10年かけた祈り
初代の元カレが自殺を図ったと、本人から聞いた。気まぐれに連絡をしたら、そんなことを言っていた。
初代のことを恨んでいると、しっかりと自覚したのはここ1年の話だった。中3から4年付き合った彼と、別れて10年以上が経過してやっと気づいた。
彼との間に起きたことは、まあどちらの視点から見てもひどいもんだった。詳しくはわたしの唯一のマガジンに記録してるので興味ある人はそちらで。
初代と連絡をとって、わたしは彼との出来事を精算したくてやりとりを続けようとしたが、彼が取った行動は拒絶だった。とりつく島がないのではなく、錯乱していた。話にならなかったのだ。
そこで、ようやっと「終わり」を感じた。あらゆる彼との出来事が、反芻していた情動を手放して、ただの結果という記号になった気がした。過程を手放したとおもった。結果が出たと思った。
わたしは彼との最果てに来たと思った。
わたしは彼を許さなくて良いんだと思った。貰ったものを数えて、奪われたものから目を逸らさなくていいらしい。
彼をどうしても許したかった。
そうじゃないと奪われたものたちが報われないと思った。あの頃の、あの頃の自分なりの、命がけの言葉たちを守らないといけないと思っていた。
ずっとずっと、囚われていた約束がある。彼はわたしに、「おれじゃ幸せに出来ないから」と言ってよく距離をとろうとした。だからわたしは彼に、「わたしは勝手に幸せになるし、お前のことはわたしが幸せにするから逃げるな」と、泣いて怒った。それが彼とした最後の約束だった。その約束のあとすぐに、わたしは彼と別れた。
別れてからも、わたしは神に祈る場面が訪れたら真っ先に彼の幸せを祈った。10年祈り続けた。それでも彼は、わたしからたくさんのことを奪った彼は、奪ったくせに、幸せにはなってくれなかった。わたしから奪ったもののために、幸せになってはくれなかった。
被害者や加害者でくくるには、わたしたちはお互いに踏みつけ合いつづけてしまった。わたしはたくさん殴られたし、それでも爪を立てながらしがみつくわたしにどれだけ彼は傷ついただろう。
わたしは彼を許さなくて良いし、彼もきっとわたしを許さなくて良い。
そう思えるのは、わたしには今希望があるからなのかもしれない。誰かにたくさん助けて貰いながら、前がどこなのか教えて貰いながら、這いずって進んできたからかもしれない。
彼は這いずっていたけれど、もう前後不覚で、ただのたうち回っているように見えた。
彼とのことを、過去にし始めることが出来る日がやっと来た。思い出の美しさを、本来のスケールで見つめることが出来る日が来た。
わたしの、何よりも激しい4年間。たくさん奪われて、たくさん貰った。初めて、居たいと思う場所が安心できる居場所になった。居ていいよ、居てほしいよと、最初に教えてくれたのは彼だった。わたしたちは初めて、自分の傷を他人に教えて、それを撫で合ったんだ。
あの頃のわたしの全て。わたしのたくさんの初めて。
こういう話を、彼にしたかった。縁があれば、いつか成されるだろうと今なら思える。いつかの存在が、以前より身近に感じる。
今まで何度、誰に話しても、わたしの神経過敏な悲しみは終わることはなかった。わたしの悲しみのスケールを、どうやれば伝えられるのか分からなくてずっとひりつきが終わらなかった。
今の恋人に、初めて初代の話をしっかりとしたとき、彼はわたしから目を逸らさなかった。わたしの吐露を聴いて、相槌すらまばらな静かな時間、わたしは初めてわたしの悲しみが伝わったと思えた。聴いてくれる人は今までもいたけれど、伝わったと思えるほど話せなかった。茶化しや笑いを誘導してしまったこともある。
わたしは、彼に触れられてやっと自分の悲しみの輪郭を知ることができて、知覚したそれを撫でることが出来て、癒やすことが出来るようになった。スタートラインはここだったらしい。
事実と、そこに紐付きすぎて絡まっていた感情とを、切り離せた。きっとそのうち、フラッシュバックしてくる感覚は消えてゆくだろうという予感がある。
うれしいことだ。わたしは、自分の悲しみをずっと殴り殺していたけれど、その段階は終わりつつあるらしい。
以前より、前がどこにあるのかわかる。
静かに、死んだ日々を悼める。それはなんて、幸福なことだろうか。