽天主義と、ゴジラでの日本人の徹底的に受動的な悲観主義を対比しているが、ゴジラが原爆・空襲の象徴であることはもちろんしっかり記述されている。こうしてみると、私が生まれた1955年はちょっとした「原爆ブーム」であって、戦後10年経ってようやく悲惨な破局を相対化して受容されるようになったのと、実際に核実験が相次いで、フクシマをはるかに超える核汚染が地球を覆い、1954年3月水爆実験に福竜丸船員が被災し、半年後に1名が死亡するなど、原爆と核がアクチュアルなテーマであったことがうかがえる。
4.ちょっと余談だが、私が1984年アメリカのハーバードデザインスクールに留学した時に、最初の自己紹介のスライドのなかにゴジラの写真を入れて、それなりにウケたのであるが、アメリカ人にゴジラは大空襲と原爆を表現しているといったら、みんなシュンとして黙ったのは面白かった。さらに、アメリカ人に(今ほどブレードランナー的なアジア的混沌の美学が評価されていなかった時代なので)、東京の街並みは雑然として混乱していると言われたときに、「君たちが空襲で焼き払ったからね」というと、これもまた困った顔をしていた。
5.空襲と言えば、アメリカ軍は、帝国ホテルとか銀座の和光とか新宿の伊勢丹とか、戦後のために残すべき建築をしっかりチェックしていて、例えば当時最新の耐爆性能を誇った第一生命ビルをしっかり残して、GHQ本部にしたことは有名な話だ。(そういった建築のチェックに、のちに世界的建築家になったI.M.ペイが従事していたという噂があるが真偽のほどは知らない。)

6.丹下の抜け目のなさは別にして、原爆ドームを保存して復興計画と平和公園のシンボルにしたことは大いに評価されるべきである。というのも、長崎の浦上天主堂は、その被災した凄惨なマリア像を含む廃墟を現地に残していて、当然保存運動もあったのだが、ローマカトリックとアメリカの意向によって、1958年に原爆遺構は撤去され天主堂は新築されてしまったのである。カトリックとアメリカ人たちは自分たちの犯した大虐殺の記憶を一刻も早く消し去りたかったのだ。
7.当初、アメリカ人を苦しめていた原爆の加害者トラウマが、「原爆投下は、戦争継続によってさらなる被害者を出さずに、馬鹿な日本人に戦争をやめさせる【人道的な処置】であった」として、原爆投下を正当化することによって、いつ「克服」されるようになったのかは、興味深いテーマだ。平和公園の「過ちは繰り返しません」とかいう碑文は、加害者であるアメリカ人を免罪し、原爆投下があたかも人類の起こした罪のように「昇華?」いや誤魔化している。戦後教育によって、第2次世界大戦は、戦争を始めた馬鹿な戦前の日本政府のせいに、つまり日本人自身の過ちのように刷り込まれてしまっているが、ちょっと待ってください。少なくとも市街地への大空襲と原爆は、アメリカによる戦争犯罪であり、じじつ爆撃を主導したアメリカの将軍は戦争に負ければ戦争犯罪になることを認識していた。その将軍に日本政府はわざわざ勲章を与えているのだ。ここまでのアメリカへの完全土下座マゾヒズムは世界史上の奇観である。これこそが原爆の真の威力なのだ。本来は、世界中で原爆被害者の日本だけが、正当に核兵器を保有する権利を有しているはずなのだ。。
8.この究極の日本人のマゾヒズムに絶えず警鐘を鳴らし、アメリカ人の加害者トラウマを復活させるために、私はこれからもオリジナルのゴジラについて語り続け、それを消去したり曖昧なものにするあらゆるゴジラ映画について反対し続けるだろう。


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