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悲劇的な最期を遂げた天才ピアニストの唯一作にして、ジャズサンバ史に燦然と輝く大名盤 『 Embalo(1964) 』 / Tenorio Jr.

「ジャズサンバ」「ボサノヴァ」「ジャズボッサ」「ブラジリアンジャズ」など、モダンジャズが流入して以降の南米音楽にはいくつかの似たようなの呼び方がある。

発祥の地域とか、語る角度とか、音楽理論的な拍数とか、バンドの編成楽器の違いなどで分類がされているが、概ね指している音楽性は一緒である。

この呼び名の多さについては、ブラジルで誕生したボサノヴァがアメリカのジャズマン達の録音や演奏によってアメリカ国内に紹介される過程で、ジャズマン達がサンバとボサノヴァをごっちゃにして理解していたり、歌モノがロマンス語から英語に変換されたりしたことで、純粋な「サンバ」や「ボサノヴァ」としての体系から遠のいてニュアンスだけが一人歩きしていったことも一因であるように思う。

そもそも「ボサノヴァ」とは1950年代中期のブラジル・リオデジャネイロ周辺の裕福な中産階級の若者たちが、アメリカのモダンジャズやフランスの印象派作曲家らの影響を受け、サンバのリズムをスローテンポに改良しムーディなリラックスミュージックへ再構築した音楽である。
そういう意味で「サンバ」と「ボサノヴァ」には明確に時代的な前後関係があって、ボサノヴァはザックリと「遅くて静かになったサンバ」である。これはブラジルと同じく中南米・ジャマイカのレゲエ史における「スカからロックステディへのスローテンポ化」に類似する道程であるのは興味深い。

ただし「ボサノヴァ」という言葉は音楽リスナーが勝手に後付けで分類したジャンル名ではなく、アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルト、ニュウトン・メンドンサらボサノヴァの創始者達が「自分たちが作っている音楽は「bossa nova(意訳:新しい波)」だ」と自認していたが故の呼称でもある。
要するに細かい音楽理論的な相違に関わらず、アーティスト側から意思表示があればどんなに音楽性がサンバに近かろうが「ボサノヴァ」や「ジャズボッサ」に分類するし、そうでなければ「ジャズサンバ」「ブラジリアンジャズ」に分類する。いずれにせよそれらの言葉自体には明確な音楽的定義はなく、共通して言えるのは、貧富の差が今よりもっと激しかった当時のブラジル国内において、アメリカのジャズやヨーロッパのクラシック音楽にアクセス可能だったミドルクラス以上の富裕層が生み出した「新しいサンバ」であるということだ。


今回紹介するテノーリオ・ジュニオールはリオデジャネイロ出身。軍人(警察官との話もある)の父のもと比較的裕福な家庭に育ち、国立大学の医学部で学んだ彼は、学業の優秀さだけでなくピアニストとしても才能を発揮し、リオを中心に演奏活動を精力的に行う。
そして1964年にリーダー作『Embalo』を発表。
その後も有望なサイドマンとしてガル・コスタやレニー・アンドラージなどのアルバムに参加した。

しかし1976年、ヴィニシウス・ヂ・モライスらと共に演奏旅行で訪れたブエノスアイレスで、テノーリオは「タバコを買いに行く」というメモを残して謎の失踪を遂げる。

ブラジル国内において彼の失踪は長年、未解決の誘拐事件として処理されていたが、10年後の1986年に、失踪当時のアルゼンチン海軍の伍長だった人物の証言によって、軍事独裁政権下だった当時のアルゼンチンの軍事パトロールによってテノーリオが捕らえられ、投獄され、激しい拷問の末に殺害されたという衝撃的な事実が明かされた。

失踪当時のテノーリオは特段目立った政治的主張をするようなで人物像ではなく、アルゼンチン側が政治的な意図で彼を逮捕したとは考えにくく、彼の高い身長やミュージシャン然とした髭、長い髪の毛といった独特の風体による「誤解」もしくは「人違い」による逮捕と拷問だった可能性が高いとされている。このあまりにも悲劇的な事件により、ブラジル音楽界は、その未来を担うはずだった一つの大きな才能を失った。
もちろんこの事件の執行者だったアルゼンチンの元軍人は、その他の多くの非人道的な余罪によって後に終身刑を言い渡されている。

ボサノヴァ黎明期にリオ近辺で活動していたテノーリオ・ジュニオールについてはボサノヴァのアーティストとして分類されることも多いが、彼が23歳という若さで作り上げた『Embalo』は、テノーリオのエレガントでメランコリックなピアノと、サンバのリズミカルなテンションが融合し、ボサノヴァのような気品さを纏いながらもダンスミュージックとしても成立しているという点で、単なるボサノヴァの範疇にはとどまらない「上品に踊り狂える」アルバムとなっている。

魅力的なカバー曲も多いが、収録曲の半数以上がテノーリオの自作曲であり、彼の作曲家としての才能も大いに堪能できる。そしてやはりつくづく惜しい才能を、あまりの理不尽で失ってしまった、と感慨にひたってしまう。

Nebulosa


Sambinha


Fim De Semana Em Eldorado




34年という短い生涯で、結果的にテノーリオ・ジュニオールの唯一のリーダー作となってしまった『Embalo』は、リアルタイムでの評価という点ではさほどではなかったものの、1990年代以降に欧米のクラブシーンで再発見され、「ジャズサンバの名盤」として再評価されることになる。

とにもかくにも、ボサノヴァでもジャズボッサでもジャズサンバでも、分類はなんでもいいので、60年代南米の軍事政権の波に翻弄されながらも、優雅な美しさを保ったまま後世に伝えられた『Embalo』を一度体感してほしい。そして、できれば踊ってほしいのである。

アルバムタイトルの通り、人々が自分の音楽を聴いて「Embalo(揺れる)」することをテノーリオは望んでいたはずだからだ。


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