鴨長明「方丈記」を読んで思ったこと:元祖ミニマリスト的存在
ミニマリスト見習い中ですm(__)m
初版発行は、 1212年3月とのこと。
812年前に書かれたのに、現代でも共感できることが多くてびっくり。
5年前くらいに書かれていても全然おかしくない。
現在ならば、インターネットがあるので過去の出来事を調べようと思ったら、5分後にはその情報をある程度、概略だけでも手に入れている事でしょう。
しかしながら、鴨長明が方丈記を描いた時代にはインターネットは当然ながら無いので、あの災害はいつ起きたんだっけな?という風になるはずです。
鴨長明は、災害が発生した日時をしっかりと記録しているので、どうやってその日時を覚えていたのかが不思議です。
図書館的な場所があったのか気になっています。
遷都を批判しているような文章もあるわけですが、それを書いて発行(?)してしまうところも凄い勇気があるなと思いました。
鴨長明自身は、河合神社とゆかりがあるわけですが、晩年は南無阿弥陀仏を唱えたりしています。
神社出身なのに仏教?あれっ?と思ったのですが、こちらの記事で詳しい解説がされておりましたm(__)m
「修業なんかしても救われねーじゃねーか!なんなんだよ!」という不満から、誰でも再現できる簡単な理念をもった新興宗教が生まれる的な話は分かる気がします。
混乱期や戦乱期だと特にそうなのではないかと思ったりします。
自分の努力を超えた時、人々は神頼みをすると僕は思っていますが、その神頼みの仕方が難しすぎて、それを実践したとしても対価が得られない場合、その信仰自体をやめて、もっと簡単な信仰を代わりにする人が出てきてもおかしくない気がしています。
このあたりの、宗教の成り立ちなんかをもう一度考え直してみたいなと思いました。
鎌倉仏教を調べたい。
「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)は、浄土宗や浄土真宗における中心的な念仏で、阿弥陀仏に帰依することを表しています。この言葉は、阿弥陀仏の無限の慈悲と救済を信じ、その加護を願うものです。
「南無阿弥陀仏」の由来はインドにさかのぼり、「南無」はサンスクリット語の「ナマス(namas)」に由来し、「帰依する」「敬礼する」という意味があります。「阿弥陀仏」は、無量光・無量寿を意味する阿弥陀如来を指します。
したがって、「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀仏に帰依します」という意味になります。
日本でこの念仏が広まったのは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、法然上人(1133年~1212年)が浄土宗を開き、念仏を称えることで阿弥陀仏の救いを得ることができると説いたことがきっかけです。
法然の弟子である親鸞(1173年~1262年)は、さらにこれを発展させ、浄土真宗を開きました。
この時期に「南無阿弥陀仏」が念仏として広く定着しました。
したがって、「南無阿弥陀仏」という信仰形式が確立したのは、法然による浄土宗の布教が大きなきっかけとなった鎌倉時代と言えるでしょう。
方丈記が発行された時期と重なるので、出来立ての宗教を信仰したことになるのでしょう。
今で言う新興宗教を信仰していた感じです。方丈の庵にこもるのもそうですが、生き方が前衛的な感じがします。
本のタイトルにもなっている、方丈とは3m×3mのことであり、つまり9m2です。
ワンルームの部屋でも17m2前後のはずなので、かなり狭いです。
鴨長明自身は悟りを開いていないという考えっぽいですが、十分に凄いことです。
今でもスマートフォンを機内モードにしたら、結構孤独になる瞬間は僕はあったりします。
それくらいインターネットによって孤独を紛らわせている側面は僕は強いのだと思います。
800年前に、出家をして自分ひとりで小屋暮らしをするのは、相当過酷なことでしょう。
行動力が凄すぎます。
土地の探し方と購入方法あるいは賃貸方法、トイレや洗濯、食べ物の入手、冬の生活はどうしていたんだろう?、持ち運べる家の秘密、など気になることが多いですが、あまりそういう生活感のある表現は少なく、「家」に焦点が当てられています。
その時代、ブログやYouTubeがあり、そこにコメント欄があったらそういう視聴者からの疑問が沢山寄せられたことでしょう。