天賦の凡

凡。平凡。これは、もしかしたら世界一みじめな言葉かもしれない。世界には平凡なまま人生を終える人が無数にいて、そのほとんどが歴史という無慈悲な乗り物から置いてかれる。
僕はそれがとてつもなく悲しくて、恐ろしい。

テレビやネットには、様々な「才能」がいつも映し出されていて、彼らはやっぱり輝いて見える。彼らの才能が生まれつきであろうと、努力によるものであろうと、結果的に注視されるのは「成功」の2文字であって、美談を語れるのはそんな「成功」を収めた者だけ。
同じだけ努力しても成功しない者も当然いて、そういう話を聞くと、やっぱり運命や神、なんかの存在を肯定してしまう。
神が、「よし、君にはテニスの才を与えよう!」「君にはピアノの才を与えよう!」なんて言って魔法の粉をふりかけるわけだね。

じゃあ努力しても報われなかった方の人間、神様に選ばれなかった方の人間に、救いはないのだろうか。
「凡」であることを認めて、慎ましく大人しく、ぼんやりと宙に浮かぶ「幸せ」を掴み取る事に一生をかけるしかないのだろうか。

それはなんというか、あまりにひどいように思える。
たとえば、最初からそんな人生だと知らされたとしたら、ぼくたちは生きることに対して真面目でいられるだろうか。必死に勉強をするだろうか。考えれば考えるほど、そこにはロープの輪が見えてくる。

だから僕は、人間の可能性に、未知数に、希望を抱いている。
もしかしたら僕たちは、それぞれもれなく何かの才を与えられているのではないだろうか。それを僕たちはたまたま見つけることが出来ず、成功者はたまたま見つけることができたのではないだろうか。
そんな風にして、僕は人間の逃げ口を作り出す。
でも、こうしないことには、保てないんだ。自分が、まるで圧力鍋にでもかけらたように、ほろほろと崩れ落ちそうになる。

「現実逃避」という言葉は、死んでも使いたくない。それは凡を認めたことになるし、つまり僕は人間に対しての諦めになるから。

相対的な幸せとか、勝ちとか、そんなものに何の価値も無いことは分かっているけれど、それでも、僕はまだ何かに勝ちたいんだ。
教科書に載らなかった全ての人類が、どうか幸せでありませんように。命の最後に、涙を流していますように。

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