インド亜大陸におけるケララ・スリランカ問題――鹿島茂のN’improte Quoi!「前回のおさらい」
秋ですね……!1月から始まった鹿島茂のN’improte Quoi!も、もう早いもので25回以上の放送をお届けしてまいりました。本日おさらいするトッドの家族人類学をテーマにした講義も次回で10回目。毎回約3時間、大学の講義にして2コマ分をお送りしている!と思うと、すごいボリュームになってきました。先日の磯田先生との特別講義もトッド理論のとっかかりとしても最適な内容になっていますので、未見の方はぜひご覧ください。2つ以上ご覧になる場合は、月額会員がお得です。
と、いうことで前回のおさらい、はじめましょう!
1.カースト制度とインドの家族形態
さて、そんな宣伝っぽい内容から始まった本日のおさらい。実はトッドの第二理論がまとめられた『家族システムの起源 1.ユーラシア』で最後に残ったのが、今回の講義テーマであるインド亜大陸。冒頭「ここを抑えると、一通り内容をさらったことになる」という鹿島先生の解説を聞いて、「おぉ、いつの間にそんなに……」と感慨深くなっていたのでした。
このインド、本講では「トッドの第一理論」としている親との同居と兄弟関係の2軸をベースにした『世界の多様性』における分析では、一番理論があてはまらない地域でした。第一理論においては「非対称型共同体家族」というネーミングで、兄弟は平等、両親とも同居する共同体家族なのですが、いとこ同士の結婚に特徴があり、それをもってトッドは「非対称型」というネーミングを行います。
しかし、ここで「第一理論」における家族形態とイデオロギーの相関関係についてどう考えればいいのか、という問題が浮かび上がります。ロシアや中国のような外婚制共同体家族は共産主義、イングランドや北アメリカなどの絶対核家族では自由主義……といった結びつけこそが、トッドの第一理論発表時にもっともインパクトのある要素でした。さて、トッドがインドのイデオロギーとして挙げたのが「カースト制度」。歴史の授業でも出てきたり、広く知られた制度ですが、これは完全な身分で階層を分ける制度であって、平等性が導かれるはずの共同体家族と合致しません。果たしてこの矛盾を、トッドはどのように解決しようとしたのでしょうか。
2.デカン高原が分ける南北のインド
さて、みなさんはインドの地理、と言われてどんなイメージを持ちますか?上から見た三角形の印象は強いと思うのですが、高さ・標高に着目すると、その最大の特徴は三角形の中央から南部まで広がるデカン高原です。この高原の存在がインドの歴史にも大きな影響を与えてきました。
トッドは第一理論においてはこのデカン高原の北側に広がった外婚制の特徴を持つアーリア人諸民族に、南インドに広がっていた内婚制の特徴を持つトラビーダ人の諸民族の中に発生していたカースト制が影響を与え……というように考えます。その説明は鹿島先生曰く「なかなか無理のある感じのもの」なのだとか……例えばインドの北部と南部で別の家族類型だ、と考えればもう少しスマートにいったのかもしれませんが、インドで1つにまとめようとしたことによる無理が垣間見えます。
さて、このときトッドがインドの中でも注目したエリアに南インドのケララ、そしてインド大陸では東(三角形、向かって右の頂点側)にある西ベンガルがあります。この2つの地域はいずれも共産党の支持率が高く、一言に「共産党」と言っても、スターリニスト系、トロツキニスト系と様々バリエーションがあるのだとか。このあたりは母系が大変強く、母系の共同体家族という形態も見られるのだとか。そこで実現している兄弟間の平等は土地ではなく妻に対する平等……という私たちの価値観だけだと一瞬迷ってしまうような分析が行われるのですが、その詳細はぜひ放送で鹿島先生のご説明をご覧ください。
また、ケララ州への着目はこの地域で特徴的だった女性の識字率の高さへの関心をトッドにもたらすことになります。これがのちの『地球の幼年期(幼少期)』における理論展開にも影響を及ぼすことになります。
3.居住規則の分類で再検討
先述の通り、「やや無理のある分け方」で理論を構成しようとしたトッド。第一理論の肝であるイデオロギーと家族類型の一致、を成り立たせようとしすぎた結果、何か無理な理論を持ってきてしまう……というのは、以前東南アジアについてみたときに出てきた「アノミー」という分類にも共通するのかもしれません。いずれにせよ、兄弟間の平等/不平等、親子で同居する/しないの4分類に、ロシア・中国圏とイスラム圏の特徴をうけ、共同体家族における外婚制/内婚制を第3の軸として持ち込んで分析しようとした試みは、インドでは決してうまくったとはいえないものでした。
そしてこれまでの講義でも見てきた通り、第二理論においては、トッドは第3の軸として、父方/母方のどちらの親と同居するのか、という分け方を導入します。これも当初はインドにおいては決して新しい発見を浮かび上がらせるものではありませんでした。先ほどご紹介した通り母系原則の強いケララ州と西ベンガルは母方同居、そのほか大半の地域は父方同居、という結果になります。
しかし、ここで「一時的な同居」という観点を加えると、北部・中部・南部である傾向が見られます。用いられたのはイギリス統治下から続く調査の伝統による「世帯主100人あたりの既婚の息子の数」というなんとも絶妙なデータ。あたりまえといえばあたりまえですが、トッドが家族人類学の分析に用いている資料は、世界中で共通のものがあるわけではありません。世界のどこにも共通する「家族人類学用のデータ」は存在せず、各地で行われている調査やさまざまな記録などから分析を行っています。こうした調査の苦労にもいろいろなエピソードがありそうで、もしトッドに直接話を聞いてみる機会があればお尋ねしたいところではありますが、ひとまず、ここで見られた傾向を整理すると、北部→中部→南部の順に、家族の複合性……ざっくりといえば「世帯主100人あたりの既婚の息子の数が多い」=家族の規模が大きく、共同体家族的で、しかも中間的な規模というよりは、南部まで行くと核家族がほとんどと思われる規模感でした。つまり、ほとんどが共同体家族か核家族に分類され、直系家族はわずかに残存するに過ぎない、というようなものだったのです。
4.インドの周縁部にある母方居住・一妻多夫、あるいは共同体家族はどこでうまれたか
以前の講義でも見たように、共同体家族の発生についてトッドは直系家族と遊牧民的な統合核家族の結合をその背景に見ています(中国の秦における、直系家族的な漢民族と、統合核家族の匈奴の出会い)。その理論をあてはめようとすると、インドにおいてこれがいつ起こったのか、という問題が残されます。しかし先ほどその傾向としてまとめた通り、インドには直系家族がほとんど少なく、核家族よりも周辺的でさえありました。第二理論を導くもととなった「周縁部の保守性原則」にのっとるならば、インドにおいては直系家族のほうが古い、とまで考えうることもできるのですが、果たしてそうなのでしょうか?
ここでトッドが注目するのがインドの周縁部であるところのケララ州・西ベンガル、そしてスリランカなどに見られる母方居住の地域と、中央チベット、グルカ族、シーク教徒など北部の山岳地域やチベット・ヒマラヤ周辺に見られる一妻多夫の直系家族でした。
調査結果で出てきた「例外」部分に着目せず、その結果を単に道徳的な反応で切り捨てるのではなく、なぜそのような形態を取るに至ったかを考えることで導き出されるインドの家族形態の秘密とはいったいどんなものなのでしょうか……?
次回放送は10/25 19:00~
と、いったところで今回のおさらいはおしまい。いつも一通り講義内容をノートにおこし、そのうえでどのぐらいをおさらいとしてまとめるべきか悩んでいるのですが、この日の講義は特に後半、さまざまなお話が出てきましたので、ぜひアーカイブ放送をお楽しみいただけたらと思います。世界各地のポルノに見る家族類型の傾向や、17世紀フランスの公証人一家の記録の本の話、日本のスサノオとアマテラスの神話あるいは「トリスタンとイゾルデ」に見る父親不在の母系家族、それらをもとにした母系家族のレベル分けなどなど、鹿島先生と考えるトッド理論、という本講の特徴が詰まった時間になっています。
さて、次回の放送は本日10/25(火)19時からとなっております。こちらもどうぞお楽しみに。ぜひ放送でお目にかかりましょう。
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