不点世界
っす。次やる木造のお施主さんの実家らしいんで、冷たくもできないんすよ、部長命令だし。て言うか、さっきのあれ、どういうことだったんすか?」
助手席で電子タバコを喫いながら遠山が言う。
「三百メートル先、左折です」と、ナビが言った。
「ああいう照明ってスイッチ付きだから、わざわざ壁にスイッチなんて付けると点けたり消したり間違いのもとでしょ、なんでそんな無駄なもん付けるかな?」
至極まっとうな意見をまるで天下の大発見のように口にする。
「当時は当時で何かしら理由があったんだよ。現場の人間は基本的には無駄なことはしない。何でそうだったのか推理してみろよ、遠山君」
ハンドルを握って微かなタバコの臭いを感じながら、俺は答えた。
付き合いのある建築会社の二年生の遠山は妙に慕ってくれているのだけれど、どこか馴れ馴れし過ぎて、俺はあんまり好きじゃない。それでも最近の若いのにすると根性があって見どころがあるというのが、そこの田丸部長の意見だった。
「そうなんですか? 田丸さんは他人を見る目がないからなあ」
「わはは、痛いとこを突くね。新規も中途も俺が面接した奴は皆辞めちまったからな」
つい先日もこんな会話を交わしたばかりだったので、遠山がどんな答えを返してくるのか少し興味がわいた。
「うーん、初めは吊戸棚無しでダウンライトだった? で、棚下灯に変更になってスイッチを残した?」
なるほど、今風の建売住宅をこなしてる者の考え方だ。対面式のキッチンでできるだけフラットな天井でリビングとキッチンの統一感を出すとか。
「まもなく左折です」、ナビが言った。
「外壁側に設置されてるキッチンだと、新築当時から吊戸棚に直付けの流し元灯という組み合わせだったろうな。それでも壁スイッチをわざわざ組んだ理由は、例えば使う人の背が低くて器具のスイッチに届かない場合がある。引き紐式の器具じゃなかっただろ? そして棚の奥の方に設置されていた。流し台自体も普通のサイズより大きいタイプだった。親切に考えられてると思うね。ちゃんとした設計屋さんだったんじゃないか? 不要ならスイッチを殺せばいい。この逆の場合だとどうにもならん」
「何年か前にお婆ちゃんがなくなったらしいっす。その人が小っちゃかったのかな?」
「かもな。でもまあ、間違いのもとだから結線してスイッチはつぶした。間違って触っても関係ない。器具のスイッチでしか点滅しない」
「なるほど、了解しました。次も、あー、なんかスイッチらしいですね。『不明なスイッチ、調査』らしいっす」
「何だろうな、それ。戸建て? 集合?」
「目的地付近に到着しました」、ナビが言い、目の前に古い木造のアパートが現れる。
「運転お疲れさまでした」、ナビに労われる。
三台分の駐車スペースはどこも空いていたけれど、一番奥に車を停め、
「とりあえずどんな感じなのか、確認するか」と、外付きの鉄骨階段を上った。築三十年くらいだろうか、木造のモルタル造の二階建てアパート。外見は古びているが、内装はこまめに改修工事が入っているらしく、低価格の家賃のせいか、入居者の世代もずいぶんと若いのだという。こんな建物にそうそう面倒くさいスイッチがあるとも思えない。品物自体も古くなったというより、接点不良とかそんなことなのだろうと当たりをつけながら、先を行く遠山の後に続いた。
「えーと、ここっすね、下田さん」と指示書の文字と表札の文字を見比べながら、遠山が無造作にインターホンを鳴らす。
「〇〇建設の遠山でーす。大家さんの方から言われてきましたー」
無遠慮なくらい明るく言う。何だか誠実さがない。
「はーい」と静かな声がして顔を出した下田さんは、二十代後半くらいの若い女だった。休日の土曜日ということか、ジーンズにシャツというシンプルな恰好をしている。あちこちに段ボール箱が積まれていて、まだ引っ越してきて間もないという感じだった。
「不明なスイッチ、ということで伺いました。失礼しまーす」
と、ずかずかと上がり込む遠山。
玄関入って右手にキッチン、左手にあるドアは多分浴室やトイレのものだろう。框付近の壁のスイッチはおそらく、玄関、キッチン、通路部分の三路。まっすぐ奥にドアがあり、その手前のスイッチは通路三路の相手だろう。
「どこのスイッチの不具合が?」
靴を脱ぎながら尋ねると、
「不具合というか、何のスイッチなのか分からないのがあって」と、通されたのは奥のドアの向こう、和室の入り口のスイッチだった。タンブラースイッチの片切と、おそらくもう一つは三路だろう、何の印もないスイッチが組まれている。
「この下のスイッチ、何のスイッチだか分からなくって、知らないうちに何かに電気が行っちゃうとか逆に大事なもののスイッチを切っちゃうとかだったらいやだなって不安になっちゃって」
「なるほど、ちょっと失礼します」
断わってから、まず片切スイッチを操作する。印の黒いぼっちのある方を押し込むと、和室の照明器具が点灯する。スイッチをオフにする。照明が暗くなる。
「上のスイッチはこの部屋のものですね。では下のスイッチを触ります」
そちらのスイッチには印のようなものがなくて、どちらに押し込んでも点滅動作するタイプの三路スイッチ、あるいは四路スイッチというもの。複数個所で入り切りさせたいところで使う。たとえばこのアパートだと、通路部分の照明が、玄関框のところと和室のドアの手前のところのスイッチで点滅できる。このタイプを三路点滅という。二か所でオンオフできるのが三路で、それ以上の場合は適宜四路スイッチというのが増えていくのだが、まあ、そんなに複雑な物が付いてるわけはないだろう。
スイッチを右側に押し込んだ。
その場でわかる変化はない。
「この部屋にもともと床の間なんてあったのかな、遠藤君?」
と、オレは訊いた。床の間灯を三路点滅したがる設計ってのに昔出くわしたことがあったからだ。
「えーと、残ってる資料だとそんなものはないですね。そこはずっと押し入れで」、古い紙の図面を見ながら遠藤が言う。
「押入れの方、ちょっと確認してもいいですか?」
そう言って、襖戸を開ける。枕棚の下を目視しても、そこに既存の配線らしきものがあるわけではなかった。
「上の方も確認します」
天袋を開けると天井に上がれるようになっている。天井裏に上がって配線を確認するか。「天井裏に上がって確認します。道具取ってきますので一度車に戻ります」と上野さんに断ると、彼は面倒くさそうに「時間かかります?」と横柄に訊く。
「三十分はかかりませんよ」と応えて玄関へ向かうと、
「僕も行きます」と遠藤が後を付いて来た。
「なんか嫌な感じの客ですね。あんなスイッチなんて大して問題にもなんないだろうに」「まあ、でも不明なものはやっぱりいやだろ、それは」
そう答えながら、俺は天井裏の様子を想像していた。あの押し入れ部分が床の間的なものだったとしたら、多分あのそばに床の間照明用のケーブルと和室入り口と床の間壁下部で点滅させるための三路スイッチの相手がいるはず、それを確認して内容を説明すれば、まあこの現場はそれで終わりだろう。わざわざスイッチをつぶせとか言わないだろ、あのおっさん。
リアゲートを開け、脚立と懐中電灯を出し、腰道具を下げる。念のため屋根裏を歩けるようにに上履きも準備した。
「何か持ちますよ」と、自分の軽自動車に図面やらの紙の束をしまい込んだ遠藤が言う。社用のその車のドアには〇〇不動産と書かれている。メンテ仕事での付き合いも随分と長くなったものだなと、ふと思った。
「大丈夫、これだけだから」
俺は応えて、階段を上り始めた。
「えー、ちょっと待ってくださいよー」と後ろから、へらへらと遠山が呼びかける。何も手伝おうとしない、その気が利かなさに辟易とする。田丸部長にこいつの相手すんのやだって言っちゃおっかな。ほんと、なんだかムカつく。
「すみません、勝手にスイッチ触っちゃいました」
そういう気持ちが顔に出てたのか、おどおどと下田さんが言った。作業中に余計なことをしたと思っているようだった。言われて先ほどのスイッチを見る。左側に押し込まれているスイッチ。
「いえ、大丈夫です。これから作業に入りますから、そしたらしばらくは見るだけにしといてください」
俺は言って、スイッチプレートを外した。そのままスイッチも取り外し、三本の電線が接続されていることを確認した。三路スイッチだ。
外したスイッチはそのままにして、押入れの前に脚立をセットする。
「俺、上がるから、合図したらスイッチいじって」
言い捨てて、俺は腰道具を外し天袋にそれを載せた。そうして天袋部分に潜り込み、倹飩式の天井板を押し上げた。むっとする熱気と若干の黴臭さを感じながら、天井裏に上体を入れ、懐中電灯を付けて当たりを見回す。押入れ付近に配線はなかった。左の方、和室の入り口を見やる。断熱材が敷き詰められていて、その下の配線の状況は分からないが、そちらの方からきている線はなかった。
「配線、見当たらないから、天井裏潜ってみる」
上履きを履いて梁の上に上る。積もった埃でじゅるりと足元が滑る。
四つん這いで移動できるくらいの高さはあるので、難なく先ほどのスイッチ辺りまでたどり着く。断熱材をずらして確認すると、壁の中から太さの違うケーブルが二本立ち上がっているのが分かった。二芯のケーブルと三芯のケーブルとが一本ずつ、普通に考えると二芯が和室の照明用、三芯が不明なスイッチのもののはず。
二芯の方に検電器を当てる。反応はない。
「和室のスイッチ入れて」
下の方の遠山に声をかけた。
「はーい、スイッチ入れた!」と、遠山。
ビーとブザー音。
「切って」と、俺。
「切った」と、遠山。
三芯のケーブルに検電器を当てる。反応はない。
「三路スイッチ入れて」と、俺。
「はーい、三路スイッチ、入れました」と、遠藤。
ピンポンとチャイム音。
「三路スイッチ切って」と、オレ。
「はーい、スイッチ、切った」と、遠山。
なるほど、あとはこの線がどこにつながってるか確認するだけだ。
「電線追っかけるからちょっと待ってて」
そう声をかけて、俺は電線を辿り始めた。
何枚か断熱材をどかしながらたどっていくと、中央の大梁付近にステップルで止めてあることが分かる。ここから懐中電灯の光でわかる限り、結線しているような個所ではない、そのまままっすぐバルコニーの方へと伸びているようだった。
何だろう?
怪訝に思いながら梁の上を進む。普通そんなところで三路結線するか? たとえばバルコニー照明を片切から三路に変更するとしたら? だとしたら、バルコニーに照明器具があって、なおかつそれ用のスイッチがあったはずだ。
ケーブルを辿った。
しかしそれは途中でふっつりと切れていた。
消えていたというべきかもしれない。
最後のステップルから二十センチほど垂れ下がったそのケーブルの先、確認してテープ処理でもしようかと覗き込んでみたら、懐中電灯とは質の違うもっと白いぼんやりとした明かりがもやもやとケーブルを中心に広がり広がり広がり続けようとして、視界の外にまで広がろうとして、俺は慌ててケーブルから目をそらした。先端を見ないようにして元のように先端を垂らした。
妙な吐き気を覚えながら、天井裏から降りた。訳の分からない配線だった。
「分かりましたー?」
その呑気さが我慢ならず、
「素人は黙ってろ!」と、俺は怒鳴りつけた。
その剣幕に遠山も下田さんもびくっとひるむ。そんな彼らを見て、そして天井裏のケーブルの先の変な光を思い出して、俺もまたひるんだ。あれは異次元とかなんかそんな変なもんにつながってるケーブルなんだ、それで何が切り換えられているのか分からないけれど、あのケーブルの先につながったもう一つの三路スイッチを押すと、俺は気付かないだろう何かが、きっと切り替わる のだと思ったところで、上野さんが言った、「まだ時間かかるの?」
「いや、このスイッチ今はこうですけど、」
と、オレはスイッチの返り線の一本に検電器を当てた。通電してるのでピンポンとチャイム音がする。
「スイッチをこちら側に押し込むと」
検電器の音が消える。
「この状態で触らないようにするのが一番だと思うのです」、俺は応えた。が、すぐに気付く。誰かが今、この片割れのスイッチを操作したのではないか? そしてそれにオレは気付かないのではないか? 今までずっとそんな風に何かが切り替わっていた、ただそれだけなんだ。
遠藤が心配そうにこちらを見つめている。オレは首を振った。
「配線が分からないんだ」
「まじかよ、この後出かけなきゃなんねえのによ」と、上野さんが嫌味たらしく口にする。「さっきみたいにスイッチ殺しちゃえば良いんじゃないですかー」
と、能天気に遠山が言う。
「そうかな。スイッチを組み替える時、わずかでも停電状態が起きる。このスイッチが何を点滅しているか分からない以上、そんな停電状態は起こすべきではないと、俺は考える。どんなえいきょ