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中国古典 北宋時代 「蘇軾」 

1036年―1101年没
蘇軾は北宋時代の最高も優れた詩人とされています。蘇軾とその父の蘇洵(そじゅん)、弟の蘇轍(そてつ)と合わせて「三蘇」と称されました。
蘇軾は二十二歳の時、弟・蘇轍とともに科挙に合格しました。この時、科挙では欧陽脩が監督し、持論を理解してもらえるように丁寧な文章だけを合格基準とする改革を行いました。この難関を突破したのは、蘇軾・蘇轍の兄弟と、曽鞏の三人だけでした。
彼は、科挙の進士になりましたが、王安石の新法に反対したため、左遷されることが多かったようです。
黄州へ左遷された際、その土地を東坡と名づけ、自ら「東坡居士」と呼びました。

彼にちなんで名付けられた「東坡肉(トンポーロー)」という豚肉の中華料理が生まれました。左遷された彼は、安い豚肉で生活し、急な来客にも豚肉を出すことが好評だったと言われています。
黄州での生活は非常に厳しく、自ら荒地を開墾しなければならないほど貧窮したました。しかし、この経験は彼の芸術性を高め、名高い作品「赤壁賦」を生み出しました。

《黄州寒食詩巻こうしゅうかんしょくしかん(寒食帖)》
1082作
蘇軾が黄州に流された際の不遇を詠った二首の詩で、いずれも三度目の寒食節を迎えたときに書かれました。落款はありませんが、弟子で「詩書画三絶」と称された黄庭堅の跋(黄州寒食詩巻跋)が存在し、どちらの詩も優れた作品と評価されています。

蘇軾「黄州寒食詩巻」玄妙臨

〈黄州寒食詩巻〉
【釈文】
春江欲入戸 雨勢来不巳 小屋如漁舟 濛々水雲裏 空庖煮寒菜 破竃焼湿葦
那知是寒食 但見鳥衝紙 君門深九重 墳墓在萬里 也擬哭塗窮 死灰吹不起
【口語文】
春の長江は水嵩を増して戸ロに迫り、雨の勢いは上がりそうにもない。このちっぽけな住まいは漁舟にも似て、暗く立ち込める水と雲の中。人気のない台所で粗末な野菜を煮ようと、壊れた竈門に湿った葦の葉をくべる。寒食の日だとは知らなかった。ふと見れば烏が紙銭を咥えて飛んでいる。天子が居ますところ宮門は九重あってあまりに深く、郷里の墳墓は万里の彼方。行きづまって道なきを働突しようにも冷えきった肺は吹いても燃え立たぬ。

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
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墨玄会 主宰 玄妙 


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