ワルシャワ・プライド -背景こそ愛して -Feel and love the background.


こんにちは、
アーシアス創始者立川智子です。

いま、ワルシャワにいます。



ウクライナのお隣、ポーランドです。
その首都です。

「ワルシャワって名前は
聞いたことあるけれど
ポーランドって、よく分からないなあ…」

って、そんなふうに私たちは
ヨーロッパの中で、案外ノーマーク。


だいたい
そんな認識と思います。
(映画「戦場のピアニスト」の国ね)


だけど過去の背景をみると、
日本と似ているところがあって。
戦々恐々かつ絆創膏だらけの歴史を持ってる。


歴史から作られるのが、国。

そして復興の姿に
愛が顕現されるなあって
いつも思っているんだよね。


戦争で焼かれたり、
災害で壊れたりしたところに
(いいか悪いかはさておいて、よ)
コンクリートの新しい無機質な街に
生まれ変わらせることは比較的簡単で。

どの国どの街も至るところで
それは、当たり前に見られる姿です。


たとえば。

アメリカが
サイパンに爆撃をした後、

島を復興する時にアメリカは
「焼けた島に緑を戻せばいい」と
“タガンタガン”という木の種子を、
何も考えず、空から蒔きました。

でも
その木が成長してみたら
細い葉っぱで痩せ細った幹。
なるのはひょろっとした豆に似た非なるもの。

その木が
群生してしまったから
もう2度と、栄養に満ち満ちた、
南国のたわわな果実を成すことはない。

これは、
その土地を思って
撒いてはいない浅はかな思いやり。

それから
この木はサイパン全土に広がってしまい
今も、住民をとても困らせてしまっている。

食べられないから、
BBQの時、薪みたいにするしかない。

そこに
愛と想像力があるならば
元々その土地にあう
南国の木を植えてたはず。


それとはちがって

私は昨年
首里城の復興のお手伝いしたんだけど
「同じものをもう一度再現しよう」と
「なんとか近づけよう」
市民が頑張る姿って、愛しかなかったんです。

残った首里城の土台石を
地元の人たちと、
手作業でコツコツ地道に粉砕。

それを
次の首里城の塗料に混ぜることで
首里城への魂を入れるという思いを込めた
復興作業のお手伝いをしていたのだけど、

「故郷を復元しよう」っていう
情景に刻まれた、目にみえない想いに
何度も心を震わされました。

(そりゃ、同じようには
復興をやりたくても、経済・政治もろもろ
できない街だってあるけども。)


そしてここ

世界遺産
ワルシャワ旧市街。

いやはや
これまでにない復興の姿を
拝ませていただきました。

ポーランド、
ワルシャワってすごいんだ。
復興への気迫がすごいんだ。


この国を思う愛、
故郷を再現復元しちゃう愛。

これがもう、お見事なんだ。

これは、この国は
「市民で世界一の復興を遂げた国」じゃないかと。
この規模、他に見たことがないかもしれない。


今から7〜80年前のこと。

第一次世界大戦、
第二次世界大戦でポーランドは
ボロボロに壊滅させられちゃったんです。

知っての通り
第二次世界大戦の始まりは、ポーランドです。

ドイツが領土欲しさに
ポーランドを侵攻した。
そこから始まった戦争だったんですね。

要は、
とんだとばっちりを受けた国。
それがポーランド。

その終わりは
言わずもがな日本のアレ😭です。
こちらも、とんだとばっちりでした。

ポーランドと日本は、そういった
始まりと終わりでつながっているんです。

そしてホロコースト!
悪名高きアウシュビッツもポーランド。

絶対的悲しみ、
戦火の歴史は、日本のそれと似てる。

しかも、
街は丸ごと無くなって、
瓦礫と灰になっちゃった。

でも
ワルシャワの人は
屈しなかった!

どうしても
自分たちの街が好きだった。
取り戻したかった。

目を閉じれば浮かぶ、
あの懐かしい景色の中で、
もういちど平和に住みたかった。

市民は
その気持ち一つで、一致団結。

国民からの寄付でまかなって
国民みんなのボランティアで。
元通りに街を作り直しちゃった。

50年、かかったんです。


意図的に破壊されたものは
意図と目的を以って再興する!と。

強い意志で、それは成された。

じゃあ元通りに、
どうやって戻せたか?

って、なんと!!

大学の先生が、
ドイツの占領を予見して
「街が壊されちゃう!」って
急いで学生達と協力して、
街の全てをスケッチしまくった。

何があっても
ワルシャワの美しい街の姿を
絶対に記録に残すんだ!っていう
強い熱意と気概で。

学生達と街を細部まで描き残した。

その数はなんと3万5000枚以上だったと。


壁の装飾や絵や、レンガのひび割れや
傷や欠け、細かな部分も全てが描き残され
寸法なども記録されて。

王宮の葉っぱの飾りの一枚一枚にある
葉脈の繊細なラインまで、スケッチしたの。

そしてその通りに、復興させた。
なんというワルシャワ・プライド!


これ、
ナチス・ドイツに見つからないように
これだけの大量の図面を隠しておくのは、
相当な命がけのことだったと思うのよ😭😭😭

その愛と勇気のおかげで、
今の美しいワルシャワの
復興した、旧市街の姿がある。




そりゃ
世界遺産ワルシャワ歴史地区になるよね!

愛と勇気で屈しない精神に、
頭が下がります。あっぱれよー!!!

ここに上げてる
写真や動画たちが、
元通りに、作り上げられた
美しい旧市街。

素晴らしいね。

街を歩くたび、音楽が聞こえ
私はあっちキョロキョロ、
こっちキョロキョロと
「すごいなあ」って何度もいいながら、
行ったり来たりと、
迷路のような旧市街を、ひたすらうろうろ。


王宮のまわり城壁内を、
ぐるぐると歩き回ってしまいます。


背景こそ愛して。
Feel and love the background.

土地も物も人も事も歴史も何もかも。


あ、そうそう!
生み出す力をもつ偉人たちも
ポーランド出身が多くって。

ショパンをはじめ、
コペルニクスにキュリー夫人。

小さな頃、絵本で読んで
心ぱああと広がった、
そんな偉人たちが
ちょっとだけ今、距離が近くなった気がします。

では、ショパンの
ピアノコンサートへ行ってきます!

るんるん。


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