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「元ギャング」だの「元売人」だのに共感できない人のための西海岸オルタナティブヒップホップ。
USヒップホップを語る上で避けては通れない東西抗争。
P・ディディが設立したニューヨークのバッドボーイレコードと、シュグ・ナイトとドクター・ドレーが設立したロサンゼルスのデスロウレコードとの対立から、所属アーティスト同士の音源内でのDisり合いがエスカレートし、物理的な発砲行為の応酬にまで発展し、最終的に双方の看板アーティストだったノートリアスB.I.G.と2PACの殺害事件という悲劇的な形で幕を閉じた。
この東西抗争は、結果的に「USヒップホップ」というシーン全体に対する注目度を高めるのに大きな役割を果たし、元々はヒップホップの一ジャンルでしかなかったギャングスタラップ、Gファンク界隈がヒップホップのメインストリームとして認知され、その後MTVと結託してアメリカの音楽シーンを席巻していくことになる。
MTVのミュージックビデオ群とともに日本に紹介されたそれらのヒップホップは、薬物摂取などの犯罪行為の助長、ポルノまがいの表現がふんだんに盛り込まれていて、その下品さに振り切った(それがアメリカの良さでもある)クリエイティビティに馴染めない音楽ファンも多く、熱烈なファンと同時にヒップホップという音楽ジャンルそのものを毛嫌いし遠ざけるリスナー層も生んだ。
しかしそれは日本に限った話ではなく、本国アメリカにもギャングスタラップやGファンクに対する「本来のヒップホップの勘所はそこじゃねえだろ」という気概を持ったカウンターヒップホップシーンが多く存在した。
今回はその一つ、オークランドのHieroglyphics(ハイエログリフィクス)周辺のシーンをご紹介したい。
90年代オークランドヒップホップシーンの中心人物といえばデル・ザ・ファンキー・ホモサピエンである。彼はアイス・キューブをいとこに持つラッパーで、その強力なコネクションをもって1991年に1stアルバム『I Wish My Brother George Was Here』をリリースし商業的な成功を収める。しかしそのアルバムの出来栄えに満足していなかったデル本人は、以降アイス・キューブとのプロダクト関係を断ち切り、ギャングスタマインドとは縁遠いオークランドコミュニティのヒップホップシーンをレペゼンする方向に舵を切る。
デルはオークランドのラッパーたちを集結しヒップホップクルー「Hieroglyphics(ハイエログリフィクス)」を結成。メンバーはデルの他にカジュアル、ペップ・ラブ、ソウルズ・オブ・ミスチーフのメンバー、プロデューサーのドミノらで構成され、それぞれがファンやスマッシュセールスを持つオークランドのヒップホップコミュニティのオールスタークルーだった。
Corner Story(1997) / Del The Funky Homosapien
Who's On It (1994) / Casual featuring Pep Love and Del Tha Funkee Homosapien
We Got It Like That (1994) / Casual
Step Off (feat.A-Plus) (1998) / souls of mischief
Postal (2009) / souls of mischief
Miles to the Sun (1998) / Hieroglyphics
メインストリームの主流だったダーティで攻撃的なヒップホップではなく、メロウでクールなトラックとコンシャスでポジティヴバイブスなリリックを特徴としたハイエロ周辺のヒップホップは、ネイティブタン一派やファーサイドから連なるニュースクールリスナーたちの期待に応え、「犯罪者やその予備軍ではない人たちがつくるヒップホップ」の存在を大いに示した。
ハイエロ周辺のシーンの盛り上がりと同時期に、ロサンゼルスではよりファンキーさを前面に押し出したジュラシック5やダイレイテッド・ピープルズ、アグリー・ダックリングらも登場し、西海岸のデスロウ帝国への同地域内のカウンターとして「西海岸オルタナティブヒップホップ」という一つの概念的なシーンが形成され、メインストリームのショービズヒップホップとは価値観が相入れない世界中の音楽リスナーの受け皿、入門口として現在も機能している。
ちなみに当時このハイエロ周辺のコミュニティを出入りしていたのがShing02であり、ヒップホップを毛嫌いしていた日本国内のロックファン層にShing02が受け入れられたのには彼のそんなオルタナティブな自出も関係していると推察できる。
真吾保管計画 (1999) / Shing02
西海岸にはもう一つ、アンチコンというレーベルによるアングラヒップホップシーンがあったり、東海岸にはMFドゥームがいたりロウカスレコーズがあったり、南部からはアレステッド・デヴェロップメントも登場したが、その辺については機会があればまた。
まずはハイエロ周辺で、苦手だったヒップホップに足を踏み入れてみてほしい。