ちゃんべ
わたしはわたしの話をエンタメに昇華したいと長く思ってきました。 わたしの思考回路の原点とも言える、初めて付き合った人とのことを記録しています。 センシティブなことをかなり露骨に表現しているので、楽しめる方は楽しんで欲しいです。 どうか、わたしの話を聞いてね。
書きたい言葉を失って早数ヶ月。 気持ちを文字にすることで自分を整えてきたけれど、整えなくてよくなったのか、整うことを諦めたのか、そもそもが間違えていたのか、さて、はて、はてなあ。 生きたいと死にたいはほぼ同義。 祈りと絶望はほぼ同量。 執着は恨みになり、愛は常に祈りであり、愛は絶望になり、絶望から恨みに転じないように絶望から目を逸らすべきではない。 わたしが下す判定はとてもとてもシビアだ。 穴があることはシビアの対義になるかしら。 笑って人の幸せを踏み躙る人たちの、言葉
最近、以前より元気なんだなと思う。 そして、だからこそ元気じゃなかったときというのは、思考が気持ち悪かったなと思う。 ネチョネチョしている気がする。 多分、元気がないと自分の中にある何かに縋っていないと歩けないから、それに縋った結果ネチョネチョと何かに引っ付いた思考しか出来なくなるんだなと、思った。 うまく大事に出来なくてごめんね、と謝ったことがある。いま思えば、上手いとか下手とか、そんな話ではなかった。 ただわたしは、わたしのことが大事だっただけで、それは何かを否定するこ
誰かと一緒にいるのなら、間をとっていくべきなんだよ あなたとわたしの間にある30歩の距離、お互い15歩ずつ歩いて近寄れたらいいね でも、あなたが5歩までしか歩けないなら わたしは25歩這いつくばってゆくだろう 誰かの呼吸のためにわたしは息を止める あなたが息をするためにわたしは息を止める 止めたこともいつか忘れて 本当は何にもわからなくなりたい 辛くないことの方がもう少ない みるみるうちになくなっていく立つ瀬 なにもかも辛いからそれを忘れたい 一呼吸のたび、喉元が締
幸せになりたいにゃ 痛いのは嫌いだにゃ 幸せになりたいにゃ 辛いのも嫌いだにゃ 悲しいのは嬉しいのうしろがわ 片方無ければきっと両方ない だけどかなしくない毎日がほしいだけ 投げ出さなくちゃかかえきれない 荷物が多くてちょっとたいへん かなしいのはわたしのせい それが分かっていたとしたって かなしいのを無視されるのは嫌いだにゃ きらいだにゃ むかしのことがわたしをころしにくるなら もうきっとぜんぶしかたがない しあわせになりたいにゃ あんしんになりたいに
初代の元カレが自殺を図ったと、本人から聞いた。気まぐれに連絡をしたら、そんなことを言っていた。 初代のことを恨んでいると、しっかりと自覚したのはここ1年の話だった。中3から4年付き合った彼と、別れて10年以上が経過してやっと気づいた。 彼との間に起きたことは、まあどちらの視点から見てもひどいもんだった。詳しくはわたしの唯一のマガジンに記録してるので興味ある人はそちらで。 初代と連絡をとって、わたしは彼との出来事を精算したくてやりとりを続けようとしたが、彼が取った行動は拒絶
わたしと彼の主張は、概ね根本から異なる。 わたしは、わたしの知識がないからこそ自分で獲得してきた言葉や概念が好きだ。 抽象的で丸い言葉は、本質の形に沿わせることができる。 彼の言葉は角ばっていて、広い既存の概念の中をカラカラと回っている。 わたしは強く主観的で、彼は客観的だ。 わたしはわたしがどうしたいかの話しかしないし、彼はどうあるべきかの話をする。 いずれ到達する答え自体は、きっとそんなに変わらない。道筋が違うから、しばらくは交わらないだろうが。 何をどれだけ話し
わたしが傷ついてきた歴史は、そのままわたしが大事にされてこなかった歴史だ。 なんて、言い切ることさえ自信がない。 わたしが傷ついてきた歴史は、須くわたしの罪の歴史なんじゃないか。ちょっと小突いただけ、ちょっと撫でようとして力加減を少々誤っただけで、たまたまそこが未発達な頭蓋の大泉門だっただけで、たまたまそれが運悪くわたしの頭蓋の中のやらかい心がひしゃげてしまったんじゃないのか? 飲み込まないままどうやって生きて来れたんだろうか。わたしはどうすることが良かったんだろうか。
わたしが愛だなんだと騒ぐのは、愛するということに憧れているからに他ならない。 うまく愛せない、うまく大事にできない。あらゆる感情は嘘ではないのに、炸裂する衝動はどこまでも利己的で配慮が見当たらない。 わたしが溜め込んできた歪みはもうとっくに自分では手に負えなくなった。歪んだまま巻き込み続けて、触るためにはたくさん引き裂かないといけなくなった。 傷ついてきたこと、それに対しての悲しみ、それを受けての怒り、燻らせて恨み。誰かに祈ってもらっているから、わたしはまだ正気でいられ
6日前、熱が出た。 その日は朝から三峯神社に車でお参りに行く予定で、彼がレンタカーを借りに一足先に家を出て家の近くまで迎えに来てくれたその車内に、乗り込んだときに自覚した。 風邪の引きはじめには、腰がふわふわのそわそわになる。 片道4時間かかるような道のりだけど、音楽を流したり話したりしていれば退屈を感じるような暇もなく、目的地に辿り着いた。 雨の神社は霧で立ち込めていて、そしてとても静かで、淑やかに降る雨は耳によく馴染んだ。 それなりな雨なのにレンタカーのお店に傘を忘れ
愛って祈りの形をしている。祈りだけが希望なのかも。その光明で、全てを照らせるかもしれない。 わたしに巣食っている居た堪れなく醜いなにかを、明るみにだして、そうしてほぐしていくためには、必要なものは、そうだったのかも。 たくさんのことを、長く忘れている。殺されるのはいつも心だ。 最近、思い出す感覚がたくさんある。意欲というものが息を吹き返している。乾いていたものが潤い、その引き攣れを緩めていくように。 それはぬくもりであり、激情でもある。 目が潤むほどの情動の中で、胸を
差別と、偏見、そこにはどれほどの隔たりがあるだろう。物理的に違う存在に対して、「あなたとわたしは違う」と思い、表明することについて、どれほどの罪があるだろう。 差別とは、優しさにもなりうる。 優しさとは、差別にもなりうる。 その境界をどれほど薄めようと、そこにどんな意味があるんだろう。 わたしは弱い側であり、弱さを振り翳し、優しさを搾取することもまた、できる側である。 弱さという暴力、強さという暴力。 それぞれが暴力であり、じゃんけんのような関係性がそこにある。 強さに
自分の内側を探ろうとすると、どうしようもない気持ちになる。 自分の内側という現実ではないこと。とおくとおく。だめ。 ただそこに、花があって、風があること。 今日があって、明日があること。 死のうと思ったから、そのまえに、全部捨てること。死なないのに手放すこと。わたしがおそろしいことは、きっとなんにもなくなってしまうこと。 薄れていく。感情が擦れて、色がわかる。 掠れたその色彩は、なんと単調なことだろう。 眩さは、目をくらませて、視界を焼くから。焼かれた視界で目の前のこ
きっとわたしは、ずっと自分のことを呪っていたんだと思った。 大事なものを損なって、生きていることは、大事だと思っていたはずのものが、そうではなかったという裏付けになってしまうから。 ずっとずっと、許していなかったんだと思った。わたしのヒリついた願い事を、叶えてくれなかったわたしのこと。 言葉が通じることが、奇跡みたいだと思う。 わたしが話していることが、過小も過大もなく、伝わっていると、わたしが思えること。 悲壮なストーリーをエンタメとして消費するという、長い長い、自傷
自殺は、ダサい。 なんて発想もある。 なのにわたしはそれにずっと憧れている。 まだ、他人事だからかもしれない。 終わる物語を美しいと思っているのかもしれない。 自己紹介として、死ぬことについて話す機会が2、3、あった。 わたしの目標は、後悔しないで死ぬこと。 そのために背筋を崩さず生きること。 かんぺきには、なれないけれど。 わたしが何も変われなければ、この日に死のうと決めた日がある。なんとなくきめた。死ぬなら秋だなと思ったから秋にした。 よく澄んだ10月に、失う
あーあ。わたし気づいちゃってる。 みんなほんとは嘘つきだって。 大事であること、大事にすること、一緒にできる人はこんなに少ないの。 大事であること、重要であること、実は同じじゃないの。 ね、一緒くたにして、がんじがらめで、何もわかんないくせに。みんな。わたしも。 心の拠り所。そんなもの、あったらな。 いつか辿り着けるなんて、そんな夢のはなし。 つけ込む優しさ、入り浸らせる愚かさ。 ぜんぶそうだろ。そんなもんだって、愛情なんて呼ばれたりする。 あーあ。あーあ。 なまぬるい
傷つかないで生きていくのがむずかしい。 弱いから強がらないといけない。意味ないのに、ってどこかでわかっていながら。 傷つけないでほしい。嘘をつかないでほしい。それだけなのに、それだけがむずかしい。 いやなことしないで、いやなこといわないで、それだけなのに、それだけがむずかしい。 うそつきって問い詰めるのも、くそやろうって罵倒するのも、すごく簡単で、だけど簡単に、そんなことはしたくないのに、簡単だから。 仲間はずれはこわいからきらい。誰のことだって。だけど、それじゃあ、なにも守