ぬらり
わたしが傷ついてきた歴史は、そのままわたしが大事にされてこなかった歴史だ。
なんて、言い切ることさえ自信がない。
わたしが傷ついてきた歴史は、須くわたしの罪の歴史なんじゃないか。ちょっと小突いただけ、ちょっと撫でようとして力加減を少々誤っただけで、たまたまそこが未発達な頭蓋の大泉門だっただけで、たまたまそれが運悪くわたしの頭蓋の中のやらかい心がひしゃげてしまったんじゃないのか?
飲み込まないままどうやって生きて来れたんだろうか。わたしはどうすることが良かったんだろうか。今のまま愛されてるわたしは、いつまで愛されていられるんだろうか。
飲み込むのを辞めた誰にとっても都合の悪いわたしは、どこまで誰かと生きてゆけるのだろう。
絶望を燻らせて、火をつけられないまま。
身体なんかいらないと思って、そんなものがあるからそれが壊れちまうまで誰もわたしの心を見てくれないと思っていた。
今だってそう思う。傷みきった身体を撫でられ、ひしゃげた心を撫でられ、安心して撫でられていたはずなのに、棘だらけの心を撫でたその手もぐちゃぐちゃになっていく。
わたしに近づくとみんな壊れていくのは、わたしが壊れているからなんだろうか。
そんな、ふざけたことあるか?
傷めないまま愛されるのはどうしてこんなに難しいんだろう。貰ってきたものを大事にしていきたいだけなのに、わたしはどうして苦しまないといけないんだろう。
いつか、地面に捨てられた手作りのスコーンをわたしは自分の足で踏み潰した。彼にあげたくて作ったスコーンは、彼の手には渡ったのに食べてもらうことは無かった。クラスの女子がそれを拾って、「どうしてこんな酷いことするの」と、わたしに言った。
スコーンを踏み潰したわたしが悪者なのだ。断片的な情報は、いつもわたしに都合が悪い。
そんなことばかりだ。
足元がふわついて、手足の感覚が遠のく。思考は舌足らずで、身体が軋む音だけがする。
だけどいつも明日は容赦なく近づいてきて、生活を回すことを強要してくる。明日が来なければ良いと思う夜と、明日を渇望する夜は、きっと本質は大した違いなんか無かったんだ。