うなじ

書きたい言葉を失って早数ヶ月。
気持ちを文字にすることで自分を整えてきたけれど、整えなくてよくなったのか、整うことを諦めたのか、そもそもが間違えていたのか、さて、はて、はてなあ。


生きたいと死にたいはほぼ同義。
祈りと絶望はほぼ同量。
執着は恨みになり、愛は常に祈りであり、愛は絶望になり、絶望から恨みに転じないように絶望から目を逸らすべきではない。

わたしが下す判定はとてもとてもシビアだ。
穴があることはシビアの対義になるかしら。

笑って人の幸せを踏み躙る人たちの、言葉は常にうすらさむい。うすらさむさは、わたしを凍えさせてゆくけど、うすらさむくない言葉など、ほんとうは存在しないのか?

言葉を信じるということは、その人の今を信じることだ。行動を信じるということは、その人の今までを信じることだ。意を新たにした人を信じるのならば、いったいどこから信じると正しい?

くくりあげる世界。そのうなじからこぼれているもの。

視界を広げれば散らばる悪意に疲れ果ててしまう。狭い視界で、ちいさくちいさく、砂の一粒を磨くように生きていくしかない。きらきらの石粒を見つけて、毎日はしゃいで踊れたらな。

手に届く範囲、見える範囲、綺麗にしていくこと。
「今夜はとっておきのアールグレイを!」
そんな夜を過ごしたい誰かだけを手元に。
あなたとあなたとあなたと、あなたたちの大事なものを、大事にしてるだけの幸せがいい。

感情の全ては奇跡とも言えるから。 
そう思えるわたしと、そう思わせてくれるあなたと、それを成立させる全ては、全部美しいはずだ。全ての醜さもそのヴェールからは逃げられないだろう。そうやっていつかの感慨に引き摺り込まれて、ほにゃほにゃの赤ん坊になってくんだろうさ。そうやって、繋いで継いでいくんだろうさ。

希望も絶望も一緒だよ。


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