中国古典 中華人民共和国時代 「斎白石」
1867年−1957年没
湖南省湘潭に生まれた斉白石は、貧しい農家の出身でありながら、並外れた才能と勤勉さで、中国近代絵画を代表する巨匠へと成長しました。
幼少期は病弱で、貧困のため教育を受ける機会にも恵まれず、様々な仕事を経験しました。木工の仕事をしながら独学で絵画を学び始め、特に「芥子園画譜」は彼の芸術への道を大きく開きました。その後、詩文を学び、美人画を得意とするようになり、「斉美人」と呼ばれるまでに。40歳を過ぎた頃から本格的に画業に専念し、全国を巡りながら絵と篆刻で生計を立てました。
56歳で北京に移住し、多くの文人墨客と交流しながら芸術の境地を高めました。その後、東京の「日支連合絵画展」やパリ芸術展覧会への出品を機に、国内外で高い評価を得、名声は不動のものとなりました。晩年には、北京の国立芸術専門学校の教授を務め、中華人民共和国成立後には人民芸術家の栄誉に輝きました。
斉白石は、詩、書、画、印のいずれにおいても卓越した才能を発揮しました。
特に画は、徐渭、朱耷、金農といった明清時代の画家に学び、写実的な表現と大胆な構図を融合させ、抽象画に近い独自の画風を確立しました。
篆刻においては、丁敬、呉昌碩など、過去の優れた篆刻家から学びながらも、独自の「一刀偏入法」を確立しました。これは、縦横おのおの一つの刀で二度彫りなく、一筆書きのように彫る手法です。
この表現は、彼の篆刻に力強さと個性を与えました。また、西欧の美術から影響を受け、篆刻をデザイン的な要素も取り入れた芸術へと昇華させました。
〈海葡萄〉
【釈文】
護花人也費思量,先乞春陰到海棠。猶幸晚苗留此種,遍開天下不知霜。
・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
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