読みかけのディケンズ
「教え子たちよ
お前たちの声を私はいつまでも
それが歓喜であれ呪詛であれ
沼沢地の泥濘の
あたたかく生臭く
濃厚な命の手触りのように
私は味わい尽くすのだ」
グエン・ナム・リン
あ、どうも。一徳元就です。
いつもお世話になってます。
皆さんは小説はお好きですか?
僕は読むのも書くのも大好きです。
そもそもこの名前が筆名なわけで、あ、本名は巌流島進太郎っていうんですが、ともかく一徳名義でちまちま小説を書いたり、読んだ本の感想をつぶやいたりしてます。ちっぽけかもですけど、それなりに充実してますし、最近、これが幸せなのかななんて思ったりもします。
もともと地方のわんぱくなガキだったので、読書なんて習慣はありませんでした。本なんか読むより風を読んで凧を上げるだとか、相手の顔色を読んで出したナイフの収めどころを考えるとか、そんな感じの毎日でした。成人して働き始めて、結婚して子供が生まれてと、一通りの時間を過ごして来ても、小説というものとは全く縁のないままの人生でした。
その後、息子を事故で失い、その喪失感がすべてを塗り替えてしまったのか、最愛の妻とも気持ちがすれ違うようになり、離婚しました。仕事にも熱意が注げなくなり、それまで勤めた不動産管理会社を馘首、転職に次ぐ転職。何の気迫もないだらだらとした生活を続け、ある日、激しい吐血で緊急搬送。ステージ4の胃癌だと告知されました。
一人病院のベッドの上で自分の人生を思い、何となく書いてみた『世迷言』という小説をネットに上げました。大きな反響などある訳もありませんでしたが、中には肯定的に読んでもらえたりもして、僕はいつしか次の作品を書くためにはまだ死ねないななどと考えるようになりました。
そしてその頃、げんなりさんからのメッセージが来たのです。
「人生はいつも読みかけのまま。もう少し読み続けたくはありませんか?」
ふん、そんなこと言ったかね。憶えちゃない。俺があいつを選んだのはまるで駄洒落のように名前が似通っていたから。落ち合ったショットバーの片隅、カウンターの上には読みかけのディケンズの本があった。差し出された手の甲に恭しく口付けるようにして少しだけ血を吸い、その情報をもとに生体改変。まあ分りやすく言うなら、、吸血鬼化した。不老不死を与える代わりに俺が要求したのは、生きるために啜るのは人の血ではなく牛乳にせよという点だけ。後は縛りなどない。好きに生きればいい。夜に生きたければそうすれば良いし照付ける太陽の下を闊歩するのでもよい。そもそも改変された我々の体はどんな環境にも適応できるようになっている。日光、ニンニク、流れる水、十字架、そんなものに影響されるわけがない。我々の正体は生体改変ナノマシン。テラフォームするための生体土木機械をデザインし続けてきた。
この星の場合で言うと人類をとりあえずの完成形としいるので必然的に、我々の活動体もほぼ人類と同じ形をっている。我々の生存が容易ければ人類のための世界が築けたということだ。任務完了、もはや存在意義のないはずの我々が何故まだ存在しているのか。本来なら休眠状態になるか、あるいはデータ存在としてアーカイブされるはずなのだが、まあ、そんなことは俺にはどうでもいい。人類が滅びようが繁栄しようが構わない。ただ、普通の人間だった俺をこんな身体にしやがった奴を許せないだけで。
昔、大好きだった詩人のゆかりの地を訪れ、そこでその詩人とやらに血を吸われた。あまりに大量に飲まれたので、俺はしばらく記憶も意識も初期化され、木偶のように数世紀を越えてきた。そしてようやく、このねずみ講じみたリブパシーの仕組みに気付いたのだ。教え子の吸血行為に伴うエネルギーやら官能やらが上位の活動体に搾取されているということに。だから俺たちは類型的なヴァンパイアのように時を送るように意識操作されていたのだ。あいつらの好みの問題だな。
何度も言う。血液より牛乳の方がビタミンも豊富で、実は我々のエネルギー源としては優れているのだ。好き嫌いの問題なだけで。
ともかく、一徳が牛乳を啜る。その甘さやけだもの臭さは、俺を辟易とさせる。俺は牛乳が嫌いだ。でも鯨飲する。すると同じように俺を導いた者、あの腐れ詩人、耽美な吸血鬼を気取って古城の奥の闇の中で眠るあいつに強烈な吐き気をプレゼントすることができるのだ。この贈り物が届いていることは確信している。拒否することはできないはずだ。怒りに燃えている姿が目に浮かぶ。出来の悪い教え子が増えてくことに。
そのうちきっと俺を殺しに来るだろうな。
ヴァンパイアを気取った生活パターンで。
返り討ちにしてやる。
なんたって骨太だからな、俺。