心願成就だぜ
6日前、熱が出た。
その日は朝から三峯神社に車でお参りに行く予定で、彼がレンタカーを借りに一足先に家を出て家の近くまで迎えに来てくれたその車内に、乗り込んだときに自覚した。
風邪の引きはじめには、腰がふわふわのそわそわになる。
片道4時間かかるような道のりだけど、音楽を流したり話したりしていれば退屈を感じるような暇もなく、目的地に辿り着いた。
雨の神社は霧で立ち込めていて、そしてとても静かで、淑やかに降る雨は耳によく馴染んだ。
それなりな雨なのにレンタカーのお店に傘を忘れてしまったらしく、わたしたちはほどほどな山道を相合傘で歩く。
大きな二又の木、数種類の狛犬。
彼はそれぞれに拝んだりお辞儀をしながら進んでいく。わたしもそれに倣いながら進む。
この神社に赴いた大きな理由は、昨年彼がここで貰ったお札を返すためだった。当時の彼が良縁祈願を祈り、今の結果をもたらしているそのお札に、わたしも有り難さを感じる。
今年も御祈祷することにしたらしいので、せっかくなのでわたしもやることにした。十数種類ある中から、「心願成就」と「心身健康」を選んだ。
御祈祷を終え、片道4時間の帰路を目指す。
12時間のレンタル時間のため、あまりゆとりのない道中だ。
その頃にはお腹も空いていて、そのうえ体調も芳しくなかった。それでもぐったりというよりは、省エネモードのような感じ。彼はそんなわたしをみて「今日はなんだかしっとりしてて綺麗だね」と言う。体調のせいか神社のおかげか分からないね、なんて話しながら車に乗り込んだ。
帰りには渋滞に巻き込まれて、返却時間をすぎてしまったが寛大な対応をしてもらえたらしい。わたしは体調のこともあり、レンタカーを返す前に家に送ってもらい一足早く家で休んで彼の帰りを待った。
そんなふうに、日々が流れていく。
熱が出た前日、わたしは取り乱していた。しょうもないことなのに、わたしはそれをしょうもないこととして扱いきれなくて、感覚と思考が乖離して、その離れた距離分、心が引きちぎれていた。
いまその場では、わたし以外の誰も悪くなくて、広い目で見れば、わたしを傷つけてきた全てが悪いような、そんなこと。
そんなことがあって、体調を崩して、約1週間経っても微熱を引きずったまま過ごしている。
わたしの中に降り積もりつづけた歪みが、日常のふとした出来事を凄惨たる悲劇に仕立て上げてしまう。そんな特別演出なんて無くてもいいのにね。
その演出に巻き込まれてしまう彼のことを、かわいそうに思うけれど。だけど、そんな風に彼の選択を侮辱するのもほんとうは違う気はしていて、だからこそ、わたしがやらなければならないことは、常に明確だ。向かう先はひとつ。
彼との日常が平和だから、わたしの歪みのシビアさをつい忘れていた。こうやって、思い出して、気持ちを練り直すような余力も、もうずっと無かったんだなとも思う。何かをちゃんと見つめるには、もう目が灼かれてしまっていて。焦点の合わない思考が、やっと指向性を孕み始める。
わたしはべつに、何も失っていない。失うことだけを強く恐れて、全てを抱えようとしてきただけ。歪みも全部飲み込んで、携えてきてしまっているだけだから、何かを取り戻していく日々なわけじゃないの。
貰って嬉しかったものも、投げつけられて痛かったものも、ゆっくりと降ろしていけたら良いと思う。
そうして、一番最初にわたしが持っていたものを掘り出して、そうして、いま大事にしたいものをちゃんと大事に持てるように在れたらと。
そんな祈りだけのために、生きております。