風邪喰い小鬼 rebirth
満月の夜には凶悪犯罪が多いとやら、月の明かりに煽られて、おのれの欲に呑み込まれる輩がうじゃうじゃとさ迷い歩く吉祥街、近鉄の裏の盛り場も今ではすっかりうら寂れ、昼の日中のど真ん中、たとえそれでも閑古鳥、新型コロナの頃からこっちすっかり治安もロックダウン。荒れ地の続くその中を足早に行く女性が一人。
確かに何かに追われてる、怖くて後ろは向けないけれど、ひたひたと来る足音、気配、こちらの歩調にユニゾって、あたしが止まれば気配も止まり、再び歩けば動き出す、いっそこのまま駆け出して、駅前交番に走りこむ、
いいえダメダメそれは無理、走り始めたその途端、追うものたちに火がついて、貪り食われる未来が見える。
苦い臭いだ、悪くない。女の感じている恐怖の臭いだ。
後ろに付きまとう影は三つ、性欲と暴力への渇望とが次第に高まり、喉の奥にへり付くような甘ったるい臭いが、霧のように立ち込めて、清冽な月の光を隠してしまう。
その瞬間、緊張の糸の切れた女が思わず二三歩駆け出すと、人影が急速に実体化し、追いすがり、引きずり倒し、なぶりものにしようと、邪悪な歓喜に燃え上がる。
いいね。品はないけど、腹には溜まる。
「やめときなよ、せっかくの月の香りが台無しだ」
俺のディナータイムが始まる。
「なんだてめえ」と男が怒鳴り、下げたズボンを慌てて上げて声する方を見すくめる。仲間の二人も同様に、総身の怒りをめらめら燃やし、新たな餌食の登場ににやにや笑いが止まらない。
それもそのはず現れた正義の使者ともいいたい彼は、歳の頃なら十三、四、細い身体に青白い少女のような細い顔。すがる女も溜息漏らす、期待外れの救世主。
「子どもはおうちに帰ってな」
「でももうすっかりおそいがな」
「大人の遊びを邪魔した罰にたっぷり可愛がってやる」
俺はまず、女の恐怖や希望や、そして新しく加わった絶望の味を確かめた。にやにや笑いを浮かべながら、威嚇するよう近付いてくるそいつらの歩みが、ぴたりと止まった気配を感じる。
あいつらの目に見えている光景はこんな感じだろう。
俺の頭が二つに裂けて、そこから伸びあがる巨大な蛭のようなものが一息に女の頭部を咥え込む。ごぼごぼと蠕動しながら何かを吸引しているように見えるだろう。女は既に意識がなく、一瞬断末魔の痙攣といった風に身を震わすが、直ぐにぐらりと地面に倒れ込む。
まあまあだな、悪くない味。
俺は女を開放し、給餌蛭を体の中にしまい込む、あ、これ、あくまでイメージだがね。俺としては優しく口付けたつもりなのだけど。
「ひいいぃ」
「化け物だーっ」
走りだそうとするやつらの足に数本ずつ軽く念針を飛ばし、意識はあるけど身動きできない状態、ま、最も恐怖の沸き起こる状態にしてやる。あいつら目ん玉も動かせないので、勝手に俺のことを想像して怯えるってわけだ。面白いからわざと、視界に入らない方からゆっくりと近付いて行ってやる。さっきまで女相手にやってた事の卑劣さをじっくり楽しんでくれよ。
苦いな。少し生臭い。
それでも腹の足しにはなる。
そろそろ俺も鬼に還る。
贅沢言ってる場合じゃない。
蛭の口を最大限に広げ、俺は三人のどす黒く生々しくべったりと苦い思いのすべてを腹の中に吸い込んだ。
その昔、かぜくい小おにと呼ばれる小さな鬼がおりまして、何やら流行った感冒をたった一人で食べつくし、病に伏せた子供らを元気に戻してあげた、小おにの顔が赤いのはきっと熱が高いから、そういう話でございます。
そうして時は流れて五十年、小おにはすっかり少年めいて、今では角も牙もありません。まるで普通の人間のように見えるのです。顔色は青白く、病弱な男の子のようにしか見えず、あちらの街からこちらの街へ、人の持つ強い想いを餌にして一人寂しく暮らしてきたのでございます。
人間の五十年が俺には五年ほどそうすると、ほぼ十倍の年月を生きていく計算になる。俺が喰って治った子供たちも、今では六十歳くらいのジジババということ。俺の見た目が中学生にしか見えないことを考えると、あの時仲よく遊んでたあいつらと並んでも、今では孫のようにしか見えないということか。
そう言えば少し前、狩りにあったホームレスを助けた時、あの爺さん、俺のことを懐かしいと言いやがった。
まあな、俺にも分かってたさ、その人があの時の友達の一人だったってな勿論そんなことおくびにも出しはしない。ただ、人間にもそんなことが、目に見える形にごまかされずに大切なものを視ることができる奴がいるんだっておもうと、なんだか嬉しくなって顔が綻んだけどな。
予感がある。
俺は再び鬼の形に戻る。
小鬼ではなく、整体としての鬼だ。
そして、この世にそんな存在は俺一人ではないはずだ。
いつか餌場をめぐる争いも始まるだろう。
不味くても今の人間の強い想い、欲望やら恐怖やら怨みやらをたらふく食って強くなる。そうして俺は俺の餌場を守る。だからな、人間よ、愛だの希望だの夢だの、そういう味のものもたまには食わせて欲しいもんだね。