石像
〈わたくし生きるのが厭になりました
この目は呪われておりまする
わたくしの目は炎です
宝石ではありません
こんな魔法なぞ炎に投じて下さいまし〉
〈その炎がわしの身を焦がすのじゃ
おお 麗しのローレライ
わしはそなたに魅入られた)
アポリネール「ローレライ ジャン・セーヴに」
天窓から差し込める方形の光の中に女はいる。後ろ手に縛られてひざまずいている。上体には厚手の穀物袋が被せられていて、そこにまた幾重にも巻かれた薄汚れた帯が執拗に何かを閉じ込めようという強い恐怖を感じさせる。
その周りの薄闇に三人の従卒が控えてある。ものものしい兵装をまとい、油断なく女を監視している。
そこは『覚者の間』、女は今、裁きを待っている。
何だこの袋は? しかしこの足は何ともたくましく伸びやか。 見ろ、袋の下からのぞく亜麻色の髪の砂漠の風のような眩さを。
『その顔を晒せ、女。そのままでは声も届かぬ」』
帯を切る、おお、何だこの夜の薔薇のような香りは。小汚い袋だ、何故ゆえにこれほどまでに美しき顔を隠さねばならぬのか? 魔性?、掻き立てられるこの獣じみた衝動。
『さて、女、話を聞こう。お前の罪の話とやらは物憂い時を紛らせてくるのか?』
「恋をしておりました。もう幾年も昔の事のようです。その方と過ごした日々、野原を駆け回り、花を摘み、歌をうたい、夜を二人で織り込み、朝露で共に渇きをいやし、そんな夢のような日々でした。
でも突然、彼は遠い異国の地に旅立ってしまいました。珍しい物や美しいものをたくさん知りたいのだと言って。彼の乗った船が海の遠くに消えるまで、私は泣きながら丘の上で見送りました。
その日から毎日、私はあの丘で海を見下ろしてすごしました。朝早くから夜遅くまで。雨の日も雪の日も。家族の忠告も聞かず、私は待ち続けました。
そんなある日の事でした。いつになく海が深い色に見えていたのを憶えています。私は幾人かの男達に体を汚されてしまいました。良く見知った顔の者もおりました。その最中、ぼうっとした頭の中で私を置いていった男というものと、今、自分の上にいる男というものに灼熱のような怒りを覚えました。
そうして、気が付いた時には男たちは石になって倒れていたのです。
私はその時から、呪われました。丘にやって来る男の人とただ視線が合う度に、彼等は動かぬ彫刻になってしまいました。心配してやって来てくれた私の父でさえ、石になってしまったのです。悲しみのあまり、この目に尖った石のかけらを突き立てました。けれども傷一つ、負うことができないのです。
待つことしかできませんでした。彼が帰ってきて、この丘まで走ってきてくれたら、この呪いはきっと解けるのだと信じて。私にはそういう確信があった。
昨日、大きな船が港に入ってきました。彼が乗っているのだとはっきりと判りました。港までおりて行って抱きつきたかった。でも、私は丘で待ちました。丘まで彼が来るのを信じました。
『彼は、楽しそうに笑いながらやって来ました。一体、どうしたんだ、村の奴らは君を悪魔だと言っているよ』
その言葉の途中で、彼は石になりました。笑顔のままで、動かなくなりました。
一緒に来た女と子供は、悲鳴を上げて逃げていきました…」
この身も同じ呪われた身体。萎えた手足は腐り落ち、膨れ上がった頭部には現実の見えぬ目と気持ちの聞こえぬ耳と真情を話せぬ口がある。三人の従者の五感を我が物として使いこれまでを生きてきた。
この目の見ることができるのは人の形の陽炎に蚯蚓さながらにまとわりつく縁たち。人と人とを結びつけ、そして未来と過去とを喰らい合う、そんな条虫の塊のようなものしか目に見えぬ。
女、お前の縁は確かに断ち切られている。まるでたった今切り付けられたかのように、夥しい血しぶきのような叫びが臭って来る。その痛みの奥にただ一本の細いそれが、しかしある。
この身の命は人にあらず、人の知らぬものを感じるがゆえに覚者として生き永らえてきた。こんな身体に縁などないと知りながら、ただ一本の糸がどこか虚空へと伸びている不思議さを、護符のようにして生きてきた。
『女、お前を今から殺してやろう。その生命の炎を静かに吹き消してやる。』
従者たちが声を揃えて言い、そして三人とも気絶して床に倒れた。その気配に女はゆっくりと目を開け、玉座にうずくまる影を見た。
『この身は男か、人間か?』
問いかけた言葉は、キイキイという耳障りな音でしかなかった。
目覚めた従者たちが目にしたものは美しい女の死体と、巨大な山椒魚の石像。その間に細い銀色の縁が繋がったことは誰も知らない。そして、どこを探しても偉大な覚者の姿はなかった。