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感性を瑞々しく
誰かのつぶやきで
「感性を瑞々しく保つには
若者と一緒に過ごすのが一番よい」
とあった。
一理ある。
でも、私の感性は
誰かと過ごすことで保ちたくはない。
誰かは失われるし、誰かも歳をとる。
自らの心臓を誰かに捧げた
盲目的な時代が懐かしい。
普遍的なものに、感性を委ねる。
それは、自然だったり
芸術だったり。
どうせなら捧げたり奪われたりしないところで
私の感性を委ねたい。
歳を重ねるとは
出来ないことが増え
出来ることが減ること。
そんな自分をクスッと笑えること。
そして出来ることが減ると
分かることが増えて
少し賢くなること。
秋は春にはならない。
冬は夏にはならない。
でも、どの季節も
それぞれ美しく
どの季節も
それぞれ味わいがある。
春の爽やかさを懐かしみ
夏の勢いを懐かしみ
ああ、秋も素敵だなぁと思うこと。
そう感じる感受性こそが
瑞々しいということ。
歳を重ねるというのは
そういうもの。
時々、茨木のり子先生に
叱られにいきます。
自分の感受性くらい 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ