宵越しの銭
自殺は、ダサい。
なんて発想もある。
なのにわたしはそれにずっと憧れている。
まだ、他人事だからかもしれない。
終わる物語を美しいと思っているのかもしれない。
自己紹介として、死ぬことについて話す機会が2、3、あった。
わたしの目標は、後悔しないで死ぬこと。
そのために背筋を崩さず生きること。
かんぺきには、なれないけれど。
わたしが何も変われなければ、この日に死のうと決めた日がある。なんとなくきめた。死ぬなら秋だなと思ったから秋にした。
よく澄んだ10月に、失うもの。
死のうと決めてたら、その日までに、わたしは自分の欲求に向き合わないといけない。やり切らないといけない。夜明けが来ない宵越しの銭に、いったい何の意味があるんだ?
絶望し切らないといけない。
やり尽くすことがとても重要だ。
出し惜しまず、ありとあらゆる力のかぎりを尽くして、そうして、それでも、叶わないと思いしりたい。全ての愛の息の根を止めて。
助けてくれるなら、どうぞ助けて。
全力で助かろうとするから。
それでも助からないと、思い知らせて。
それでもし、助かってしまったら。
それはなんて素晴らしく、残酷なことだろう。
踏みしめたたくさんのことは、その重要性をわたしの命で証明できると思ってきた。重要なものを失った悲しみで死にたかった。たったひとつで死にたかった。そんなふうには、わたしは出来てなかった。
重要でないからわたしはまだ笑って生きている、そんな反証が、わたしの手の中にずっとある。
わたしはだれにゆるしてほしいだろう。
痛いことも、苦しいことも、怖いことも、いやだ。そんなふうには死にたくない。だからこそ、だからこそなのに。あらゆる諦観を尽くして。
眼差しがある。ゆるむ頬がある。
雨の音がする。微かな破裂音と共に。
空気が少し揺れて、わたしは身じろぎの意味を知る。