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創造力が求められるイマだから【Essays with books】

あなたの頬や鼻筋が今
静かな机に並んで見えた
部屋に残してった甘いチェリーボンボン
無理して焼き上げたタルトタタン

'メランコリーキッチン'/米津玄師(2014)

 'タルトタタン'は、失敗から生まれた菓子である。敷き忘れてしまったパイ生地を上に乗せることで完成し、その味はフランスの狩猟家たちを唸らせたそうだ。つまり、タルトタタンは'失敗を成功に変えた'象徴と言える。

 それを踏まえて、歌詞を見てみてほしい。

 'メランコリーキッチン'は、題名が'憂鬱な台所'にあたることから分かる通り、食べ物と人の恋模様を重ね合わせているのが特徴の楽曲だ。
 であれば、'タルトタタン'は、'過ちを挽回した'ことを表しているように思えるが、注目したいのは'無理して焼き上げた'という部分。ここから、'どうにか挽回しようと思ったが……'という不穏さが醸し出される。

 このような独創的な表現はどこから生まれるのか、考えてみた。
 一問一答よりも、記述問題。近年の教育界を眺めてみると、単なる知識・技能よりも'思考力・創造力'という意識が強まっているように感じる。だが、その独創の源泉こそ'知識'なのではないかと思うのだ。

 作者が他の人とは違ったオリジナルな思いを表現したもの──これが作品だと信じられてきました。ところが、*バルトによれば、「作者」のオリジナルだと見なされた「作品」は、じっさいは他の人たちからの「引用」を織り合わせてつくられているのです。

'12歳からの現代思想'/岡本裕一朗

※バルト:ロラン・バルト。フランスの哲学者。コピーの要素を含まないオリジナルなど全くないことを、「作者の死」という言葉で表現したことで知られる。

 人工知能に負けない独創を求めるからこそ、知識をなおざりにしてはいけない。'都度調べればよい'という論もあるが、知識が元からなければ生まれない発想もある。
 今回例に挙げた'タルトタタン'なんて、特にそうだ。どうやって、何を調べれば、情景をスイーツに代わらせることができるというのだろうか。実際、'メランコリーキッチン'を生み出した米津玄師は読書家で、文学の一節を用いた詞を多く書いている。

*ぢっと手を見る あなや記憶よりも燻んだ様相
ちっとばかしおかしいと笑うセラピスト

'毎日'/米津玄師(2024)

※ぢっと手を見る:'一握の砂'/石川啄木より。原文では、'はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る'。

 '毎日'は、米津玄師曰く'破れかぶれの開き直り''破れかぶれの空元気'なのだそうだ。'僕は僕なりに頑張ってきたのに'という詞から始まるこの曲。原文を引用しつつ、自らの詞の世界にエッセンスとして取り込んでいるところが、流石といったところだ。

 私も詞こそ書かないが、小説や絵を道楽にしている。'コピペ'であると評されようと構わない、くらいの意気で創作に取り組みたいものだ。'故きを温ねて新しきを知る'。想像力を身につけるとともに、知識も蔑ろにせず身につけていきたい、と思う。

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