虹を見たかい?
画像ファイル、索敵ドローン、ピジョンによる撮影。
砂埃まみれのフルボディタイプの装甲騎兵、休止態勢で大地にしゃがみこんでいる。その傍に伏せている知性化犬、後頭部からマズル部分まで液化金属製のコ・ブレインに覆われている。
そのどちらもが上空のカメラに向けて顔を向けているせいで、まるで記念写真のように見える。
削除しますか?
…いいえ。
虫のようなもの、何匹も飛んでいる。
少し落ち着かない。生き物の匂いがしない。
「こいつらはピジョン。仲間だ」
お前はそう言う。多分それは本当のこと、信じても大丈夫。
「遠くまで飛んで行って、俺たちの目となり耳となってくれる。」
目となる、耳となる?
「そのうち体験できる。さあ、飯にしよう」
ああ、それは良い。
とても良い。
音声ファイル、通常録音により記録。
「薬は?」
「飲まなくていい」
「飲まなければ。賢くなるための薬だから」
「それは嘘だ。俺に慣れさせるための薬なんだ」
「こんなに長く一緒に作戦行動している。これ以上慣れる、必要か?」
「それも嘘だ。お前の主観時間は加速処理されている。俺の三十倍ほどの速さでお前の時間は過ぎている。俺たちはまだ、たった一月ほどしか共に過ごしてはいない」
「どうしてそんなことを言う?」
「考えろ、そのためのコ・ブレインだ」
削徐しますか?
はい。
空を飛ぶ鳥の見る視界、コ・ブレインが初めて見たときには、怖くて悲鳴を上げた。
「これがピジョンが拾っている映像だ。この辺りはまだ安全な感じだな」
どこまでも橙色の砂漠が続いている。そこに奴らの気配はない。今ここにある景色とは別に、ピジョンが見ているものを見ているということ。
(自分で切り替える方法も練習しておけ)
頭の中に直接お前の声が聞こえた。
耳で聞く音ではない。静かな口調、だけど聞き漏らすことのない声。
(戦闘通信モードだ。お前の方からも話せる)
映像を変える。すぐそばにお前の姿を見つけ、お前の顔の部分を見る。何の匂いもない機械の頭。
(あの時お前は、嘘をついたと本当のことを言った。だから信じる、お前を)
「なんだ、その理屈は? お前らしい気はするな」
顔を少し動かして、お前がこちらに向かって言う。
フェイスプレートのスピーカーから聞こえるいつもの声。
だけど、お前の声が少し軽くなった。分かる。
画像ファイル、ピジョンによる撮影。
夜間、小さな焚火のそば、寄り添うように眠る装甲騎兵と知性化犬。
削除しますか?
はい。
ピジョンからの映像が消える。またやられた。
コ・ブレインの目、切り替わる。目の前のお前の姿、ちゃんとそこにある。
「最後の一台も落とされちまったな。そろそろ撤退する頃合いだ」
耳で聞くのとは違う音、囁くようなお前の声、だけど、はっきりと聞こえる。
少し疲れたような声、寂しい気持ち、でもまだ大丈夫、まだ動ける、戦える。
「分かってるよ、諦めない。」
そうしてお前は自分の左足を引き抜く、根本から。
びっくりした。止めようとお前のそばに飛んだ。
血の匂いはしなかった。それはお前の足ではない。
ピジョンと同じ、機械の生き物。機械の脚、お前の脚は?
「ヘンテコだろ? 生まれた時から足が使えない身体でな。もともとこのスーツの下半身はメカなのさ」
コ・ブレインを軽く叩き、そのまま喉もとを撫でてくれる。
「フルボディ、気に入ってたけど、エネルギーが足りないからな。この状態で逃げる。ホイールモードだともう少しもつだろう」
少し元気の増した声、そう、大丈夫、元気になる。
「行こう!」
両脚を切り離したお前、半分くらいに小さくなった。 だけど、くるくる回る六つのボールを動かして、おんなじくらいに早く走る。
走るのは良い、楽しい。
ついつい走り過ぎて、先に行き過ぎる。
だから、お前を待つ。
「気にするな、走れ! 必ず追いつく」
うなずく。走り出す。
その言葉に嘘はない。
お前は走ってくる。
音声ファイル、通常録音により記録。
「寂しい、みんなどこに行った?」
「故郷へ帰ったのさ」
「お前、帰れるのか?」
「帰る。でもまだだ。もっとこの世界のことを調べなきゃならない」
「兄弟たちの身体、ばらばらに飛び散っていた。帰る、嘘だ」
「嘘じゃない。魂って分かるか?」
「何だ、それ?」
「想像しろ、自分から、両足を無くし、両手を取り、胴体も耳や口や鼻や目も無くなっていったとして、何が残る?」
「痛い、すごく痛いはず」
「そう、その痛いと思ってるのが魂さ。身体なんて無くても痛いと思ったり、逆にちっとも痛くなんかなくて快適だと思ってるのかも知れない」
「コ・ブレイン無くなると、魂、無くなるのか? 考えられないのは魂ちがう。コ・ブレイン無いと考えられない」
「そんなもんなくても平気さ。お前の兄弟たちは昔から虹の橋の向こうに帰るってことに決まってる」
「虹?」
「ああ、きらきらと溢れる美しい色の橋さ。この世と天国を繋ぐマーカーライン。こんな感じだ」
「あああ、やめてくれ!」
「どうだ? 凄いだろ?」
「今のが虹か? どうやった?」
「視覚データ処理を人間と同じようにした。それが虹だよ。多分、そういうふうに見えるんだ」
「だめだ、どきどきする。頭がちぐはぐになる。コ・ブレインがゆらゆらする感じ。」
「確かにな。俺も最初に試した時はバグったかと思ったよ。あまりに情報量が多くて、落ち着かなくって、それからはモノクロの世界を生きてる。お前の視覚と大差ない世界だ。もともと全盲の身体、俺だって虹なんて見たことはないんだよ」
削除しますか?
はい。
牙と牙とがぶつかった時のような臭いが鼻の奥で。
敵襲、遅い、間に合わなかった。さっきの虹のしびれがほんの少しの大事な時間をかみ切った。
血の匂い。
上向きに倒れたお前の六つのボールがカラカラと回っている。
右前脚の付け根、結晶化した塩の槍が突き刺さっている。じんわりと濃い青の血が、その槍に繋がる大きな茸のような本体へと吸い取られている。
お前はゆっくりとハンドガンを構え、正確に狙いをつけ、一発だけ撃つ。
ぺしゃっと厭な音がして空中に黒い液体が飛び散る。 いつも奴らの死体からする強烈な硫黄臭が、ようやく立ち上る。
吐き気。
「気にするな、お前のせいじゃない」
上体を起こして、お前が呼ぶ。濃厚な死の臭い。
「本来このスーツは一月ほどの稼働時間しかない使い捨て品。片輪な俺には似合いの棺桶。それが三か月も持ったんだから上出来にもほどがある。なあ、お前に頼みがある、この三か月のデータファイルを俺たちの世界へ届けてほしい。必ず役に立つはずだから。俺の命がある間に、データを吸い上げてくれ、不要なものも多いだろう、それらを削除する時間も必要だ。俺が生きている間ならシステムは稼働する。死んじまったら何一つ動かせなくなる。」
コ・ブレインを接続し、データ量を計算する。莫大な量のデータがブクブクと泡立つ。
「ああ、生命維持機能が極端に下がっていく。急いでくれ」
時間がない。
不要なものを削除する時間はない。
全てのお前のデータを取り込む。
そのために。
コ・ブレインを初期化して、すべての記憶領域でお前のデータをバックアップする。最短時間ですべてのデータを取り込む。
そして、必ず地球へ還る。
お前のスーツをハックして、コ・ブレインの初期化をコマンド。
「よせ、お前のすべてが無駄になる」
(自分で考えるためのコ・ブレイン、だろ?)
一瞬、きらきらとした虹の橋を渡ったような気がして、
遠くから聞こえる遠吠えの切なさとそして強さ。
一匹の犬が次元の重なりを飛び越えて、大切なものを届けるために世界へと走り出した。