なぜフランス式タブラチュアに"j"がない?
ギターやリュートの歴史的なフランス式タブラチュアではaが開放弦、、bが1フレット、cが2フレット…と対応するのですが、abcdefghik...とjが飛ばされるのです。その理由について以下のようなものが考えられます。
・当時のフランスでは日本(japon)が嫌われていたから
・amourの国なので"j"よりも"i"(愛)を選んだから
・"j"は印刷がかすれたりすると"i"と読み間違えやすいから
・当時のフランス語で"j"はほとんど用いられていなかったから
などなど色々と考えられるのですが実はどれもそれほど正しくはありません。実は「jとiは読み間違えやすいから」という説が、専門性のある人の中でも比較的浸透しているようなので、少し吃驚しました。実際、検索をかけると幾つもこの説がヒットします。この説を直接否定する根拠を探すのは非常に難しいのですが、それよりも、フランス式タブラチュアが用いられるようになった16世紀前半のフランス語において、現代では"j"を用いる単語に"i"を用いていましたので、理由としてはこちらの方が優先度の高いもののはずです。ただ、"j"が全く用いられなかった訳では無く"i"との区別がなされなかったとする方が正確かもしれません。例えばローマ数字で8を書くときに今ではVIIIやviiiと書きますが、viijというように最後のiをjにする習慣はフランスにおいてもう少し古くからありました。
現在の視点でいうと、"i"は母音で"j"は子音なので両者の区別は自明・明示的なのですが、当時はその必要性はまだ議論の途中だったようです。フランス語ではラテン語の単語で"j"の発音を表すのに便利ではないかということで、単語にも"j"を取り入れることが提唱されたようです。ただ、アルファベットの変遷は国・地域毎によって異なる事情があるようで、ここではフランス語の話に限定しています。
16世紀の段階では"i"と"j"の区別はまだ提唱されはじめた段階ですので、当時のタブラチュアの前書きなどでは「演奏者」のことを今日は"joueur"と書くところで、"ioueur"と書かれています。そういった例は至る所であり、もっとも顕著なのものでは「6月」を今日では"juin"と綴りますが、当時は"IVIN"と書かれることが多かったようです。"u"と"v"にも"i"と"j"と同じような歴史があったのでJUINとIVINは同じものなのです。
L'alphabet français : histoire et situation fin 2012
この記事において、"j"と"u"の導入は1539年のVillers-Cotteretsから1549年のJoachim du Bellayにかけて提唱され、その後1世紀くらいかけて徐々に定着していったと書かれています。これは政策のターニングポイントを示していると思われます。
具体的にはHISTOIRE DE L'ORTHOGRAPHEによると、1542年に文法学者のLouis Meigretが"i"と"j"の使い分けを提唱したと書かれています。"u"と"v"の区別については1548年にErvé Fayardが提唱したことになっています。ただ、定着までには時間がかかったようで、辞書においてそれらの区別が明示されたのは、Académieによる辞書の第4版
(1762年)と書かれています。
そういったことを踏まえると、「iとjを見間違えるから」という説は、16世紀のフランス式タブラチュア成立・普及の当初において、そのような理由自体が存在し得ないので、俗説と位置づけられると思います。