ヒコロヒーのスーパー仕事術
ヒコロヒーのスーパー仕事術
5月24日深夜の「太田上田」(中京テレビ)で、ヒコロヒーが登場して、司会のふたりを驚嘆させた「仕事術」を披露したので、その紹介。
●自分の出演番組の制作チーム、スタッフの作品を調べておいて、傾向と対策を練っているとのこと。製作者側の意図、ニーズだけでなく、そのチームの強み、得意なポイントをより深く把握しようとしている。これは、無意識かもしれないが、さすがのあざといまでの売り込み戦術。「作家さんやプロデューサーに好かれろ」はよく聞くが、現場レベルまで降りて行ってのこの目線の表明は、まったく画期的だったのではないだろうか。
●テレビは見てるの?というさらっとした質問に、ええ、よく見てますと答えてからの、この見方の回答に、太田上田両人の、時が止まったかのような驚きの表情は見ものだった。
●もとから、芸人というより制作側にまわってみたかったというヒコロヒーだからこそ気づけたポイントだろうか、あるいは、もはや性癖といっていいくらいの「分析魔」が発動したというべきか。「さまーずチャンネル」初回登場で、さまーずを分析しつつヨイショしてみせた。(大竹さんはその分析自体をエコロジーみたいな言い方で「ヒコロヒー」と呼ぼうと提案していた。)
●余談であるが、分析といえば、藤森慎吾にラジオで呼ばれて、俺を分析してくれと頼まれた時、即座に「藤森さんって、誰かに騙されてますよねー。」と切り捨てていた。たしかに子分肌の藤森くんは、コワモテの芸人の先輩や、ジンギスカン屋さんや、バイク屋さんにいいようにあしらわれて、カツアゲされている感が強い。将来、彼に関してなんかの事件の予言になっていないことを祈ります。
●話を戻して、ヒコロヒーのこういう目線は(直接スタッフには言わないらしいが)たぶん態度に出てそれが、何より、現場のスタッフさんたちの承認欲求をくすぐるのだろう。やる気が出るか、あるいはビビらせているかもしれない。
●以前のブログで、藤井風の番組への参加もふくめて、なぜヒコロヒーのまわりにクリエイティブなひとたちが集まるのか?と書いたが、まさにその答え合わせが聞けたような気がする。
●最近のバラエティで、佐久間Pとか加地Pとかがしっかり画面に映りこんで会話する場面がよく見られるが、テレビ局内での自分アピールにも活用しているという意味でもおもしろい。
●制作にかかわるスタッフを尊重し表に出すことによって、制作への関与が深まる、よりインクルーシヴなプロセスになっていくのではないだろうか。
●とはいえ、ヒコロヒーは、どうしても我慢できないスタッフや現場に対しては、泣いて我慢したり、腹をくくってドロップアウトしたりしている。そういうところを含めて発言しているところが潔いし新しい。
●野湯探しでも3回も続けて不調でぶち切れていたが、そのゴタゴタを含めて番組としてエンタメ化して見せている。
●もっというと、スタッフ全体を巻き込んで、制作しているところを、それをメタな視点で見せるということがいいのかもしれない。たしかに貴明さんが「おい、マッコイ!」と画面に向かって叫ぶすがたは、なんか解放感があった。
●伊丹十三は、「遠くへ行きたい」という旅番組のときに、スタッフを画面に出そうと努力した。スタッフをあえて映したり、またスタジオのセットをわざと見切ったりすることによって、スタッフの地位・人間関係の向上をめざしただけでなく、
「番組を作っているところを番組にしたい」
「情報というものは、ある特定の人間によって、特定の仕方で操作された情報なのだ、ということも含めての情報であるべきである、というかさ、つまりわれわれはさ、情報の送り手たるがゆえに、常に自らを相対化することを義務づけられているわけだろ、その手立てとしてセットを見切ってほしいと、まあ、理屈でいうとそうなるわけよ」*1
*1 「女たちよ!男たちよ!子供たちよ!」伊丹十三 1979年 文藝春秋 p104,105
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